『思考の整理学』要約まとめ

1986年発行の古い本でありながら、「東大・京大で一番読まれた本」として注目され、240万部突破のベストセラーとなった本書。記憶重視の受け身の教育から脱却し、大空を翔ぶように自由に考えるための思考法が書かれた内容は、たしかに今の時代にこそ響いてきます。しかも、著者は33年も前に「コンピューターに仕事が奪われる」時代の到来を予見しています。コンピューター的頭脳ではなく、真に人間らしい思考を作るには?

これまでの学校教育は、グライダー人間の訓練所のようなものだと著者は指摘する。先生と教科書に引っ張られ、受動的に知識を得る教育だ。しかし、いくらグライダー能力が優秀でも、自力で飛び上がる飛行機の訓練を受けていないため、自分で物事を考えるとなると途端にまごついてしまうのだという。コンピューターという人間以上に優秀なグライダー能力の持ち主が現れた今、自分で翔べない人間は、いずれコンピューターに仕事を奪われてしまうと著者は予見する。

大学教授の著者のもとには、毎年のように学生が卒業論文の相談に訪れる。「何でも自由に自分の好きなことを書いてみよ」となると途方に暮れてしまうのだ。そのうち著者は論文の書き方をアドバイスするようになり、それを一冊にまとめたのが本書である。論文用に書かれているが、「思考の整理」という内容は、情報過多になったすべての現代人に役立つことだろう。

論文を書くには、テーマを決めなければいけない。文学研究ならば、まず作品を読むことだ。そして、感心するところや違和感を抱くところ、わからない部分などを書き抜く。これらが素材にあたる。ただし、麦がいくらあってもビールができないのと同じで、これだけではどうにもならない。ビールを作るためには発酵素が必要だ。それがアイデアやヒントである。

素材とアイデアさえあればすぐにビールができるわけではなく、しばらくそっとしておくことが必要だ。“寝させる”ことで素材と酵素の化学反応を進行させるのである。「見つめるナベは煮えない」と言われるが、しばらく忘れるくらいがよい。思考の整理学において、“寝させる”ことほど大切なことはないという。

“寝させる”ことは、中心部に置いてテーマの解決が得られないときに、ほとぼりをさまさして周辺部へ移す意味を持っている。そうすることで、目的の課題をセレンディピティが起きやすくするのだ。人と会話をしたり、散歩をしたり他のことをしているうちに、思わぬアイデアが降りてきたりするものだが、いわば無意識の作用を使うのである。

こうして独創的な思考ができてくると、どうしても独善的になりがちだ。そこで著者は「テーマはひとつでは多すぎる。少なくとも二つ、できれば三つ」あったほうがいいとアドバイスする。「ひとつでは多すぎる」とは妙な言い回しだが、「見つめるナベ」と同じように、ひとつのテーマに固執しすぎると、思考も狭まってしまうからだ。いくつかのテーマ同志を競争させ、一番伸びそうなものを選ぶように考えていくといいだろう。

自分の思考が固まってきたら、同じようなことを考えた人がこれまでなかったかどうかを調べる。仮にA、B、C、Dの4つの説があり、自説XがB説に近いとしよう。Bを援用しながらA、C、Dを否定して自説Xを展開するやり方がやりやすそうだが、そうすると我田引水のちゃんぽん酒のようになってしまう。4つの説を認めたうえで新しい調和を考えることで、本当のカクテル論文ができるはずだ。

人間の頭脳をこれまでの教育は、知識を蓄積する倉庫のようなものだと見てきた。頭の優秀さは、記憶力の優秀さとしばしば同じ意味で使われていた。倉庫としての頭脳にとって、忘却は敵である。ところが、すばらしい倉庫機能を持ったコンピューターが現れたことで、新しいことを考え出す工場のような創造的人間が求められるようになったのだ。

工場にやたらものが多くては作業能率が悪い。そこで、よけいなものを処分する工場の整理にあたるのが〝忘却〟である。忘れることを不安に思う人もいるかもしれないが、完全に忘れるものではない。本当に忘れてしまうのは、さほど価値のないものであり、いかに些細なことでも興味、関心のあることは決して忘れたりはしないはずだ。

知識の習得については、記憶、ノート、カード作りなどいろいろ考えられているが、整理についてはほとんど語られてこなかった。仮にAの問題について、メモしたカードが1000枚になったとしよう。こんなに多くては収拾がつかない。そこでいくつかの項目に分類し、じっくり時間をかけて検討する。いわば思考の整理とは、自分の関心、興味、価値観によって、ふるいにかける作業にほかならない。

材料がありすぎて、どうまとめたらいいのか途方に暮れることがある。そんなときは、とにかく書いてみるとこと。頭の中であれこれ考えていても混乱するばかりだが、書いているうちに筋道が立ってくるものだという。なぜなら書くことは線状だからだ。たとえAとBの説が並んでいても、同時に表現することは不可能であり、必ずどちらかを先に書かなければいけない。いわば書く作業は、立体的な考えを線状の言葉の上に乗せることなのだ。もつれた糸を解きほぐすように、思考がだんだんはっきりしてくるはずだ。

書き出したら立ち止まらずにどんどん先を急ぐ。一気に終わりまで書き上げてから推敲し、新しい考えを入れたり、構成を入れ替えたりしながら第二稿、第三稿を作っていく。書き直しの労力を惜しんではならない。なぜなら書くことによって少しずつ思考の整理が進むからだ。

本書が、知ることよりも、考えることに重点を置いているのも、コンピューターの出現によって、我々の頭がかなりコンピューター的であったことが思い知らされたからである。記憶と再生を重視した教育観を根本から見直し、人間が、真に人間らしくあるために“思考とは何か”を考えるときに来ている。

『思考の整理学』 3つのポイント

●“寝させる”ことで、思考を発酵させる

●“忘れる”ことで、頭の中を整理する

●コンピューター的頭脳から、自分で物事を考える創造的人間へ

文●大寺 明