『こうして店は潰れた 地域土着スーパー「やまと」の教訓』要約まとめ

巷には成功者が書いたビジネス書が溢れていますが、苦境に立たされ、切実に情報を求めている人にはあまり参考にならないかもしれません。そう考えたとき、むしろ役に立つのは、事実に基づいた失敗談かもしれない。教訓を学ぶこともできるし、同じ過ちを犯さないように気をつけることもできるはず。今回は「スーパーやまと」の顛末を綴った本をご紹介します。元経営者の正直な思いと熱いハートが、きっとあなたを勇気づけてくれるはず!

2017年12月20日、山梨県の老舗「スーパーやまと」が105年の歴史に幕を閉じた。県外の大手スーパーやショッピングモールの進出により、昔ながらのスーパーが倒産することは珍しくもないことだが、やまとは倒産したローカルスーパーの「居ぬき店舗」を使用することで店舗数を増やし、2008年のピーク時には16店舗、売上高64億円にまで成長していた。「乗っ取り屋」と揶揄する声もあったが、3代目社長である著者の小林久氏は「買い物難民」を助けることを目的としており、倒産時には多くの山梨県民から惜しまれた。

「頼まれたら、選挙以外は断らない」というのが小林氏のモットーである。「やまとに頼めばなんとかしてくれる」というイメージが定着し、出店依頼の他にもさまざまな依頼が舞い込んだ。家庭から出る生ゴミから堆肥を作る生ゴミ処理機の設置の依頼では、生ゴミを無料どころかポイントを加算して引き取るようにし、県が推し進めるレジ袋有料化においては、エコバッグを無料配布し、不要になったレジ袋を1枚1円のポイントで下取りした。

 他のスーパーでは原価2円のレジ袋を5円で販売しているところもあり、環境問題が金儲けに使われていたが、やまとは原価の2円のままで販売し、「本業以外では利益は取らない」という方針を貫いた。地域密着ならぬ「地域土着」を掲げ、お客さんに恩返しをするつもりで取り組んだのだ。

 新聞やテレビの取材が相次ぎ、それが呼び水となってさらに依頼が舞い込んだ。本来スーパーマーケットがやるべきことでなくても、小林氏が価値あることだと思えば、リスクを取ってでも実行した。生活困窮家庭に食料品を届けたり、ホームレスや障がい者を採用するといった取り組みにより、いつしか人々は小林氏を巨悪に立ち向かう正義のヒーローのように捉えるようになった。300回を超える講演を頼まれたが、謝礼は一切受け取らなかったという。

 小林氏は「正義の味方やまとマン」という自身の似顔絵キャラクターを誕生させ、それを目標に生きるようになった。商店街のコンビニが閉店して住人が困っていればその跡地に出店し、高齢者が買い物で困っていれば、スクールバスを改造した「移動スーパー」を走らせた。いずれも収支がとんとんになるように知恵を絞り、ときには自分の給料を下げてまで地域に貢献していたのだ。こうした活動が評価され、小林氏は県知事から教育委員を頼まれ、ついには山梨県の教育委員長を務めるまでになる。

 世間の評価はますます高まっていったが、本業のスーパー事業は厳しさを増していった。郊外に巨大ショッピングモールが次々開店し、その売上減少を補うために競合他社がやまとの近隣へ出店してきたことで、売上が徐々に下がっていたのだ。危機感を持った小林氏は、やまとの他に買い物に行ける店がある地域で、大きな赤字店舗を閉鎖することにした。

 閉店すれば売上はゼロになるが、「後払い」になっている仕入れ代金を支払わなければいけない。売上が低下したやまとに資金を出す銀行もなく、資金繰りに奔走する日々が始まった。それでも赤字店舗の閉店と全従業員の血の滲むような経費削減のおかげで経営は年々回復し、倒産時には経営黒字にまで改善していた。それなのに、なぜやまとは倒産してしまったのか?

「そうは問屋が卸さない」という言葉があるが、やまとが商品を仕入れている問屋に、他の取引先から「やまとの近年の成績が芳しくない」「業者への支払いも一部遅れているらしい」という密告があったらしく、問屋が納品を渋るようになりはじめた。

 大手問屋業者は、支払い期日を早めることを要求し、さらには前金の要求や、〇〇万円分しか納品できないといった圧力をかけるようになった。365日、毎日の資金繰り表の送信まで命じられ、商品在庫も売り場の設備も取引の担保に組み入れられた。昼夜を問わないメールや年間300回を超える携帯電話の着信……こんな毎日が3年以上続いた。古くからその問屋に勤める年長者からは「これはいじめです」と耳打ちされたという。

 それでもやまとは必死に踏ん張り、銀行の支援継続も決まったし、今期の業績も改善していた。小林氏は希望を持って55歳の誕生日を迎えたが、その1週間後にやまとは命日を迎えるのである。商品を入れてもらえない以上、もはや営業を継続することはできなかった。

「地獄の沙汰も金次第」というが、裁判所と弁護士に予納金を納めなければ、破産手続きに入ることもできない。しかし、そんなお金があれば資金繰りに使っている。小林氏は旧知の友人たちに金を無心し、さらには見ず知らずの人までカンパしてくれ、どうにか破産手続きを進めることができた。「みんなに生かされた……」と実感したという。

 中小企業は、会社が潰れると社長も潰れる。社長には退職金も未払い賃金も失業保険も就職斡旋もない……。自己破産することになり、小林氏は人生の崖っぷちに立たされたのだ。逆境や絶望からよみがえった人の体験談ならいざ知らず、倒産の憂き目を見た元経営者の負け犬の遠吠えに聞こえるかもしれない。しかし、そこにはいくばくかの真実もあるはず。誰にも同じような経験をしてほしくないと考え、小林氏は本書を執筆したのだ。

 もし本書を読む人の中に、同じ境遇にいたり、その不安がある人がいたら、小林氏は「大丈夫! 心配ない! なんとかなる!」という一休さんの言葉を伝えたいという。ただし、それを叶えるには「自分が動くこと」が条件となる。逃げ出したくなるほど辛いことだということは知っている。しかし、動けば変わる。変わったら、またそれに対して動くのだ。

『こうして店は潰れた』3つのポイント

●商売は、地域に貢献する“人助けの精神〟が大切

●倒産の原因は、「そうは問屋が卸さない」だった……

●大丈夫! 心配ない! なんとかなる!

文●大寺 明