『ジョイ・インク』要約まとめ

ソフトウェア業界では過酷な「デスマーチ」が付きもの。プログラマーが連日徹夜をして納期に間に合わせても、プロジェクト自体がお蔵入りになったり、品質に問題のあるプロダクトをやむなく出荷してユーザーに迷惑をかけたり、頑張りすぎた反動で燃え尽き症候群なんてことに……。どうすれば楽しく質の高い仕事ができるのか? 多くのIT企業が頭を悩ませていますが、アメリカのIT企業がこの難題にひとつの答えを見つけたようです。

 著者のリチャード・シェリダンは、90年代にプログラマーとして数々のデスマーチと格闘してきた。客観的に見ると、毎年のように昇進・昇給し、400万ドルものストックオプションを手に入れた成功者に見えただろう。しかし実際は、憂鬱な気分で通勤の道をわざと遠回りしたり、不眠症になるなど、彼の心は燃え尽きていた……。仕事を辞めるか、仕事そのものを変えるか、という選択を迫られるほどだった。

 そして彼は「仕事そのものを変える」ことを選択する。40歳で研究開発部門の責任者になり、「エクストリームプログラミング」という革新的な手法と出会ったことで、仕事のやり方が劇的に変化したのである。それは、作業スペースをオープンにする、プロジェクトマネジメントを手書きのカードで行う、大きなプロジェクトを短く計測可能なサイクルに分解する、チームはペアで作業する、という手法だった。さっそく実践してみたところ、彼の心の炎が再び燃え上がり、職場には活気が生まれ、新手法の導入から1年もたたないうちに株価が2ドルから80ドルまで跳ね上がった。

 この手法に確信をもった著者は、2001年にIT企業メンロー・イノベーションズを設立し、会社の存在理由を「喜び=Joy」とした。その基盤となるのが、もちろん「エクストリームプログラミング」の手法である。手始めとして、かつてフードコートだった地下スペースをオフィスとした。壁もキュービクルもドアもないファクトリーのような空間である。

 ソフトウェア業界ではキュービクルや個人オフィスによって内向性を高めてきた。ほんの数フィートしか離れていないのに、電子ツールのみの関係に閉じ込められ、ほとんど会話もない。これでは信頼を築くことは不可能だ。人間とは、人との接触を切望するものであり、言葉だけでなく、表情やボディランゲージといった非言語的疎通にも依存している。メンローでは職場をオープンスペースにすることで人間同士が関わる「喜び」を取り戻したのだ。

 メンローのオフィスにはノイズが満ちている。集中できないと思われがちだが、メンローで聞こえてくる会話は、問題解決や設計課題についての話がほとんどであり、むしろノイズが生むエネルギーがチームワークを育んでいる。人のアイデアが耳に入ってくるため、セレンディピティが起きやすいという利点もある。なにしろ数少ないルールのひとつが耳栓禁止なのだ。

 メンローでは社内で電子ツールを使わない。メールチェックに何時間も使うことほど非生産的なことはないという考えから、それよりもずっと効率的な「高速音声技術」を開発した。つまりは対面で直接、話すということだ。考えてみてほしい。たとえば会議の時間を決めるだけで、参加者のスケジュールを確認するメールを延々とやりとりをすることはないだろうか? メンローの場合、誰もが見えるところにいるので、直接呼んで聞くだけ。わずか数秒で済む話だ。

 そしてメンロー最大の特徴は、ペア作業が基本になること。二人で1台のコンピューターに向かい、同じタスクを一緒に作業し、ペアを毎週入れ替える。効率が悪そうに思えるが、著者に言わせると、最高のマネジメントツールなのだという。パートナーはそれぞれ経験と知識を持っている。ペアで作業することで何かしら学ぶことができて学習システムになり、二人でチェックすることでミスが減り品質向上にもつながる。また、ペアを頻繁に組み替えることで、一人だけが専門的知識を独占する知識の塔を崩すこともできるのだ。人間関係の面でも、40時間ペア作業をした相手とは、その後も気楽にコミュニケーションがとれるだろう。

 四半期の利益の見積もりや、作業の費用と時間の見積りは、たいていマネジメントの仕事だが、メンローでは実際に作業するチームが見積りを出す。そして計画ができてきたら、プロジェクトマネージャーが作業承認ボードにアサインされたペアを割り当て、進捗状況のマークをつけていく。ボードに手書きの紙を貼り付けていくという手法は、とても先進的なIT企業とは思えないが、実は一目で全体の進捗状況がわかり、とても効率的なのだ。

 働き方の面では、フレックスタイムやリモートワークは導入せず、月曜から金曜まで週40時間労働と決めている。週末働くことは決してなく、残業もなく、午後6時になるとオフィスは施錠される。そして社員には1年ごとに4週間の休暇が与えられる。適度な労働時間と十二分の休暇を与えることで、社員が燃え尽きるのを避けているのだ。

 著者は社会全体が思い違いをしているのだと指摘する。リモートワークは生産的で効果的だとされているが、人間は共同体の中にいるのが自然な生き物だという事実がないがしろにされていると言うのだ。同じ場所で一緒に時間を過ごす以外に共同体の一員になる方法はない。それが「生きた」会社というものであり、同じ場所で周りの仲間の音が聞こえてくることが、イノベーションとコラボレーションの可能性を高めてくれるのだ。

 チームのやる気を長期間持続する方法は、意義ある仕事を成し遂げることだという。タスクが簡単だろうが難しかろうが関係ない。完成させると、自然と脳内麻薬のエンドルフィンが出る。プロダクトやサービスを世に送り出し、人に評価してもらえたとき、大変だった日々を思い出し、それが喜びにつながるのだ。喜びが存在する場所で、喜びを知る人たちと、喜びの成果を出せる仕事をする。これこそ著者が追求する「喜び」が中心にある会社なのだ。

『ジョイ・インク』 3つのポイント

●オープンスペースで人間同士の関わりを促進する

●ペア作業によって、互いの経験と知識を学び合う

●意義ある仕事を成し遂げることに「喜び」がある

文●大寺 明