鎌倉武士が目指すは、人との違いが認められる多様な社会! バリアフリーな「ゲストハウス彩り鎌倉」代表が語る独立ノウハウ

高野朋也/1987年富山県生まれ
明治大学文学部卒業後、コロンビア大学の大学院に進学し、ニューヨークに1年半留学。帰国後、3年ほどベンチャー企業に携わる。介護施設スタッフや福祉ボランティアを経て、NPO任意団体として活動開始。2016年に「株式会社i-link-u」を設立し、2017年に「ゲストハウス彩り鎌倉」をオープンした。


――独立DATA――
30歳で独立
【開業資金/計483万円】

・物件の保証金など/60万円
・リフォーム費用/350万円
・リフォーム材料費/20万円
・エアコン等設備費/22万円
・備品等/10万円
・法人化費用/21万円
10年間使われていなかった鎌倉の空き家を借り、バリアフリーのゲストハウスに改装した。開業資金はクラウンドファンディングで320万円を調達したが、車椅子用のスロープやトイレなど、バリアフリーのリフォーム代がかなりの出費となり、足りない分は自己資金と、売上が出てから支払っている(最中)。材料を買って仲間とDIYでリフォームするなど、それ以外の出費は最低限に抑えられている。

――事業内容――
i-link-u
NEO任意団体として発足し、障害者の視点から街の課題を発見する「ユニバーサルマップ」のスタディツアーを開催。その後、障害者が参加できる街コン「UNICON(ユニバーサル合コン ユニコン)」を東京、山梨、鎌倉など計27回開催。2016年に法人化し、バリアフリーな宿泊施設として「ゲストハウス彩り鎌倉」をオープン。障害者や社会的マイノリティーの社会参加を支援し、共に創るべく、さまざまな事業を展開している。

鎌倉の路地裏を散策していたところ、赤い鎧姿の武士を目撃! 現代に甦った落ち武者か、それとも幻か……。実は彼はゲストハウスの経営者で、普段から武士の恰好で仕事と生活をしているそう。しかもそのゲストハウスはバリアフリーになっていて、車椅子ユーザーが泊まりやすいばかりか、スタッフとして車椅子ユーザーが働いているという。それにしても彼は、なぜこんなエキセントリックな恰好をしているのか? そこには深いワケがあった。

大学で元ヒッピーのアメリカ人教授と出会い、「多様性」が自分のテーマになっていった

 地元の富山で予備校に1年間通っていたんですが、校長が元白バイ隊員にして英語の先生という変わった経歴で、ネイティブ並みに英語がしゃべれる人だったんです。突き詰めればこんなふうに話せるようになるんだと思って、英語に興味を持ちました。大学は文学部日本文学科に入ったんですけど、英語の短期集中コースに参加したり、キャンパスで英会話だけで通したり、英語の勉強のほうに力を入れてましたね。

 子どもの頃の僕は、足が速くてひょうきんな性格だったので、わりとみんなの人気者でした。それが郊外に転校したところ、「生意気だ」と因縁をつけられてガキ大将にシメられたんです。それがきっかけで子どもの頃の天真爛漫さがだんだんなくなっていって、中学高校になると、暗記ばかりの受験勉強が面白くなくて、ますます学校がつまらなくなった。だけど、大学で上京してみると、いろんな地方の人や海外の留学生がいて面白い!って思いました(笑)。

 英語の短期集中コースで、ケビン・マークという先生と出会ったことが、僕にとって大きかった。元ヒッピーのいろんな経験をしてきた人で、彼と接するうちに「日本人は和を尊びすぎて自分の考えを発言しない(遠慮しすぎる)」ということに気づいたんです。日本では他の人と違っていると、出る杭は打たれるみたいな感じになりがちだけど、ところ変われば、人と違うことが評価される。むしろ、ちょっと変だと思われるものに、周りをガラリと変えてしまう力があると思うんです。それからは「多様性」について考えるようになりましたね。

 ケビンは政治経済学部の先生で、僕は文学部だったので、短期集中コースが終わった後は接点がなかったんですけど、たまたまキャンパスで会って、研究助手補として彼の講義のサポートをするようになったんです。その後、就活シーズンが始まって、周りは血まなこになって就活してましたけど、ケビンが「あんなことするもんじゃないよ。僕もしたことないから」と言うわけですよ。それを間に受けて、就活をしなかった。将来どうすんの?っていう状況ですよね(笑)。

 ケビンは明治大学で教えながら、コロンビア大学の日本校で日本語を教えていました。あるときケビンが「語学を教えるマスター修士の道を究めてみないか」と言ってくれて、コロンビア大学の大学院に紹介状を書いてくれたんです。最初の半年は日本校で勉強して、それからコロンビア大学の本校に転校して、ニューヨークに1年半留学することになりました。

アメリカの大学院に留学し、帰国後、ベンチャーに携わるも軌道に乗らず、心機一転、福祉の世界に飛び込んだ

 ニューヨークの学生生活はとにかく刺激的でした。いろんな国の人が留学していて、まさに人種のるつぼという感じで、あらためて多様性を実感しましたね。日本の大学ではあまり学業に打ち込んでいなかったけど、アメリカの大学は何百ページもある英文の本を読む課題があったり、中学校で英語を教える実技があったりして、けっこう大変でしたね。

 帰国後、ケビンが立ち上げたベンチャーを手伝うことになったんです。彼が学内で開発していた英語学習ソフトを販売する事業だったんですが、ケビンとカリフォルニア在住のプログラマー、僕とバングラデシュ人の4人でスタートして、僕は販売担当としてアメリカや海外のエキスポに出展して実演販売をしたりしていました。だけど、まだプロトタイプだったので販売までは至らず、ケビンの給料から僕らの給料が支払われていて、周りからは「ポケットマネー社員」と言われてましたね(苦笑)。

 毎月出ていくお金が莫大なのにアウトカムの結果が出ないので、結局、これ以上はもう雇えないということになって、3年ほどで事業を一旦辞めることになったんです。何か別の仕事を探さなければいけないとなったとき、心機一転、福祉の仕事をやってみることにしました。母が看護師で、「あなたは福祉が向いてる」と以前から言われていたので、ちょっとやってみようと思ったんですよね。

 こうして福祉の資格がなくてもできる認知症のグループホームで働き始めたんです。おばあちゃんが多かったんですけど、みんなつまらなさそうに過ごしているんですよね……。覇気がなくて、活き活きとはほど遠い。僕は実家で祖父母と暮らしていたので、もともと高齢者を尊敬していて、認知症というレッテルを張ってお年寄りを見ていなかった。若い頃の話を聞いたりしているうちに、昔は小料理屋を営んでいたり、音楽の先生だったことがわかったんですが、あらためて施設を見ると、料理も音楽も生活の中にないわけです。

 認知症は今まで普通にやっていた動作が、できなくなったり、記憶が保持できない、幻覚や思い込みが強くなり、外界からの刺激に対して緊張や焦りを伴う症状です。食事をしたことを忘れてしまったり、火の始末ができなかったり、中には失語している人もいて、危なっかしいという理由で共用キッチンに立たせてもらえないし、徘徊のおそれがあるから外出も許されない(※本人視点からすると、徘徊にしても意味のある行動)。

 だから毎日つまらなさそうにしているんだと思って、おばあちゃんと一緒に買い物に行って、一緒にキッチンで料理をするようになったら、みるみる認知症が回復していったんです。たくさんの方々が、自分自身を生活の中で取り戻し、これはやり甲斐のある仕事だと思いましたね。

脊髄性筋萎縮症の少年と友達になり、二人でNPO任意団体をスタート。障害者とそうじゃない人の接点となる場を作りたい

 グループホームのケアマネージャーが、環境や関係を変えていくことで自立を促すエンパワーメントの手法を提唱している人だったんですけど、息子さんが2歳で発症したSMA(脊髄性筋萎縮症)だったんです。「うちの息子みたいな若い障害者は、高野さんみたいな人を求めている」と言われて、ボランティアで息子さんの外出支援をはじめました。

 彼はマサトっていうんですけど、指を少ししか動かせないのにパソコンを使って初音ミクの動画を作ったりするんです。すごいと思いましたね。当時、彼は特別支援学校の高等部に通っていて、そこは知的障害、精神障害などの障害者がひとくくりにされていて、話せる友だちもいないし、勉強する環境もなかった。「このまま特別支援学校にいたら一生友だちができない」と落胆していたんですね。それまでの僕は、障害者の人に触れる機会もなく、彼らがどんなことを考えているのか知りもしなかった。それがマサトと出会って初めて気持ちが理解できたんです。

 それでマサトが普通高校に入り直すということを一緒にやったんですよね。これがNPO任意団体「i-link-u」(私“i”とあなた“u”がつながる“link”)を作ったきっかけでした。NPO法人と違ってNPO任意団体は条件が厳しくないので、「今すぐやろう!」という感じでしたね。

 最初はリディラバの「スタディツアー」を使って活動を開始しました。目の見えない人や耳が聴こえない人と同じ状態で街を歩いて、ハンディーがある人の視点から街の課題を発見していく「ユニバーサルマップ」という活動です。参加者のほとんどが障害者に触れたことがない人たちだったんですが、彼らと一緒に街を歩いて、話すことで、これまで可哀そうな人たちだと思い込んでいたのが、普通の人なんだということがわかって、すごく仲良くなったりするんですよね。日本って障害者とそうじゃない人を区別しているけど、触れ合える機会さえ作れば、一気に距離を縮められると思いましたね。

 下北沢を中心に月1で開催して、毎回20人くらい参加してくれたんですが、参加費と世田谷区の補助金でどうにか運営しているような感じでした。活動を持続可能なものにするためにも、何か収益が出せる事業をやりたいと思いましたね。できれば、誰もやっていないような事業をやりたかった。こうして始めたのが、障害者が参加する街コン「UNICON」です。きっかけは、マサトの「彼女が欲しい」の一言でしたね(笑)。

障害者が切実に求めていることは「出会い」と「社会参加」。彼らの自立を支援するためにバリアフリーなゲストハウスを作った

 一般的な福祉は、ある程度のスタンダードな生活を提供するものですが、やっぱり人には自己実現や学習の欲求があるので、それ以上の何かを求めるものなんですよね。特に異性との出会いは、障害者の人が切実に求めていたもので、かつ誰もやってない新規性もあった。これまで障害者とそうじゃない人の出会いの場がなかったんですよね。

『Co-Co Life』という障害者の人たちが読む雑誌に広告を出して参加者を募り、最初は東京を中心に開催していたんですが、7回目に鎌倉でやったところ、全国から参加者が来てくれたんです。これまで27回開催して、結婚1組とカップル9組が誕生したんですけど、あらためて出会いから結婚までを考えたとき、そこにはとてつもない課題があったんです。

 それは、障害者の多くが「働いていない」という現実でした。850万人ほどの障害者のうち45万人ほどしか就労していないというデータがあって、ほとんどの人は障害者年金や、それに生活保護が組み合わさったお金で生活しているわけですが、かなり経済的に苦しい状況で、街コンをやってから気づいたんですけど、実は参加費自体が彼らにとっては大きな負担だったんです。

 なぜ働いてないんだろう?と考えたとき、福祉は税金をあてがっているだけで彼らの自立を支援してないし、企業も障害者の法定雇用率2%を満たすために障害者を雇用していて、彼らを生産力として見てない。罰則も厳しくないから、雇う義務を履行することも少ない。だから、面白くない仕事が多いんですよね。だったら彼らが主体的にできて、しかも面白い仕事を自分たちで作ればいいと思いました。

 こうして障害者の人が働けて、宿泊することもできるバリアフリーなゲストハウスを作ろうということになったんです。なぜ鎌倉にしたかというと、以前から鎌倉で街コンを開催して全国から人が集まってくれたこともあって、みんなが訪れたくなるような土地の力があったからです。鎌倉に外国人観光客が多いこともゲストハウスをやるにおいて大事なポイントでした。

 鎌倉ということで、普段から武士の恰好をしてます。自作の鎧なんですが、2、3キロあって重いし、夏は暑いし、冬は寒いんですけど、慣れましたね(笑)。なぜこんな格好をしているかというと、“違い続けること”が大事だと思っているからです。いろんな変わり者がいる中で“パートタイム変な人”って多いと思うんですけど、僕は“フルタイム変な人”を通してみようって(笑)。

 障害者の人が働いているゲストハウスで、しかも武士もいる世界で唯一の場所だということをアピールしていきたい。実際、「サムライがいるから来た」という外国人旅行者もいれば、逆に知らずに来てビックリされることもあります(笑)。以前に車椅子ユーザーの人が愛媛から来てくれたんですけど、けっこう旅慣れた方で、「バリアフリーでこんなリーズナブルな宿はない」というのと「武士がいて面白そうだ」と思ってくれたそうです。

 障害者の人が生産者として見られてないという社会課題に対して、彼らが働ける場所や仕組みを開発していくことが、自分の使命だと思ってます。福祉ではなく、彼らが働いて対価を得られるような事業をどんどん作っていきたい。ゲストハウスはそのひとつだと思ってます。

バリアフリーなゲストハウス 独立ノウハウ集

独立前

若者よ、旅をすべし

高野さんは学生時代に原付バイクで日本一周の旅を経験している。キャンプ泊をしながら2、3カ月かけて全国各地を旅し、旅先でいろんな人と出会うことが何より楽しかったという。「出会いもあれば冒険もあって、ときにはトラブルもある。それがトラベルだなって(笑)」と高野さん。ゲストハウスの宿泊客は一人旅の人が多いものだが、彼らが旅に何を求めているかを自身の経験を通して理解していることが、今のゲストハウス経営に活かされているようだ。

狭い日本を飛び出し、広い世界を知るべし

高野さんが“多様性”に目を向けるようになったきっかけとして、アメリカの留学経験が大きい。肌の色も背格好も違う人が世界には五万といて、生まれ育った文化も環境も違うことを肌身で理解し、「違いを当たり前のように認め合える社会にしたい」という目標へとつながっていった。また、固定観念に縛れず、「なんでもあり」と思えるようになったことが、人との接し方に活きているという。「人それぞれ違うからこそ面白い」と思えるようになったのだ。

英会話のコツは「文法を忘れること」

「ゲストハウス彩り」の宿泊客は、外国人が7割を占めるそうだ。そのため高野さんの英語力が活きてくる。大学時代から英会話が得意だったそうだが、英語のコツを聞いたところ、「一回、文法を忘れること」だそうだ。たしかに日本人の多くは、学校で習った文法を意識しすぎるあまり、間違えるのではないかと不安になって言葉に詰まってしまう。学生時代の高野さんは、文法を気にせず、聞かれた内容と話したい内容に集中し、コミュニケーションの手段として英会話をマスターしていった。

独立後

まずはNPO任意団体で活動してみるべし

高野さんは27歳のときにNPO任意団体を設立している。NPO法人の場合、役員3名以上、正会員10名という条件があり、認可されるまでに数カ月~1年という長い時間がかかるものだが、NPO任意団体は、団体の規約を作成して宣言するだけで、とても簡単にできるそうだ。しかも収益が発生しない限り、税務署に届け出る必要もなく、団体規約の自由度も高い。たしかにNPO法人の方が社会的な信用力は高いが、すぐにでも活動を始めたいならNPO任意団体がいいだろう。

収益を出し、持続可能な仕組みにすべし

NPO任意団体として「ユニバーサルマップ」と「UNICON」の活動をしていた高野さんだったが、事前調査や準備などもあり、参加費だけでは運営が難しい。そこで高野さんは世田谷区に申請して30万円ほどの補助金を受けたり、ビジコンの賞金で運営費をまかなっていた。とりあえず活動はできたとしても、それだけでは高野さん自身が食っていけない。そのため活動と並行して、夜勤専門で介護の仕事を続けていたそうだ。活動を持続可能なものにするため、収益が出る仕組みを作るべきだと考え、i-link-uを法人化して新規事業を模索するようになった。

宿泊だけでなく、人との交流を提供すべし

「ゲストハウス彩り」の予約は、「Booking.com」をメインとし、「Airbnb」を組み合わせることで宿泊数を増やすようにした。ちなみに成約率は「Booking.com」の方が高く、これだけでもかなりの外国人客が見込めるそうだ。外国人旅行者が「ゲストハウス彩り」を選ぶ理由に、まずリーズナブルなことがあるが、それ以上に求められているのが、ゲストハウスならではの地元の人や旅人同士の交流だ。高野さんは宿泊を提供することで鎌倉の街をもっと楽しくしていきたいと考えており、現在、近所のおばあちゃんがホストになる民泊を準備している。

取材・写真・文●大寺 明

みんなで創るバリアフリーなゲストハウス
ゲストハウス彩り鎌倉

英語が堪能な武士がお出迎えする、鎌倉のゲストハウスです!

車椅子ユーザーや、見えない方、聴こえない方など、
多様な方たちが社会参加する機会を創出するため
2017年に「バリアフリーなゲストハウス」としてオープンしました。

玄関をはじめ、共用のバス・トイレもバリアフリーになっているので
車椅子ユーザーも安心して宿泊できます。

武士(代表・高野)が案内する鎌倉ツアーや
ドローンによる上空からの鎌倉観光、
レンタル電動自転車(シェアサイクル)のご利用も可能です。

一人旅に絶好のロケーションで、コスパも抜群!
一つ星のゲストハウスとして、障害者・健常者の分け隔てなく
最高のおもてなしを提供できるよう、努めて参ります!

【住所】
神奈川県鎌倉市由比ガ浜2-4-23

【アクセス】
JR横須賀線「鎌倉駅」西口より徒歩7分
江ノ電「和田塚駅」より徒歩3分

ご予約はこちら!
http://www.booking.com/Share-Ap82np/