『ゼロ-なにもない自分に小さなイチを足していく』の要約まとめ

ゼロ-なにもない自分に小さなイチを足していく

大学在学中にITベンチャーで起業し、27歳で東証マザーズ上場、そしてプロ野球球団やテレビ局の買収に乗り出し、ゼロ年代の寵児となった堀江貴文。そんな彼を六本木ヒルズ族の象徴のように毛嫌いする風潮は根強い。しかし、本当に彼が求めたのは富やステータスだったのだろうか? 出所して“ゼロ”に戻った彼は、本来自分がやりたかったことを再確認しようとしている。

新たな時代のビジネスリーダーとして若い世代の支持を集めた一方、堀江貴文を毛嫌いする中高年層が多かったのも事実だ。そして、2006年の証券取引法違反容疑の逮捕。マスコミの一斉バッシングもあり、額に汗せず富を得る拝金主義者といったイメージばかりが膨らんでいった。出所後初の完全描き下ろしとなる本書では、会社もお金も社会的信用も失い、“ゼロ”になったありのままの自分を見つめ、堀江貴文はもう一度「働くこと」という原点に戻ろうとする。

自分が九州の田舎者であること。愛情表現が苦手な両親のもとで孤独を抱えて育ったこと。高校時代は成績が悪かったこと。大学時代は女の子と話せずコンプレックスを抱えていたこと。そうした過去を赤裸々に語りながら、そこから脱却する唯一の手段が「働くこと」だったと著者は振り返る。

心の自由を手に入れるため、著者はいち早くインターネットの可能性に着目し、昼夜を問わず仕事に没頭した。人からすれば、それこそ「努力」と言うべきものだが、何かに没頭することを「努力」とは考えていなかったことや、その言葉自体に抵抗感があったため、著者はこれまで努力する姿を人に見せずにきた。そのため彼の成功は、あたかも「掛け算」のような倍増ゲームで楽に駆け上がってきたような印象を与えてしまう。しかし、すべては最初“ゼロ”であり、そこに何を掛けても“ゼロ”のまま。物事の出発点には、必ず小さな一歩を踏み出す「足し算」があるのだと著者は強調する。

たとえば、女の子の前でキョドっていた頃の自分を振り返り、それは「自信」の問題だったという。自信を形成する「経験」が圧倒的に不足していた。その経験とは、「自らが足を踏み出した歩数によってカウントされていく」ものだという。仕事に自信を持てない人も同様であり、これまで足を踏み出してきた「経験(歩数)」が足りていないのだ。また、そうした一歩(チャレンジ)は、物事を否定的に捉えない単純なまでの「ノリのよさ」から始まるものだという。

ライブドアのIT事業で成功をおさめながら、中古車販売事業やテレビ局の買収に乗り出した著者の姿を見て、多くの人が金の亡者のように誤解した。しかし、著者はお金が欲しくて働いてきたわけではない。多くのビジネスマンは「労働」をお金に替えているのではなく、そこに費やす「時間」をお金に替えていると著者は指摘する。人生が豊かになっていかない根本原因は、有限の「時間」を無条件に差し出しているその状況にあり、お金から自由になるには、「稼ぐ」といった能動的な仕事に変えていくしかないと考えるからだ。

一方で著者は仕事に時間を惜しまない。仕事が好きだからだ。ただし、能動的に仕事をとらえ、そこに没頭するから人は仕事を好きになっていくのであって、仕事が好きだから没頭するのではない。お金のためではなく、自分に与えられた有限の「時間」を充実させようとして働くからこそ没頭できるのだ。

融資という行為も設立資金を貯める「時間」をショートカットすることに他ならない。そこで求められるのが「信用」だ。これまでの著者はショートカットの有効性を強調しすぎたため、この部分にあまり触れてこなかったが、「信用」こそが「ゼロからイチ」を足していく積み重ねだ。逮捕によって「信用」を失った著者は、「それでもひとりだけ確実にあなたのことを信用してくれる相手がいる」と言う。それが「自分」だ。そして自分に寄せる「信用」のことを、小さな成功体験の積み重ねによってつくられた「自信」なのだという。

このように、サブタイトルにもなっている「なにもない自分に小さなイチを足していく」ことからすべては始まると、その大切さを本書は繰り返す。世間のイメージとは裏腹に、堀江貴文は不器用なくらい小さな成功体験を積み重ねてきた努力の人なのだ。

3つのポイント

●小さな勇気を持って、最初の一歩を踏み出す

●小さな成功体験を積み重ね、信用を築く

●ゼロがイチになってから、すべては始まる

文●大寺 明