【スーファミ・64・ゲームボーイetc】 任天堂元社長:岩田聡氏と名作ゲームの歴史を図解してみた

任天堂ゲームの歴史 タイトル

2015年7月11日、世界的に有名なゲーム会社である任天堂の代表取締役社長、岩田聡(いわたさとる)氏が死去。多くのゲームファンやテクノロジー業界人から哀悼のメッセージが寄せられています。

ニンテンドーDSやWiiは、彼なくしては発売されなかったかもしれません。そうした斬新で、直感的で、おもしろいゲームを生み出した社長だからこそ、世界中から愛され、その死が悲しまれているのでしょう。

今回は任天堂のゲームの歴史を、岩田元社長の歩みとともにビジュアライズしてご紹介します。ゲームに馴染みのある方は、「そういえば昔こういったゲームをやっていたなぁ」と懐かしい気持ちで振り返ってもらえること間違い無しです。

一目で分かる! 任天堂ゲーム機と岩田聡氏のあゆみ

任天堂 年表

まずは、任天堂のゲームの歴史と岩田元社長の経歴を表にまとめてみました。左側が任天堂のゲームハード(ゲーム機)の歴史で、右側が岩田氏の役職などをまとめたものです。

注目すべきなのは、2002年の社長就任後のニンテンドーDSとWiiの売り上げ業績です。任天堂の過去の塗り替えるかのような大ヒットを生み出しています。

※ゲームボーイの売上台数は、ゲームボーイ・ゲームボーイカラー。ゲームボーイポケットの合計です。
※ゲームボーイアドバンスの売上台数は、ゲームボーイアドバンス・ゲームボーイアドバンスSP・ゲームボーイミクロの合計です。

1983年 ファミリーコンピュータ(ファミコン)

ファミコン

当時、まだ岩田氏は任天堂に籍を置いてはいませんでした。しかし、「ピンボール」「ゴルフ」「バルーンファイト」などのソフトの開発に彼は参加しています。

プログラミングの腕も立つことから、この後もHAL研究所は任天堂と共同で仕事をすることが多くなりました。任天堂と岩田氏はかなり前から関わりがあったのですね。

1989年 ゲームボーイ

ゲームボーイ

ゲームボーイでは、上記のようなソフトがヒットしていました。スーパーマリオランド・テトリスで人気になったゲームボーイですが、その後売れ行きは停滞していました。

そこでターゲットを小学生以下にしぼり、ポケモンを発売するやいなやヒット商品となり、息を吹き返したのです。

現在では日本国内の小学生以下にかぎらず、子供から青年まで世界中に幅広いポケモンのファンがいます

1990年 スーパーファミコン(スーファミ)

スーファミ

スーパーファミコン(通称:スーファミ)では、上記のようなソフトがヒットしていました。人気ソフトに必ずスーパーマリオがランクインするようです。

ファミコン・スーファミともに、カセットの調子が悪くなると「フーッ!」とカートリッジの端子部分のホコリなどを吹き飛ばしたという思い出を持っている方が多いのではないでしょうか?

1996年 NINTENDO64(64・ロクヨン)

64

Nintendo64は64(ロクヨン)の相性で長く親しまれたゲーム機です。64では今でも大人気のソフト「大乱闘スマッシュブラザーズ」のシリーズ第1弾が発売されています。このスマブラの生みの親が岩田元社長なのです。

当時、任天堂のゲームで人気のキャラクターたちが殴りあうというコンセプトに上層部は戸惑いを隠せなかったそうです。発売後は「スマブラしよ」が子どもたちの遊びの誘いゼリフとして定着しました。

1998年 ゲームボーイカラー

GBC

カラーでポケモンなどが遊べると話題になり、購入した人が多かったのではないでしょうか。

当時人気があったカードゲーム「遊戯王」のゲームボーイカラー版はもちろん人気で、売上本数ランキングでも上位に入っています。公園や家で通信ケーブルをつないで、データの交換や対戦などをした思い出があるのではないでしょうか。

また、「コロコロカービィ」など、動きセンサーを用いた感覚的な操作のソフトも生まれました。

2001年 ゲームボーイアドバンス

GBA

ゲームボーイシリーズ12年目の大作がこのゲームボーイアドバンスです。ゲームボーイ・ゲームボーイカラー。ゲームボーイアドバンスそれぞれのソフトと互換性があり、すべて遊ぶことができます。

ゲームボーイアドバンスは付属品が充実しており、カードを読み込める「カードeリーダー+」や通信ケーブルなしで通信が可能な「ワイヤレスアダプタ」などが発売されていました。

2001年 ニンテンドーゲームキューブ

ニンテンドーキューブ

ニンテンドーゲームキューブはNintendo64以来の家庭用ゲーム機。任天堂としては初めてのディスク型ソフトを採用しています。

当時はゲーム離れが話題になり、プレイステーション2やXBoxなどの登場もあって売れ行きは思わしくありませんでした。任天堂の近年の製品の中では、あまり遊んだ記憶がない方もいるのではないでしょうか。

2004年 ニンテンドーDS

DS

岩田聡氏が社長となって、初のゲーム機がこのニンテンドーDSです。タッチスクリーン・マイク・すれ違い通信というこれまでの携帯ゲーム機とは明らかに一線を画した機能があります。

当時はゲーム脳・ゲームでキレやすくなるなど、テレビゲームに悪い印象が多かったのですが、DSは教育や健康といった面にも使えます。単なるゲーム機ではないことと、直感的な操作方法で瞬く間にヒット商品になりました。

ここから任天堂はゲームボーイシリーズに変わって、DSシリーズのゲーム機を売りにしていくことになります。

2006年 Wii

Wii

発売と同時に大ヒットとなり売上台数が伸びたのが、ゲームキューブに続く据え置き型ゲーム機のWiiです。特徴は何と言っても、独特のコントローラーで操作をすることができること。

カラオケなどもできるWiiは、ゲーマー向けの凝ったゲームではなく、幅広い人にゲームを楽しんでもらうというコンセプトが前面に現れています。誰にでも「できるかも」と思わせることで、ゲームの垣根を低くしているのです。

2011年 ニンテンドー3DS

3DS

専用メガネをかけなくても3Dでゲームが楽しめるという点で話題になった、ニンテンドーDSの次世代モデルがこの3DS。人気タイトルであるポケモン・どうぶつの森に加えて、今までは扱いがなかった人気作品「モンスターハンター」シリーズも参入。

ゲームボーイ・ゲームキューブ時代に悩みであった若年層顧客の獲得はある程度成功し、20代の人も任天堂のゲーム機に親しむシーンはしばしば見ることができます。

2012年 WiiU

WiiU

Wiiに比べて、インターネットとの接続の強化と、コントローラーにディスプレイがつく変化が見られるのがWiiUです。

「Miiverse」(ミーバース)と呼ばれる、ゲームのプレイヤー同士が交流できるSNSサービスがあります。

また、Wii U Chatと呼ばれるビデオチャットソフトが内蔵されていたり、インターネットブラウザが見れたりします。

まとめ

岩田元社長とゲームの歴史図解、いかがだったでしょうか?

彼が社長となって、任天堂はDS・Wiiというヒットゲーム機を発売。そこには「5歳から95歳まで、万人が楽しめるゲーム」という考えがあります。彼の活躍は、一部の層を狙ってグラフィックの綺麗さ・操作性などを競っていた、当時の業界の風潮に左右されずに自分の信念を貫き通した結果なのかもしれません。

岩田聡氏の考えや、想いなどは【永久保存版】任天堂岩田聡社長インタビュー記事を1980年代から総まとめに紹介しています。ビジネスや人生の役に立つ内容から、ゲームのおもしろい話まで幅広くインタビューをうけています。

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