ケータイ世代が日本のものづくりに新風を巻き起こす! デジタル家電ブランド「UPQ」代表・中澤優子が語る独立ノウハウ

株式会社UPQ(アップ・キュー)中澤優子
中澤優子(なかざわ・ゆうこ) 1984年東京都生まれ。中央大学経済学部を卒業後、2007年にカシオ計算機株式会社に入社。営業部を経て携帯電話の商品開発を担当。2012年に退職。2013年に秋葉原にてカフェをオープン。2014年にハッカソンに出場し、IoT弁当箱「X Ben」が経産省フロンティアメイカーズ育成事業に採択。2015年7月に株式会社UPQを設立し、同年8月に17種24製品を発表。2016年3月現在、新製品含め32種52製品を展開。

upq_sub1――独立DATA――
●28歳でカフェをオープン
●30歳でUPQを設立

――事業内容――
株式会社UPQ(アップ・キュー)
・2015年設立
SIMロックフリーのスマートフォンUPQ Phoneをはじめ、50インチ4Kディスプレイや防水アクションスポーツカメラ、タッチパネル式ガラス製キーボードなどのデジタル電化製品のほか、タマゴ型チェアやバッテリー付スーツケースなど、多彩な製品の企画開発・販売を行う。

昨年夏、設立されたばかりの会社「UPQ(アップ・キュー)」が、17種24製品を発表し、「一人家電メーカー」として業界に衝撃を与えた。何しろ大手家電メーカーの製品と遜色ないスマホや4Kディスプレイといった充実のラインナップでありながら、代表取締役は弱冠30歳の女性。しかもたった一人の起業だったからだ。不可能を可能にする、その原動力とは?

大学2年で人より早く就活を開始。いろんな業界の人に会ったことで、自分に向いている業界がわかった

 高校が都立の進学校だったんです。お医者さんや先生になりたいという子が多くて、みんな夢が決まっているような状態でしたね。うちは父も母も教師で、祖父が医者の家系。それもあって先生にも医者にもなりたくなかった。大学に進学してから、私も早く夢を見つけなきゃと思って、2年生の中頃から3年生のふりをして就活を始めたんですね。

 就活に対して、みんなガツガツしていることに違和感がありましたね。就職氷河期の頃だったので1年上の先輩たちが必死になるのもわかるんですけど、そんなに奪い合ってまでやりたい仕事なのかと。普段はテキトーな感じなのに、就活になった途端、髪を黒く染めてリクルートスーツを着て、サークルの副部長をやっていたことをアピールしたりする。本当は飲み会を開いていただけなのに(笑)。面接官もそれをわかっているわけです。みんな作ったような笑顔で模範解答をしていて、そこに何の意味があるんだろう?って疑問でしたね。

 私は就活を通して、世の中にどういう仕事があって、みんなが何をして生きているのかを知りたかった。『業界地図』を見ながら、IT、広告代理店、新聞社、テレビ局、航空会社、製造業など医療系以外のほぼすべての業界を見て回りました。丸1年を市場分析に費やした結果、私は実体のないお金儲けのビジネスには興味が湧かないことがわかったんです。

 各業界の1位から3位までの企業とその業界の中で小規模だけど面白いポジションを築いている企業へエントリーシートを書いて選考に参加し、企業の人と面談やグループワークを重ねていくなかで、ものづくりの人たちが一番素朴に感じられたんですよね。「こんな製品を作ったんだよ」と目をキラキラ輝かせて話をしていて、あったかい感じがしたんです。

 ものづくりのメーカーが自分に合っているとわかったんですが、あらためて自分が作り続けたいものを考えたとき、一番身近で愛着があったのがケータイでした。私は基本的に機械音痴なんですけど、ケータイだけは中学生の頃から使っていて、唯一使いこなせるものだったんです。

 ケータイのことをもっと知りたいと考えて、大学3年生のときにケータイショップで働いてみることにしました。当時は年間100機種くらい発売されていて、カラーも1モデルに3色ずつあるような状態。いくらケータイを持つ人が増えているとはいえ、均等に買われているわけがない。中には「こんなダッサイの誰が持つんだ?」というような機種もあったりもして、どういう人が購入しているのか知りたかったんですよね。

なぜ何十億もかけて売れない商品を作っているのか? メーカーに入ることでようやく謎が解けた

upq_sub2 実際、販売員として働いてみると、売れない機種が山ほどあるものなんです。新製品のカタログを見ただけで不良在庫になることがわかるほど明白なので、発注したくありませんよね。ただのアルバイトのお姉ちゃんですら店に立っていればわかることなのに、メーカーの人にはそれがわからないのかと疑問でしたね。当時は1機種作るのに2年ほどかけて開発費に30億円くらいかけていたと思うんですけど、それで売れないものを作るというのは誰のせいなんだろう?って。

 就活で出会ったメーカーの人たちは、素朴でいい人たちでしたけど、技術者の視点だけでものを作っているからそうなるのか。であれば、何かが間違っているぞと。販売員の立場だと、ドコモやauやソフトバンクといったキャリアとしか接点がないので、その理由まではわからない。実際にメーカーに就職してみて、ようやくこの謎が解けましたね。

 当時はケータイを作っているメーカーが数えるほどしかなくて、しかも理系の学生にしか門戸が開かれていないような状況です。たとえ私が「ケータイを作りたい」と思っても、文系の学生は営業職くらいしか採用がなくて、しかもキャリア向けの法人営業なので、新卒の女子は求めてない。

 某メーカーの面接で、「白物家電の営業なら内定を出す。希望の部署には5年後とかであれば実力次第で」と言われましたけど、ここ5年でこんなにケータイ業界が激変しているのに、5年もそんなことをしていたら業界自体がなくなっているかもしれない。お断りして、他のメーカーも全てあたったんですけど、どこもダメだと言う。そんな中、唯一カシオだけが「面白い。やってみれば」と理解を示してくれたんです。

 2007年当時は就職氷河期で、数年前から大手メーカーが軒並み採用を控えている時期でした。それ以前は100人200人単位で採用していたのが、一人か二人しか採用しないという状況で、私がカシオに入社してみると、10歳くらい上までの先輩がほとんどいなかったんです。世の中のケータイユーザー層はどんどん若年齢化しているのに、40代50代の人たちが作っているので、メインのカシオケータイのファン層も40代である、という状況でした。

 私はケータイ世代でずっとエンドユーザーだったし、販売店でエンドユーザーに売り分ける立場を経験していたので、どんなケータイならみんなが持ちたがるか、ある程度わかっていたんですけど、メーカー側にエンドユーザーの感覚を持った若い世代がいなくなっていたんですね。だから女の子向けはハートやピンク、子供向けはパステルカラーというふうになる。エンドユーザーから見ると、そんなケータイなんてぜんぜん欲しくないですよね。

ケータイを作れないなら会社に残っても意味がない。これまでの経験を活かして秋葉原にカフェをオープン

 最初はソフトバンク社への新規参入を試みている最中の営業部に配属されたんですけど、商品が市場に出るまでは営業として具体的な営業先がなかったこともあり、時間があったので開発現場を歩きまわってはエンジニアに質問したり、営業部長に「私が社内に染まる前にケータイ世代としての企画を作りたいから1カ月時間をくれ」と直談判したりしました。そんな私を型にはめずにのびのび育ててくれたカシオの環境が今の私につながっていると思います。

 カシオは最後発といっていい通信端末開発メーカーだったのもあって、ケータイ部門は極端に人が少なかった。私が配属された新規事業部は、その中でもトップクラスの技術を持った人だけが集められた少数尖鋭で構成されていて、何でもできるような人ばかりだったんです。だから新卒であっても、私も一人で全部できなきゃいけない。

 アイデア出しをして企画を立てて、今度はフィジビリティ・スタディ、構想設計をして、開発部に合意を取る。キャリアに提案して採用が決まったら、それから量産試作をして、量産ができたらプロモーションから販売、品質保証までプロダクトの全責任を持つ。これが2年ほどのタームで、最後に売れた台数でようやく評価されるわけです。常に5機種くらい並行して動かしてましたね。1機種ごとにメンバーが1500人くらいいて、プロダクトの方向性を決めてマネジメントしていくという仕事でした。

 5年勤めたカシオを辞めるきっかけは、もうケータイが作れないとわかったからです。その頃はカシオと日立とNECの合弁会社になっていたんですが、カシオと日立が撤退することになって、NECが資本100%を持つ会社として存続されることになったんです。二度とカシオのケータイは作れないことが決定し、カシオのメンバーを戻す場所がカシオ本体にもなくて、NECに転籍するか、早期退職を迫られたんですね。他のメーカーから引き抜きの声もかかっていたんですけど、結局どこに行っても同じだと思いました。

 早期退職の臨時金と退職金を元手に、秋葉原でカフェをオープンすることにしたんです。私は自分一人ではものを作れないので、カシオ時代はチームでものを作っていたわけですけど、会社を辞めて一人ぼっちになると動いてくれる人もいない。あらためて自分に何ができるかを考えたとき、メニューを考えて店舗設計をしてお店を運営することくらいだなと。これまでに培ってきた企画やマーケティング、販売の経験を違う形に置きかえたのがカフェ経営だったわけです。

諦めずにものづくりをしている私の姿を見て、「なんだか楽しそうだぞ」ということが伝わればいい

upq_sub3 しばらくものづくりから離れていたんですけど、2014年9月にau未来研究所のハッカソン(電子工作イベント)に誘われて、「X-Ben」というIoTのお弁当をみんなで製作したんです。私がカシオにいた頃のエンジニアに比べると出場者の技術力はそんなに高くない。純粋にものづくりに興味があるから電子工作をやっているという感じでした。

 その2カ月後にはDMM.make AKIBAというハードウェアスタートアップ向けのシェアオフィスができたりして、中には本気で起業したいという人も少なからずいて、夜通し何かを作ったりしている感じでした。ものづくりがマイナスの風潮ではなく、プラスの動きに転じていることを実感しましたね。

 2014年末、経産省のフロンティアメイカーズ育成事業を通して、Cerevo(IoT製品を多く手掛ける家電ベンチャー)の岩佐琢磨さんと知り合って「ものづくりに戻ったほうがいいんじゃないの?」と言われて、その後、中国に同行させてもらったんですよね。ただ、手取り足取り段取りを組んでもらったわけではなくて、中国の現場の状況やノウハウを教えてもらい、結果、私がひとりで勝手にスマホのベンダー工場に行って商談、交渉をしました。

 私がカシオに入社した2007年頃から、いずれはSIMロックフリーの時代になると言われていました。そうなればキャリアの枠に縛られず、もっとメーカーの強みが出せる。ようやく「ブランド勝負の時代」になると信じて、カシオ時代も最後まで踏ん張っていたのに、結局、果たせなかったんですね。だけど、今まさにSIMロックフリーの時代が来ている。

 でも、そのジャンルのスマホは、海外に一時的に持っていくだけの最低限のものだったり、親が子に持たせてあげられる安さが売りだったりして、デザイン的に超ダサイ。安いから持つことができるという市場が開けているなら、安くてもカッコイイ、カワイイものを出すべきじゃないかと。それがUPQブランドでSIMロックフリースマホを市場投入しようと考えたきっかけです。

 私にものづくりの面白さを教えてくれたのは、カシオ時代のエンジニアたちです。私が「こういうものを作りたいんだけどできるかな?」と相談したとき、「それは面白いね」と言って夜通し技術開発に付き合ってくれるような人たちだったんですが、カシオと日立のケータイ撤退が原因で目的を失ってしまって、「ものづくりのいい時代は終わったから中澤も諦めろ」とみんなが言うようになっていた。

 ページャの頃から通信に携わってきて、4GもWi-FiもBluetoothもなんでもわかるという高い技術力を持っているのに、いまだに仕事が見つからなくて困っていたり、ぜんぜん違う仕事に就いたりしているんですよね。だけど、今はIoTがものづくりの中心になってきているので、彼らの技術力を活かせる場所があるはずです。

 そもそも私はビジネスで成功したいとか、自分が話題になりたいなんてまったく考えてないんです。会社が離散してバラバラになってしまった開発メンバーたちが、諦めずにものづくりをしている私の姿を見て、「あいつ、なんだか楽しそうだぞ」ということが伝わればいい。日本のものづくりはダメじゃない。もう一度、彼らが奮起すれば、また新たな動きが生まれるんじゃないかと思っているんです。

一人家電メーカー独立ノウハウ集

独立前

一から十までこなす仕事のほうが、人は成長する

カシオ時代の中澤さんの仕事は、商品企画にはじまり、開発メンバーのマネジメントからプロモーションまで、その機種が店頭に並ぶまでの全ての工程に携わるというマルチタスクの仕事だった。当然のごとく超多忙な会社員生活である。他メーカーの場合、それぞれ企画部や宣伝部といった専門職種にわかれ、一から十まで携わることはまずない。一従業員としては不平が出そうなところだが、むしろ中澤さんはとことん仕事に打ち込んできた。こうした仕事観の人こそ急成長する。そして、起業家に向いているのもこのタイプかもしれない。

エンドユーザーの視点を強みにすべし

私たちが家電製品を購入するとき、デザインで選ぶことが多々ある。なぜなら、よほど画期的な機能を売りにしない限り、性能は五十歩百歩だからだ。一時期のガラケーは多機能化することで進化を競い合ったが、実際は不必要な機能が多く、複雑化して使いづらくなるばかりだった。ユーザーが求めていたのは、むしろ使いやすさとデザイン。特に若い世代ほどファッションアイテムとしてのデザイン性を重視する。エンジニアに欠けがちなのがこの視点だ。逆に中澤さんは徹底してエンドユーザーの視点からものづくりに携わってきた。

企画やマーケティングの経験は、他業種でも活かされる

中澤さんが秋葉原にカフェをオープンしたのは、カシオ時代の同僚たちが集まれる場所を作ろうと考えたことが発端。一般的にカフェをオープンするには、開業資金が数百万円、準備期間に数カ月かかるとされているが、カシオ時代に企画とマーケティングの仕事をこなしてきた中澤さんからすれば、迷うこともない。わずか1カ月で店をオープンさせたというから驚きだ。そしてカフェは行列ができるほどの人気店に。現在、カフェ経営とUPQの経営を並行して行っている。

独立後

1年前は不可能だったことが、今では可能に

どうやって「一人家電メーカー」を実現できたのか。もちろん一人で製作しているわけではなく、開発は中国や台湾のエンジニアが担当し、製造は中国や香港の工場に委託している。販売では自社で倉庫を持たずに、DMM.make STOREや量販店の倉庫に納品。数年前には不可能だと考えられていたことが、今では可能になってきているのだ。社内的なコンセンサスを取らずに開発を進められるので、中澤さんのエンドユーザー視点が直接活かされ、UPQのブランド力になっている。

多機能化ではなく、シンプルなかっこよさを目指せ

UPQというブランドの面白さは、スマホのほかに4Kディスプレイや防水カメラ、スーツケースといった多様な商品を発売していること。これらはスマホから削った機能を取り出して生まれた商品なのだという。かつてのケータイは、テレビやカメラ、お財布機能や音楽プレイヤーなど、様々な機能を詰め込んでガラパゴス化した。カシオ時代の中澤さんは、こうした様々な機能の開発にも携わってきたわけだ。UPQのスマートフォンがシンプルさへと行き着いたことで余力が生まれ、カメラやディスプレイを別個に作ろうと考えたことが、バリエーション豊かな商品展開につながっている。

「何をやり続けたいか」を第一に考えるべし

起業を目指す人にアドバイスするとしたら? この問いに対して中澤さんは「起業が全てではない」と話す。多くの人が一人立ちすることを目指すが、実際に起業した人ほど、一人じゃ何もできないことを実感しているものなのだ。それより大切なことは、「自分が死ぬまでに何をやり続けたいか」だと中澤さんは言う。家電ブランドを立ち上げることは、メーカーの経験がなければまず無理だし、センスも求められる。ガムシャラにやってうまくいくものではない。それよりも自分が目指す方向性の企業にジョインしたほうが同じ志を持った仲間との相乗効果もあり、近道ではないかという。

取材・文●大寺 明

蔦屋家電、ビッグカメラ、ヤマダ電機に加え
ヨドバシカメラ全22店舗にて
SIMロックフリースマートフォン
「UPQ Phone A01X」が販売開始
NEWカラーが加わり全6色!

UPQ Phone A01X
メーカー希望小売価格:14,800円
NRホワイト、NRブラック、ホワイトBG、ブルー・バイ・グリーン、ホワイト、ブラックの全4色

・Andorid 5.1 OS、1.3GHz Quad core CPU搭載
・内蔵メモリ16GB
・マルチタッチ対応
・4G LTEバンド1、バンド3、バンド19、バンド28に対応
・4G/3G/GSM対応の「micro SIMスロット」を2つ搭載
※日本国内SIMカードと海外現地SIMカードを同時に挿入しておけば、差し替えの手間なく日本でも海外でも快適にお使いいただけます。
・5メガのメインカメラと2メガのインカメラを搭載
※ピースサインや笑顔で自動シャッターを切ったり、肌をキレイに撮影するモードなど多数の機能を搭載しています。

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