宿無しが宿を作った。外国人に町の魅力を伝えるゲストハウス品川宿が語る独立ノウハウ

宿場JAPAN 渡邊崇志
宿場JAPAN 渡邊崇志(わたなべ・たかゆき) 1980年東京都生まれ。大学卒業後、大手メーカーに入社。2008年の退社後、米国カリフォルニアに留学し、移民学校に入学。帰国後、六本木のホテルで修業しながら同志社大学大学院の社会起業プログラムに参加。その後、品川の「まちづくり協議会」に1年間参加し、並行して浅草の外国人旅館で修業。2009年にゲストハウス品川宿をオープン。2011年に宿場JAPANプロジェクトをスタート。2014年にBamba Hotelをオープンした。※写真はBamba Hotelにて撮影

shukuba_sab02――独立DATA――
●29歳
【開業資金】計900万円
<内訳>
・保証金5カ月分など入居費 450万円
・改装費 200万円
・エアコン、テレビ、電話など備品破棄費用 20万円
・エアコン、パソコン、家具など設備投資 120万円
・運転資金 110万円

――事業内容――
株式会社 宿場JAPAN
・2009年開業
・2011年法人化
・スタッフ/7名(うち清掃スタッフ2名)
品川でゲストハウスを営業し、国際交流、多文化共生に取り組むことで地域活性化に貢献している。これまでのゲストハウス経営のノウハウを活かし、日本各地にゲストハウスののれん分けをするプロジェクト「宿場JAPAN」を2011年より展開。2014年より古民家をリノベーションしたBamba Hotelを営業。

海外バックパッカーの旅では、素泊まりのゲストハウスが基本。しかし、日本の宿泊業は予約を入れる1泊2食付の宿が大半だ。自由気ままな旅を求める人にとって、こうした宿泊業の形態がネックになる。海外を旅した経験のある人なら、「もっと日本にもゲストハウスがあればいいのに」と一度は思ったことがあるはず。宿泊業で開業して、日本をもっと旅しやすくしよう。

幼い頃からホテルが憧れでした。高3で家を出て、ホテルのバイトとバックパッカー旅に明け暮れた日々

shukuba_sab01 母がかなり破天荒な人だったんです。若い頃は寺山修司の劇団「天井桟敷」にいて、そこで出会った人と結婚して僕が生まれるわけですけど、離婚と再婚を繰り返して、幼い頃から都内を転々とする生活でした。僕はもともと内向的な性格だったんですが、転校を繰り返したことで外向きの性格になっていったように思いますね。

 2歳から5歳までは母の実家があった品川で暮らしたんですが、僕が16歳のときに再び実家で暮らすことになった。家業が食肉の問屋を営んでいて、祖父が仕事の後に品川のホテルパシフィックによく連れていってくれたんです。ラウンジでクリームソーダを飲むのが楽しみで、僕がホテル業に就きたいと思うようになったのは、この原体験が影響していると思いますね。

 しばらくして伯父が家業を継ぐことになって「面倒を見てやってる」という雰囲気になったんです。伯父にも子供がいましたから肩身がせまかったですね……。伯父は職人気質の厳しい人で、僕に家業を継がせるつもりでした。「勉強ができなければ跡を継げ」となるので勉強を頑張って、「勉強だけではダメだ」となれば、ラグビー部に入ってスポーツに打ち込んだ。そうやって伯父の要求に応えることでかわしていたんですが、高3のときに「家業を継ぐか、家を出ていくか」と選択を迫られたんです。

 すぐに家を出ることにしました。このとき、ホテル業に就きたいと思ったんですよね。母が難病を患って働けない状態だったので、ラグビー部伝統のビル清掃のアルバイトで生計を立てて、ホテルの仕事に就くために観光学部のある大学に進学しました。大学時代はホテルとカフェのバイトをかけもちして、他にも配膳の仕事を派遣でやったりして、ホテル業務をひと通り経験しました。アルバイトが自分の財産になると思ってましたね。

 その一方で、お金ができるとバックパッカーで海外を旅するようになった。初の海外がタイで、その後、東南アジアを中心に中国、カナダといった国を旅しました。ゲストハウスに泊まると、ローカルの人と交流できることが楽しかったですよね。部屋が満室でオーナーの家に泊めてもらったり、お金じゃ買えない体験が得られるんです。

 タイのアオナンビーチで、ガイドブックにも載っていないゲストハウスに泊まったことがあるんです。オーナーがツリーハウスに住んでいて、その夜、友達の誕生日を祝ってくれた。朝の干潮の時間に隣の島まで一緒に歩いて行ったり、コーヒーをご馳走してくれたりもして、あの自由な感覚を今でもたまに思い出すんです。

大手メーカーのやり手営業マンが3年目で突然、退職。住所不定無職となり、何のあてもなくアメリカへ

shukuba_sab04 バックパッカー旅をするうちに、さらに宿泊業の魅力を感じるようになって、よくゼミの仲間と「日本にはゲストハウスがない」という話をしてましたね。だけど当時は、今ある旅館やビジネスホテルをゲストハウスにしたら面白い、と考えるくらいで自分でやろうとは毛頭思ってなかった。

 就職活動では外資系ホテルと金属素材メーカーの内定が出たんです。当然ホテルに気持ちがなびいていたんですが、母から「ホテルならいつでも働ける。3年だけでもマクロな視点で物事が見えるような経験をしたらどうか」と言われて、たしかにそうだと思った。偶然そのメーカーのヘッドオフィスがバイトをしていたカフェの上の階にあって、縁を感じたこともあってメーカーに決めたんです。

 仕事は自動車メーカーに金属素材を提供する営業職でした。自分が担当する材料が量産車に使用されていく様子を目の当たりにして、「こうやって売上を上げるののか」ということがわかると、現場が一番面白いと感じるようになった。だけど、3年ほどすると、この先に楽しい世界があるとは想像できなくなったんです。

 たとえば昇進して課長になると、会社同士の打ち合わせが中心になって現場から離れることになる。ずっと現場にいたいという気持ちから、もう一度、ホテルの現場に戻るべきだと思いはじめました。会社の業績が好調でしたから、「なんで辞めるの?」とみんなからは不思議がられましたね。だけど、不安よりも好奇心が勝っている状態で、自分としてはこのタイミングしかなかった。

 すぐに10年間住んでいたボロアパートを引き払って、荷物をトランクルームに預けて、まず住所をなくしたんです。退社4日目には渡米してましたね。大学時代、中国に留学をしたときに知り合った日本人の女の子が、アメリカ人アーティストと結婚していて、二人を頼って行った感じで何も決めてなかった(笑)。

 旦那さんの実家がホームステイの窓口になっていて、その家に住まわせてもらいながら、カリフォルニア州が運営する移民学校に通うことにしたんです。移民学校もホームステイも無料だったので、ほとんどお金を使わずに学校に半年間通うことができて、英語も上達しましたね。そのとき、ゲストハウスのプレゼン資料をなんとなく作ったりもしていて、気持ちがそっちに向きはじめたんです。

 帰国後しばらくは友達の家を泊まり歩いてました。やたらエネルギーが有り余ってる感じで、よくあるアメリカかぶれみたいになってましたね。でも周りは心配してる、みたいな(笑)。その後、修業をするために六本木のホテルに週5で派遣の仕事を入れてラウンジのリーダー的な役割をやらせてもらって、休みの日は同志社大学大学院の社会起業プログラムに参加することにしたんです。

観光案内所と外国人宿で無賃の修業をした。ついに勝負のときが訪れたが、手元には3万円しかない……

shukuba_sab03 社会起業プログラムの講義を受けるために、金曜夜のバスで京都まで行って、土曜夜のバスで帰るということを1年間続けて、自分なりに頑張っている満足感があったんですけど、最後のプレゼンのとき、何人かいる講師のうちの二人が、僕のことをすごく叱ったんですよね。

「今すぐ帰ったほうがいいよ」と言われましたね。ゲストハウスというと、脱社会的な意味合いでやりたがる人がいたりして、ちょっと浮ついた感じがあるじゃないですか。でもやっぱり開業するとなると、社会に何かしら還元しないといけない。講師は僕の独りよがりな部分を厳しく指摘してくれたわけです。地域に根ざしたゲストハウスをやりたいなら、「早く地元に帰って汗を流すべきだ」と言われましたね。

 講師の厳しい助言で気が引き締まりました。指摘されたことを受け止めて、もう一度資料に盛り込んで提出したら、その二人がすごく力になってくれるようになったんです。今でも無料でコンサルティングをしてもらったり、お世話になってますね。

 その後、物件を探しながら町をぶらついていたら、以前に人から紹介されたまちづくり協議会の会長さんにばったり会ったんです。ちょうど数日前に品川宿交流館という区が運営する観光案内所ができて、どう運営していくかという真っただ中だという話でした。その会長さんは、若い頃、筋金入りのヒッピーだった人で、「品川でゲストハウスをやりたい」という話をしたら、すごく応援してくれたんです。まず地域で汗を流すべきだと考えていたので、品川宿交流館でボランティアの観光ガイドをやることにしました。

 他にも外国人宿の経験を積みたいと考えて、浅草の外国人向け旅館に半年間修行させてもらうことにした。二つとも無賃なので、生計を立てるために夜はスーパーでバイトをする日々です。友達のアパートに住まわせてもらって、なんとか生きている感じで、体力と熱意があったからできたと思う(笑)。

 まちづくり協議会に参加してからは、地元のお祭りを手伝ったりしてどんどん新たな人との信頼関係が築けていけた1年間でしたね。ゲストハウス開業に向けて、品川区の保健所にプレゼンに行ったりもしてたんですが、話せる人が一人いて、廃業するビジネス旅館があることを電話で教えてくれたんです。隣の建物との壁が密接しているため壊せない物件で、宿の用途で借りてくれる人には市場価格より20万円ディスカウントしてくれるという話でした。場所的にも願ってもない話だったので、人生に勝負ポイントがあるとしたら、まさに今だと思った。だけど、手元には3万円しかない……。

地域の魅力を掘り起こし、外国人に楽しんでもらうことが商店街の活性化にもなる。宿は手法の一つです

 物件を借りるだけでも450万円、改装費や運転資金も含めると最低700万円は必要になる。それまでまったく頼ってこなかったのに、親戚中に土下座して回りましたね。だけど、伯父だけには頭は下げなかった(笑)。品川区の創業支援課の斡旋で信用金庫から融資を受けられることになり、母から借りた300万円を元金にお金を借りられることになったんですが、それでもまだ足りない。

 最後に「もしお金を貸してくれる人がいたら紹介してください。やらせてもらえるなら死ぬ気で頑張って絶対に返します」とまちづくり協議会の発表会で頭を下げたんです。そしたら横にいた人が「大丈夫だよ。俺が貸してやるから」って。もう大号泣ですよ。そのときは本当に生きていて良かったと思った(笑)。

 僕はこれまでずっと人とのつながりを足し算のように積み重ねてきたようなところがある。それこそが財産だと考えているんです。たとえば自己資金が1千万円あって地域との関係がゼロだったとする。そうすると地域に数百万円は落とさないと関係は築けないものですよ。逆にたとえ自己資金ゼロでも、これまでに無賃で働いて関係性が築けていれば、バランス的には同じですよね。お金だけで換算できない価値があると思うんです。

 今でこそ羽田空港が国際化されたり、2020年の東京オリンピックで追い風が吹いているけど、2009年当時はゲストハウスで開業しようという風潮はなかった。外国人に宣伝する必要があったので、成田空港に毎日通ってバックパッカーの外国人に声をかけるようにしましたね。ほかにも成田空港と東京駅の観光案内所にチラシを置いてもらったり、外国人と知り合うたびにチラシを渡したり、あらゆる努力を惜しまなかった。そうやって3カ月もすると部屋が満室になるようになったんです。やったらやったぶんだけ効果を実感できましたね。

 品川は羽田空港や新幹線のアクセスがいいだけでなく、商店街には東海道の宿場町だった頃の面影が残っています。ゲストハウス品川宿はかつて高杉晋作が定宿していた遊郭の跡地にあって、近くには神社仏閣や史跡名所もあるし、飲食店や銭湯もも多い。そうした地域の魅力を掘り起こしてエリアマップや地域新聞を作ってるんです。外国人観光客に品川を楽しんでもらいながら、近隣のお店には外国人のニーズを伝えるようにしてます。そうすることで外国人客が喜ぶと、近隣のお店も嬉しい。それを演出している僕らも嬉しい。僕らはそれを感動循環型サイクルと呼んでるんです。

 僕がゲストハウスをやりたいと思ったのは、多文化共生社会の基盤を作っていきたいと考えたからです。宿というのはそのための一つの手法と捉えているんですが、地域にとっては開国にも近いものがある。外国人と交流すると、新たな視点で物事が見えて、一瞬で価値観が変わったりするじゃないですか。地域と外国人をつなげることで今日の日本をより良く発展させていきたいと思っているんです。

ゲストハウス独立ノウハウ集

独立前

まずは損得抜きで修業すべし

渡邊さんは浅草の外国人向け旅館で半年間修業すると同時に、品川のまちづくり協議会で1年間ボランティア活動をした。いずれも無賃だ。そうした熱意をちゃんと人は見ているもの。それが渡邊さんへの信頼につながり、融資を受ける際の保証人になってもらえたり、成田空港の観光案内所の人を紹介してもらえたり、多くの手助けが得られた。お世話になった人には今でも連絡をとって現状報告をし、メンターとして様々なアドバイスをもらっているそうだ。

旅館業許可をとるべし

ゲストハウスの開業でハードルとなるのが保健所による旅館業許可の申請だ。衛生面と防災面の二つの着眼点があり、衛生面では清潔なシーツや宿泊客5人に一つのトイレがあるといったチェック項目があり、防災面では火事が起きた際の設備だけでなく、キャパが大きくなると防火管理者の資格が必要になる。厳しい基準をクリアしなくてはいけないため、もともと宿だった物件を改装した方が何かとスムーズだ。エアコンや畳といった備品をそのまま利用できるメリットもあるが、逆に古くて使えない場合は破棄費用がかかるデメリットもある。

賃料の負担を見積もっておくべし

賃貸物件は改装期間も当然、賃料が発生する。ゲストハウス品川宿ほどのキャパになると、半月の賃料でもバカにならない。そこで渡邊さんは先にまとめて入居費を払い、入居日を限界まで遅くしてもらうように交渉。ブランク期間に改装工事をし、契約日と同時にオープンした。また、運転資金は家賃1カ月分以上は残しておきたい。軌道に乗る前に賃料が払えずに行き詰まってしまうケースも少なくないのだ。

独立後

地域との交流を提供すべし

地域に根ざした宿であることがゲストハウス品川宿の特色。日頃からスタッフが地元の祭りを手伝うなどして商店街や町会との関係を築き、祭りや学校、自治会の教育プログラムを外国人客が見学・参加するといったサプライズも提供できるようになった。また、外国人客のニーズを飲食店にフィードバックし、お店が外国人向けの新メニューを作るなど、多文化共生によって地域が活性化する仕組みを作っている。

自ら動いてアピールすべし

海外を旅すると、バスターミナルや船着き場で宿の人が客引きをしていたりする。オープン当初、渡邊さんは成田空港でまさにこれと同じことをやったわけだが、日本人に声をかけていた時期もある。東日本大震災で外国人客が激減したからだ。そこで渡邊さんは品川駅で終電を逃した日本人にビラを配ってまわった。この苦しい時期が数カ月続いたそうだ。商売はいいときばかりとは限らない。仕事への夢や情熱があるからこそピンチのときに踏ん張れるのだ。

さらなる広がりを作り出すべし

渡邊さんはゲストハウスをやりたい人の修業を受け入れ、開業までサポートする「宿場JAPANプロジェクト」を展開している。「のれん分け」というかたちで長野県須坂市に「ゲストハウス蔵」がオープンしたほか、2015年は神戸で開業する予定。現在も長崎と群馬で開業を目指す人が修行している。江戸時代に53もの宿場町が東海道をつないでいたように、日本各地にゲストハウスのネットワークを作る夢があるのだ。ゲストハウス業界全体を盛り上げていくことが、結果的に外国人観光客の増加につながっていくかもしれない。

取材・文●大寺 明

ゲストハウス品川宿
羽田空港から電車で17分、新幹線や成田エクスプレスも利用できる旅の拠点に最適な品川のゲストハウスです。東京らしい高層ビルが立ち並ぶオフィス街の景観と同時に、江戸時代に栄えた宿場町「品川宿」の面影が商店街に今も残り、カフェやレストラン、一人でも気軽に立ち寄れる居酒屋が多数あって町歩きも楽しい。歴史探訪がしたければ近隣の神社仏閣や史跡名所、リラックスしたければ近くに3軒ある銭湯もオススメ。旅の拠点にするもよし、都内観光するもよし、ビジネス利用するもよし。国籍や世代を超えて、さまざまなニーズに応えられる品川の見所を旅好きのスタッフがお伝えします。

・ドミトリー(男女別)1泊3300円(2泊目以降3100円)
・シングル1泊3800円(2泊目以降3600円)
・ツイン1泊7600円(2泊目以降7200円)
※全室エアコン完備

東京都品川区北品川1-22-16
TEL 03-6712-9440
【アクセス】品川駅より徒歩12分

Bamba Hotel
江戸時代に宿場町として栄えた品川。当時の旅には馬がつきもの。その馬小屋が集まっていたのが馬場(ばんば)です。古民家の長屋をリノベーションした「たてもの」の風情と、一棟貸しならではの自由で贅沢な時間をお楽しみください。

【料金】2名1棟32400円~5名1棟45360円
※朝食付き(徒歩30秒の喫茶店にて)

東京都品川区 南品川1-1-2
TEL 070-6486-9444
【アクセス】京浜急行線「新馬場」駅から徒歩1分