格闘ゲーム世界最強を競うプロゲーマーの世界とは!? 「人類性能最強」と呼ばれる天才プロゲーマー・ふ~ど選手が語る独立ノウハウ

ふ~ど/RZR FUUDO(本名:阿井慶太)
ふ~ど/RZR FUUDO(本名:阿井慶太) 1985年千葉県生まれ。「Team Razer」所属のプロゲーマー。2003年頃から『バーチャファイター』の全国大会で名を馳せ、2005年に国内最大級の大会「闘劇」の『バーチャ4』部門で優勝。2009年に「World Cyber Games」の『バーチャ5』部門で優勝。2011年にアメリカで開催される「EVO2011」の『スーパーストリートファイターIV AE』」部門で優勝。この他、「TOPANGAリーグ」「GODSGARDEN」でも優勝し、5大会制覇の偉業を達成。2015年には『ガンスリンガーストラトス2』のチーム戦で優勝を果たした。

fuudo_sub1――独立DATA――
●27歳でプロ契約
【開業資金】0円
ゲームはプロゲーマーになる前から買い続けているので、特に開業資金といったものはない。しいてあげるなら、技術向上のためにアーケードゲームに費やす費用が増えた程度。去年は『ガンスリンガー ストラトス2』に100万円をつぎ込んでいるが、2015年の大会でチーム優勝を果たし、賞金125万円を獲得。これまでの獲得賞金は1500万円を超える。

――事業内容――
プロゲーマー
2011年にゲーム周辺機器メーカーの『Razer』とスポンサー契約を交わし、チームの一員として国内外の大会に出場。また、Razerのアーケードスティックの開発にも参加。プロゲーマーとしてゲーム専門のネット番組に出演するほか、ゲーム雑誌の企画にも多数登場。

仲間内でダントツにゲームが上手い子っていませんでした? ある種の才能だと思うわけですが、これまではゲームが上手くてもどうなるわけでもなかった。しかし、海外ではプロスポーツ選手と同じようにプロゲーマーが成立し、近年、日本でも次々とプロが誕生。ただしその多くは兼業プロで、ゲームの腕一本で生きている人は一握り。今回取材したふ~ど選手は「人類性能最強」と呼ばれる正真正銘のプロ。道なき道を歩むその生き方とは?

みんなの溜まり場だった駄菓子屋のゲームが原点。全国大会出場がきっかけで、ゲームが遊びから競技に

 幼い頃は駄菓子屋のゲームでよく遊んでましたね。ゲームを中心にみんなが集まる場所みたいになっていて、対戦ゲームだと仲間内で最強みたいな(笑)。だけど、10歳くらいのときにその駄菓子屋がなくなってしまって、船橋のららぽーと(ショッピングセンター)のゲームセンターに通うようになったんですよ。

 当時は『ザ・キング・オブ・ファイターズ』がすごい流行っていて、3キャラ対戦の1キャラだけ自分がやったり、みんなお金をなるべく使わずに遊ぶように工夫してましたね。限られたお小遣いでいかに長く遊ぶかとなると、負けないことですよね。今プロゲーマーとして活躍している人も、昔はみんなそういう感じで強くなっていったんだと思う。

 ゲームが上手かったこともあって、ゲーム好きの店員さんと仲良くなったんですよね。当時、オレが11歳くらいで店員さんが24歳くらい。ゲームセンターのゲームだけじゃなくて、家庭用ゲームやカードゲームをして夜の8時頃まで遊ぶようになって、家まで車で送ってもらったりしてましたね。店員さんと仲がいいこともあって、とにかく居心地のいい場所でしたね。

 ところが、そのゲームセンターが小ぎれいなデートスポットに改装されてしまったんですよ。ゲームコーナーが縮小されてビリヤード場になって、店員さんはビリヤード場のスタッフになった。その影響で、今度はビリヤードを毎日やるようになった。当時は小学生で一番ビリヤードが強い自信がありましたよ(笑)。

 12歳のときに『機動戦士ガンダム 連邦vs.ジオン DX』にハマって、津田沼駅と船橋駅のゲームセンターまで足を伸ばすようになった。2対2の対戦ゲームで、ちょっと怖いと思いながらも知らない人と組むわけですけど、次第に常連になって、千葉県内ではそこそこ知られるプレイヤーになったんです。

 並行して『バーチャファイター3』をたまにやってました。同じ段位の対戦相手に勝つと段位が上がるというシステムがあったので、自分と同じ段位の人を見つけたら入るという程度だったんですけど、17歳のときに船橋でバーチャ3の大会があって、よくわからずに出場したら優勝してしまったんですよね。そのまま地区大会でも優勝して、全国大会に行くことになった。予選から数えると数千人規模の大会で、そこから一気にモチベーションが上がったんですよね。自分の中で格闘ゲームが競技っぽくなっていった。

格闘ゲームが強くなるほど、その世界で名が知られ、人間関係が広がった。それが、いつの間にか仕事に

fuudo_sub2 それから、より強い相手を求めて、全国で一番ハイレベルとされていた新宿電気街のゲーセンに遠征するようになった。全国大会に出場したことで自分のことが知られていて、みんなに歓迎されてスゲエ楽しかったですよね。集っているのは最高段位の実力者ばかり。千葉でセコセコ段位を上げていたのが一気に落とされて、また千葉に戻って段位を上げる。そして週末はまた新宿で再挑戦するということを繰り返してました。

 そんなとき、バーチャのチームに誘われたんですよ。チーム対戦で全国大会優勝を目指している30代前半くらいの人がいて、強いプレイヤーを集めていたんです。その人自身がバーチャのプレイヤーで個人的にチームを運営していたわけですけど、今でいうプロチームの走りだったかもしれない。代々の資産家で所有している2DKのマンションを練習場として開放していて、地方から出てきて住んでる人もいた。バーチャの世界では名が知られている人ばかりいて、毎日チャリで通ってましたね。そこで相当鍛えられた。

 当時はとにかくすごかったですよね。全国大会が関西で開かれるとなると、出場メンバーだけじゃなく、関係者40人くらいの大所帯で移動してホテルも食事も最高級なんですよ。たぶん2日間の遠征で百万円以上は出費していたと思う。自分のチームを1位にするためならお金に糸目はつけないという感じでしたけど、残念ながら全国大会では優勝できなかった。目標を達成できなくて、その後はゆるやかに自然消滅していきましたね。

 その頃はプロゲーマーなんて存在していなかったので、ゲームを仕事にしようとも思っていなかった。それが、19歳のときに同じくバーチャープレイヤーだったゲーム制作会社の副社長と親しくなって、格闘ゲームのデバッグの仕事をするようになったんです。

 それが1年くらいで、その後はゲーム雑誌の『電撃』編集部で5年くらいゲーム攻略ライターとして働いてました。それも新宿のゲームセンターで知り合った人が『電撃』編集者だったという経緯で、プレイヤー同士は会う前から互いに知っていて、すぐに仲良くなれるものなんですよ

 攻略本でいいものを作るということは、とにかく時間をかけるということなんです。特に『電撃』はガチだったので一切妥協しない。寝袋で編集部に1週間泊まり込みとか普通にやっていて、当時は『電撃』編集者と一緒に住んでましたからね(笑)。

 それが通称「人間学園」というシェアハウスです。最盛期にはゲーム好きが10人くらい住んでいて、筐体も置いてあったので、ゲームセンターが0時で閉店したら、みんなでシェアハウスに集まってまたゲームをやるという毎日。5年以上住んでたんですけど、家賃を払ったことがない(笑)。ゲームの腕を上げるにはとにかくいい環境でしたね。

アメリカの世界大会で優勝し、海外メーカーとスポンサー契約。未知の生き方だからこそ面白いと思った

 初めて『バーチャ5』の全国大会で個人優勝したのが21歳のとき。だけど、特に感慨はなかった。当時はバーチャの大会がとにかく多かったんです。毎週土日はどこかしらで大会が開かれているような感じで、週末はいつも大会に出場してました。一番多いときで年間50大会くらい出場したこともあって、逆にちょっとバーチャから離れていた時期だったんです。

 転機になったのは、アメリカで開催される「EVO2011」に出場して、『スーパーストリートファイターIV AE』」部門で優勝したこと。その頃はまだ日本勢があまり出場していなかったこともあって、一回くらい世界大会に出てみたいと思って友人3人と20万円ほど自腹を切って行くことにした。場所もラスベガスだし、旅行がてらという感じだったんですけど、そこで優勝してしまったんですよね。

 優勝したことで、Razer(ゲーム周辺機器メーカー)からスポンサー契約の話をもちかけられて、すごく面白い話だと思いましたね。プロゲーマー自体、誕生して間もない未知の仕事だから、逆に自分に向いていると思った。実は他の会社からもスポンサードの話が来ていたんですけど、当時のRazerにはまだ格闘ゲームのプロゲーマーがいなかったので、自分のカラーを出して好きにやれるんじゃないかと思ったんですよね。

 プロゲーマーになるにあたってゲーム攻略ライターの仕事から離れることにしたんですが、『電撃』編集部との付き合いは今でも続いていて、新しいゲームが発売されると、とりあえずオレがプレイして解説するという企画をよく依頼されるんです。どんなゲームでもすぐに上手くプレイできるので、編集部からしても便利なんですよね。

 オレみたいに3Dゲームの『バーチャファイター』もやれば、2Dゲームの『ストリートファイター』もやるというのは珍しいタイプなんです。プロゲーマーとしては、一つのゲームに特化したほうが絶対に有利なんですけど、自分としてはどんどん新しいゲームをやっていきたい。そのほうが飽きずに楽しめるし、ゲーム業界にずっと関わり続けることができると思うんです。

 プロになって生活が変わったことは特にないですね。ゲームセンターに行くときに「出勤に行く」とギャグで言うくらい(笑)。早めの時間帯に行くと強い対戦相手がいないので、夕方以降が勤務時間になります。面白い勝負をするのが目的だから、なるべく強い人がいる環境を選んでますね。

プロゲーマーが活躍することでゲームが世間の注目を浴びる。そうなれば、ゲーム業界はより発展するはず

fuudo_sub03 プロゲーマーがこれだけ増えても、大会で優勝できるのはたった一人ですから、賞金だけで食っていくのはやっぱり難しい。上位レベルになると時の運もあって、勝敗は本当に水ものなんですね。だけど、プロゲーマーという肩書き自体がかなり強い言葉なので、これを機にその肩書きを使ってアプローチしていくべきなのかな、と考えるようになりましたね。

 プロゲーマーが成立したのも、自分がどうこうというより、業界が良くなったことが大きい。以前は最高100万円ほどだった賞金が、今はEVOの賞金が500万円ほどで、毎年夏に行なわれるカプコンカップの賞金が1500万円というように年々良くなっているんですよね。

 だけど、オンラインゲームのFPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム)やRTS(リアルタイム・ストラテジー)の世界では、かなり昔からプロゲーマーが成立していて、RTSの7対7のチーム戦の優勝賞金が10億円だったりするんですよ。賞金を7人で割っても人生のゴールみたいなものですよね。

 つまり一概にプロゲーマーと言っても、サッカーとラグビーが完全に違うスポーツであるように、格闘ゲームとFPSやRTSでは発展の仕方がまったく違うんです。格闘ゲームの世界は一番賞金が高くても1500万円。オンラインゲームの賞金に比べるとぜんぜん安いんですよね。

 格闘ゲーム業界でいうと、まずは賞金がもっと上がってほしいと思ってます。やっぱり賞金が高額であることの社会的インパクトはすごく大きくて、そのゲームのプロモーション効果も大きい。RTSの世界大会で10億円の賞金が出るなんて、多くの日本人は知らないですよね。それは日本人が勝てなくてニュースにならないからなんです。もしこれが格闘ゲームだったら、日本人が勝てる可能性が相当高い。

 格闘ゲームで10億円の大会があったら、「おまえはゲームの才能があるから、もっとやったほうがいい」と逆に親が言いだすかもしれない。もしプロ野球選手が年収300万円という世界だったら、親は子どもに野球をやらせないですよね。何億円も稼げる可能性があるから野球に集中することが認められてるわけです。ゲーム業界も賞金が上がって、プロが活躍できるようになれば、もうちょっとゲーム好きの人間が住みやすい世の中になるんじゃないかと思いますね。

 プロスポーツやプロ棋士の世界、芸能界もそうですけど、プロが稼げる仕組みを作ったことで、それを目指す人が増えて、競技人口が増えていったと思うんです。そうやって業界的に目標を作り出すことで、業界全体が盛り上がっていくものだと思う。

 プロゲーマーとしては、まず賞金が高くなって、日本人として自分が優勝することが目標です。そうすることで「みんなゲームをやりましょう」と言われるような環境を作って、夢のある仕事にしていきたいと思ってます。

プロゲーマー独立ノウハウ集

独立前

ゲーム好き同士の人間関係を広げるべし

格闘ゲーム最激戦区だった新宿のゲームセンターに出入りしていた頃、よくパーカーのフードをかぶってプレイしたことから付いた異名が「ふ~ど」である。バーチャの大会で知られていたこともあり、すぐにプレイヤー同士で仲良くなることが多く、ゲームを通して人間関係が広がったことがふ~ど選手の財産。バーチャ好きの人がその後、ゲーム会社に勤務することが多々あり、現在は10年以上も前の知人からよく仕事のオファーが入るそうだ。遊び仲間が時を経て仕事仲間になった。

プロゲーマーを目指すなら、大会慣れすべし

ゲームセンターの勝負ならば、数回対戦してどちらが本当に強いかを競えるが、大会は1回勝負で時の運もある。さらには大会特有の緊張感もあり、たとえプロであっても普段は絶対にしないようなミスをすることが多々あるそうだ。大会で常に結果を出すには平常心が大切。ふ~ど選手の場合は多数の大会に出場することで、大会を日常的なものにしている。そして、自分が緊張していれば相手も緊張しているわけだから条件は「イーブン」と考えるようにしている。身体能力を競うわけではないゲームの世界では、精神状態が勝敗を左右するのだ。

自らより強い対戦相手を求めるべし

対戦ゲームで勝つのは快感だ。これを求めて弱い相手がいる環境を好む人もいるが、プロゲーマーになる人はむしろ逆。『ドラゴンボール』の悟空と同じで、自分と同等以上に強そうな人がいる環境を求める。腕を磨くにおいて、自分よりも格下の相手と対戦することはむしろ逆効果。実力差のある勝負をしても技術の向上にならず、勝つ喜びもない。ふ~ど選手は千葉で最強になった後、より強い相手を求めて新宿に遠征し、全国大会に出場しまくった。そして今では世界最高峰の舞台に立っているのだ。

独立後

ゲームが強くなるには、反射神経よりも「知識」が重要

ゲームの上手い人は反射神経に優れているイメージがある。しかし、ふ~ど選手によると、それより圧倒的に重要なのが「知識」だという。相手の技に対して「この動きで対応できる」という操作が格闘ゲームには山ほどあり、それを知っているか否かで差がつく。一見、相手の動きに合わせて瞬時に反応しているように見えるが、実は相手の技を予測して、事前にスティック操作をしているのだ。格闘ゲームで日本勢が強いのもプレイヤー同士で情報交換と研究を重ね、「知識」を蓄積しているからなのだ。

副業もいいが、あくまで本業で勝負すべし

ふ~ど選手は、ネット番組『勝ちたがりTV』にレギュラー出演(毎週火曜日21時放送)。視聴者数が常時7千~1万以上という人気動画となっており、ユーチューバーとして副収入を得ていくことも可能だが、今のところ、自ら積極的にそれを本業にするつもりはないそうだ。プロゲーマーはやはり「選手」なので、あくまで試合で結果を出すことが本業。結果を出せばスポンサーの広告塔としての機能も果たすことになり、自分の知名度も上がってゲーム業界で長く活躍できるという考えだ。

プロゲーマーは試合で結果を出すことが必須条件

プロゲーマーのスポンサー契約とは? Razerの場合、選手に対して年間予算が組まれ、その予算の中から海外大会の出場費用などをあてる。そうして残った金額と大会賞金が選手の収入になる。つまり海外大会に頻繁に出場すると、獲得賞金が多くなる可能性があるかわり、渡航費がかさんでベースとなる収入は減る。そのためどの大会に出場するかを事前に交渉するそうだ。ふ~ど選手の場合、できる限り多くの大会に出場するようにしている。結果によって来期の契約条件がアップすることもあれば、契約金額のダウンや契約打ち切りもありうる。このシビアな条件を楽しめるか否かがプロの条件といえるかもしれない。

取材・文●大寺 明

ゲーマーのためにゲーマーが作る
Razer

「For Gamers. By Gamers.(ゲーマーのためにゲーマーが作る)」をスローガンとする、高性能ゲーミングハードウェアの世界的なリーディングカンパニーです。1998 年に設立され、カリフォルニア州カールズバッドに所在する本社のほか、全世界に9カ所の事務所を構えています。世界的なトーナメントにおいて勝負を行うプロゲーマーたちに愛されているRazer 製品をご使用いただければ、最先端のテクノロジーや数多の賞を獲得したデザインにより、他のゲーマーを抑えて優位に立てるはず。