釣りと冒険の専門ショップオーナーは、もと釣り雑誌の名物編集長。世界を旅する釣りプロデューサーが語る独立ノウハウ

水口謙二
水口謙二 1970年愛知県生まれ。オートバイ雑誌の編集を経て、1997年に『ルアーマガジン』の創刊に携わり、2003年に編集長に就任。2005年に姉妹誌の『ルアーマガジンソルト』を創刊。その後も『ルアーマガジンリバー』『磯釣りスペシャル』『ちぬ倶楽部』を創刊し、5誌の編集長を兼務。2011年3月に退職し、株式会社ジェットスロウを設立。2014年に通販サイト『冒険用品』を立ち上げ、2015年にアンテナショップを八王子にオープン。釣りを基点に世界を旅することをライフワークにしている。

boukenyouhin_sub1――独立DATA――
●40歳で独立
【開業資金】 300万円
会社設立の際に300万円を資本金にあて、海外渡航費や自身の給料などの運転資金とした。ちなみに第二の開業ともいえる2014年オープンの通販サイト『冒険用品』開設では、WEBサイト制作費に約100万円、2015年のアンテナショップのオープンでは、開業費に約100万円がそれぞれかかっている。

――事業内容――
釣りと旅と冒険の専門ショップ
冒険用品by 株式会社ジェットスロウ

釣り具用品・アウトドア用品・旅行用品のネット通販サイト『冒険用品』を運営。自社ブランドとして機能性ウェアや釣竿などの企画・製造を行うほか、海外から仕入れた輸入製品の販売も行う。そのほか釣り旅の映像DVD制作や雑誌・書籍・WEBコンテンツの制作、釣り具メーカーやアウトドアメーカーのプロモーションなど、釣りと旅に関するメディアとプロダクトを総合的にプロデュースする事業を展開している。

取材で八王子の郊外を訪れた際、『冒険用品』というなんとも“アウトドア魂”をくすぐられるショップを見つけた。駅から遠く離れた立地になぜこんなマニアックな店が? 話を聞くと、通販サイトの倉庫として借りた物件をせっかくなのでアンテナショップにしたとのこと。しかもオーナーは釣り業界では知らない人はいないという、もと釣り雑誌の名物編集長だった!

大学卒業と同時に職無しに。パチプロから雑誌編集者となり、18年にわたる編集者人生がスタート

boukenyouhin_sub3 独立前は『ルアーマガジン』という釣り雑誌の編集に14年間携わってたんです。今でこそ釣り関連グッズの販売を手がけてますけど、『ルアーマガジン』の編集をはじめるまで、実はほとんど釣りに興味がなかったんですよ(笑)。

 僕が大学生だった頃(1992年頃)は、雑誌編集者が花形職種でそう簡単になれない時代でした。ずっと出版社志望で就活をしてましたけど、一次審査すら通らない。ようやくとある教育系出版社の内定が出たんですが、研修5日目で辞退してしまったんです。出版社ではあるんだけど、押し売り的なビジネスをやっている会社で、「人としてこれはやりたくない」と思うような仕事だったんですよね。

 こうして大学卒業と同時にいきなり職無しです(笑)。そこで3、4カ月の間、パチプロで生計を立てていたんですよね。月に200万円くらい稼いだこともあったんだけど、そのままパチプロで生きていこうとはとても思えなかった。一日中パチンコを打つのって想像以上の重労働で、実際パチプロは早死にする人が多いんです。

 その後、パチプロとして技術と経験を培ったことで、パチンコ雑誌の編集部に入ることができたんです。編集作業を覚えるために2年ほど働いたんですが、そうすると実務経験ができて出版社の転職が有利になるんですよね。当時の僕はオートバイが一番好きで、ずっとバイク雑誌を作りたいという夢があった。たまたまオートバイ雑誌が編集者を募集しているという話を同僚から聞いて、すぐに面接試験を受けに行ったんです。

 だけど最初は「絶対に受からない」と思いましたね。わずか1、2名の募集枠に200人以上が面接試験に来ていて、みんなリクルートスーツなのに僕だけポロシャツにジーパン(笑)。面接でも近頃のバイク雑誌が面白くない理由をズケズケ言って、若気の至りとはいえ、今となっては大変失礼だったなと(笑)。

 ところが、これが受かったんですよね。編集経験があったのと、逆に目立ったというのもあると思うんですけど、後になって小論文試験の内容がよかったと役員の方に教えてもらいました。バイク雑誌の企画がテーマだったんですけど、入社後に実際にその企画が『ヤングマシン』の記事になったんですよね。それから『BiG MACHINE』という大型バイクの雑誌が新創刊されることになって、創刊メンバーに加えてもらうことになったんです。

 こうしてバイク雑誌の編集者になって2年ほど経った頃、ブラックバス釣りが流行っているということで『ルアーマガジン』の創刊が決まって、今度は釣り雑誌の創刊メンバーになるんです。当時の僕はバイク雑誌を作りたかったし、釣りは中学生のときにやっていた程度で興味もない。最初はちょっと抵抗がありましたね。

釣りに興味がなかった男が、雑誌編集を通してどんどん釣りの魅力にのめり込み、ついには名物編集長に

boukenyouhin_sub5 ところが僕はなんでも楽しんでしまうタイプなので、釣り雑誌を作っていくうちに、どんどん魚釣りにのめり込んでいったんですよね。それまでの釣り雑誌は伝え方の面でもの足りない部分があったと思うんです。僕の編集方針は、常にサプライズを提供すること。やっぱり驚きや刺激がないと読者はついてきてくれないし、自分の人生においても楽しくない。常に雑誌ならではの面白さを優先してオリジナルの企画で勝負したところ、創刊5、6年目で『ルアーマガジン』は業界誌ナンバーワンになったんですよ。

 32歳のときに編集長になったんですが、僕はどちらかというと企画屋タイプの編集長でしたね。新たに海釣りの専門誌『ルアーマガジンソルト』を創刊したり、トラウトの本や磯釣りの本を作ったりして、もともとあったレジャーのジャンルごとに次々と専門誌を作っていったわけです。

 編集長として連載もいくつか持ってました。釣り業界の有名人と一緒に釣りをして遊ぶ様子を面白おかしく記事にするわけです(笑)。実はこのときからちょっと考えがあった。漠然とですが、いつか独立する日が来るだろうと思っていて、連載は“自分ブランディング”でもあったんです。

 誌面に自分が出ることで顔も売れるし、釣り業界のいろんなメーカーや有名人とも交流ができる。実際、今では釣り業界で僕のことを知らない人がほとんどいないくらいになっていて、独立した後も一般の人から「水口さんですよね」と声をかけられたりする。やっぱり連載をやってよかったな、と思いますね。

 『ルアーマガジン』の編集長だけでなく、創刊した雑誌も含めて5誌の編集長を兼務するようになって、最終的には編集局長と執行役員という役職になりました。取締役の話もあったんですけど、現場から離れたくなかったので、編集長はやらせてくれ、とお願いしましたね。たしかに給料はよくなるかもしれないけど、経営面の業務がメインになることに抵抗があったんです。

 とはいえ役員会議に出たり、社内的な問題解決にあたる必要も出てくるし、編集局長として釣り雑誌以外のバイク雑誌や車雑誌のことも考えなくていけない。「これは僕がやりたい仕事じゃない」と思うようになって、じょじょに気持ちが離れていったんですよね。

 こうして2008年頃から退職を考えるようになったんですけど、当時は紙の雑誌の需要がどんどん落ちているときで、最盛期には15万部ほどだった雑誌が、同じ手間で作っているのに5万部程度まで落ちているような状況だったんです。時代の流れを感じましたね。18年間やってきた編集という仕事に対しても、やりきったような達成感があった。人生一度きりなんだから今度は社長をやってみたいという、ちょっと子どもっぽい考えもあったかもしれない(笑)。

退職と同時に、人生が地響きを立てて動きだした。アマゾンの釣り旅をきっかけに海外に目が向かうように

boukenyouhin_sub2 だけど5誌の編集長を兼務しているわけだから、そう簡単には辞めさせてもらえない。2011年に退職したわけですけど、独立を考えはじめてから3年もかかってるんです。どうやって会社を説得したかというと、辞める前年に一誌ずつ編集長をあてがって、全体的に統括する役回りを自分で作っていったんですよね。その体制が整って、これでいよいよ辞められると(笑)。

 退職届けが受理された日、解放的な気分になって会社を早引けしたんですよ。そしたら家に帰る途中、3.11の東日本大震災が起きたんです。ちなみに地震によって会社で使っていたiMacも壊れてしまった。その翌月、釣り好きが集まるイベントが急遽、震災救済イベントになって、そこで後に仕事のパートナーとなるTERUと出会うわけです。

 彼は10年くらい釣りをしながら海外を放浪してきたという男で、「アマゾンがすごいから、来年来てください」という話になった。で、本当に行ったわけです。海外の釣り旅はそれまでにも北米で経験してましたけど、初めての南米はやっぱり怖かったですよね。病気のこともあるし、原住民に襲われるんじゃないかって(笑)。

 これまでに南米、北米、ヨーロッパ、アフリカ、東南アジア、オーストラリア、ロシア、イランなど22カ国を旅しましたけど、ベスト3を選ぶとしたら確実にアマゾンが一番か二番に入ると思います。「こんなにすごい大自然が本当に地球上にあるんだ」ということを体中で感じられるんですよね。

 初めてブラジルに行ったとき、ネルソン・ナカムラというブラジルで一番有名なプロアングラーと出会えたことも大きかった。彼がプロデュースするルアーブランドをうちで扱っているんですが、僕がネルソン・ナカムラの映像作品や本を作ったことで、頼んだところすぐにOKがもらえたんです。普通はこうはいかない。これも頻繁にブラジルに行って関係を深めていったからだと思います。

 一方、仕事の面では、独立直後は釣りのWEBマガジンを立ち上げるつもりだったんですよ。以前から「これからはWEBをやるべきだ」と会社に提言していたわけですが、出版社は古い体質なのでなかなか動かない。今でこそ出版社がWEBに力を入れるようになりましたけど、当時はどの出版社もあまりやってなかったんですよね。それなら自分で作ろう、と思ったわけですけど、いざ具体的に考えると「どうやってマネタイズするんだ?」という根本的な問題に直面するわけです。広告をとるのも難しいし、これはちょっとナンセンスなんじゃないかと。それで違う仕事を考えなくてはいけなくなったわけです。

釣り旅をするうちに、冒険に耐えうる機能性とデザインを兼ね備えた“本物”のギアを自分で作りたくなった

boukenyouhin_sub4 そこで釣り具メーカーやアウトドアメーカーのプロモーションの仕事をはじめることにしたんですね。まず最初に釣り具メーカーに営業をかけたんですが、『ルアーマガジン』の編集長として顔が売れていたので、すぐに仕事になった。プロカメラマンにきれいな写真を撮ってもらって、編集長時代に表紙のキャッチを考えてきた技術を使って新商品のコピーを考える。WEBページをきれいに作ってSEO対策もSNSの拡散も万全にやりますと。そうすると、どのメーカーも飛びついてくるんですよね。

 そして実際にかなり売れたんです。「次もお願いします」と続々と仕事が来るようになって、多いときは15社と取引きをしてましたね。3年間はプロモーションの仕事をみっちりやって、そのままずっと続けてもよかったんですけど、途中から人が作ったものをどうこうするというのではなく、自分オリジナルのブランドを作りたくなりはじめたんです。

 それはカンボジアで釣り旅をしたことがきっかけでした。高温多湿の国に行くと僕はいつも汗疹ができていて、涼しくて速乾性にすぐれた釣り用ウェアが欲しかったんですよね。独立後にたまたま経営学を教えてもらっていた講師が、リタイアする前に大手流通グループのプライベートブランドをすべて手掛けていて、「作れないウェアはない」という方だったんです。

 こうして初めて作ったのが「アルタミラ」という釣り用ウェアです。これが売れに売れたんですよね。当初はメールと代引きで販売していたんですけど、通販サイトを作ったほうがいいということになって、どうせだったらきれいなサイトを作って商品ラインナップも充実させようとなった。こうしてどんどん本格的な釣りと冒険グッズの通販サイトになっていったんです。

 今はモノを売るのが仕事なわけですけど、僕はモノにもストーリーがあると思っていて、雑誌のコンテンツみたいなものだと考えてます。だから商品紹介はすべてストーリーとして書いています。たとえば「アルタミラはこうして生まれた」というストーリーにして、1年間の耐久テストの模様を書いていく。こうした手法ができるのも、編集経験があるからだと思いますね。

 今は年に4回以上は海外を旅しているんですが、僕には仕事と遊びの線引きがない(笑)。ただ釣りをしているわけではなくて、ハイエンドのカメラ機材を持っていって写真を撮ったり、自社ブランドのウェアや釣竿を現地でテストしていて、ザックが15キロもあるんですよ。それ以外にも現地のショップやアウトドア展示会を見て回ったり、何かしら仕事に関わることをしてます。実は水鳥のように必死に足を動かしてるんですよね(笑)。

 やっぱり海外製品を見て刺激を受けると、自分の商品を作りたくなるし、帰国して家に帰ると夜通しかけて原稿を書いたり写真を整理したりしていて、みんなからはずっと遊んでるように思われがちなんですけど、自分としてはずっと仕事をしているような感覚なんです。むしろ人並み以上に働いていると思う(笑)。仕事を仕事と思わない感覚だからこそ、やっていけるのかもしれないですよね。

冒険用品店独立ノウハウ集

独立前

「キャッチコピー」のセンスを磨くべし

編集者のセンスが問われるのがキャッチコピーだ。特に表誌のキャッチは雑誌の売上を左右することがあり、編集長の重要な仕事のひとつ。水口さんは5誌の編集長を務めたキャッチ作りのエキスパートだったわけだが、独立後はプロモーションの仕事でこの技術が大いに活かされた。たかが言葉と侮ることなかれ。商品のポスターやパッケージに記されたキャッチコピーひとつで売上が大きく変わることがあり、実はセンスと経験がものをいう非常に価値の高い技術なのだ。そして現在も自社ブランドの商品紹介でこの技術が直接的に役立っている。

仕事を通して、その道の「名人」に教えを乞うべし

一言で「釣り」と言っても湖の釣り、渓流釣り、磯釣りなど実に幅広い。たいてい「名人」と呼ばれる人はどれかひとつのジャンルに特化しているものだが、水口さんのようにオールラウンドにどの釣りもできてしまう人は珍しい。これは各ジャンルの専門誌の編集長として、その道の名人に教えを乞うことができたからだ。仕事として割り切るのではなく、自らとことん釣りを楽しんで記事にする。こうして幅広く一流の技術を学んだことが、あらゆるフィールドの釣りと冒険をサポートする『冒険用品』のコンセプトにつながっているのだ。

「なんでもやる」仕事で、できることを増やすべし

編集者という職業を水口さんは「なんでもできる人間を育成する仕事」だと話す。たしかに企画から取材の段取り、外部スタッフのディレクションなど編集者の業務は膨大。現在の水口さんの仕事は、サイトのテキスト作成や映像プロデュース、『冒険用品』ブランドの企画制作など実に幅広いが、これもマルチタスクを日常的にこなしてきた編集経験があってこそ。WEBや映像コンテンツを作ることは、雑誌の企画考案となんら変わらないという。ちなみに編集者としてカメラマンに指示を出してきたこともあって、今ではプロと遜色ない撮影技術を持つ。

独立後

自分が欲しいと思える「本物」のギアを追求すべし

『冒険用品』の主力商品である機能性ウェア「アルタミラ」は、なんとテストに1年間を費やした。高温多湿の国で自ら着て釣りをし、涼しさや速乾性、紫外線や虫対策など、快適に過ごせるかを徹底的に検証したのだ。ウェアのテストにここまで時間をかけるのは異例のことだが、釣竿やルアーの耐久テストでは1年以上テストをするのが一般的。水口さんは「アルタミラ」を釣りと旅のためのギアと捉え、一切妥協しなかった。この姿勢が多くの人に支持され、発売直後から人気アイテムに。デザイン的にもファッショナブルなことが魅力だ。

「ギブ&テイク」で仲間との協力関係を築くべし

水口さんの釣り旅の相棒であるTERU氏やブラジルのプロアンガーであるネルソン・ナカムラ氏は、今では日本の釣り好きの間で有名な存在だが、もともと彼らが世に知られるきっかけを作ったのが水口さんだ。彼らの本や映像作品をプロデュースすることで交流を深め、今では仕事のパートナーになっている。「ギブ&テイクじゃないですけど、彼らから教わったことも多い」と水口さんはいう。互いに教え学びあう協力関係を築くには、まず自分が提供できることで相手に感謝されることが大切になる。

目先の損得よりも「ブランディング」を優先すべし

水口さんは年間60日以上、海外を長期旅行する。現地で商品を仕入れたり、海外の釣り旅の模様を映像DVDにして販売することもあるが、自腹なので旅費や制作費を引くと赤字になる。しかし、水口さんはすべてひっくるめて「ブランディング」と考えているため問題ないそうだ。ちなみにDVDで自社製品の宣伝をすることもない。まずは「愉快なやつら」だと思って楽しんで映像を見てくれれば、次第にファンができて「この人の着ている服が欲しい」となるはず。そうした視聴者がいずれは『冒険用品』のお客になってくれると考えているのだ。

取材・文●大寺 明

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釣り・旅・冒険の専門ショップ
冒険用品

世界への旅、自国内の旅、または数時間、数分のAround youな近場の遊びまで、過酷な冒険から小さな冒険までをサポートしています。プロダクトと行動を共にした方がどんな感想を持たれたかを何よりも大切にし、代表の水口謙二とスタッフが「本物」として認めたギアだけをセレクト。機能性や耐久性だけでなく、デザイン的にも常に“冒険野郎”でいられるためのギアを世界各地に旅をして探し続けています。「本物」を求める方はぜひ一度サイトを訪れてください。
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冒険用品
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東京都八王子市恩方町1817-2

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