路上酒場から都内3店舗の人気店に。ダイニングバー「青二才」店主が語る独立ノウハウ

株式会社青二才代小椋道太(おぐら・どうた)
株式会社青二才代表取締役 小椋道太(おぐら・どうた) 1980年岐阜県恵那市生まれ。大学在学中に吉祥寺のダイニングバーのホールスタッフとして飲食業を経験。卒業後、九段下の和食料理店で修業を積む。休みを利用して井の頭公園で「井の村」を主催し、その後、三鷹で日曜のみ「青二才」を営業。27歳で独立し、阿佐ヶ谷にダイニングバー「青二才」をオープン。2013年に2店舗目の中野店をオープン。2015年5月、神保町に3店舗目をオープンさせる。

aoni_pr――独立DATA――
●27歳で独立
【開業資金】計1600万円
<内訳>
・店舗の保証金 200万円
・内装工事費 800万円
・什器代、設備費 100万円
・仕入れ、ユニフォーム代など諸経費 100万円
・運転資金 400万円
【必要資格】食品衛生責任者

――事業内容――
●ダイニングバー
青二才
開業:2007年オープン
従業員:11名
古民家を利用した阿佐ヶ谷の隠れ家ダイニングバー「青二才」の営業。2店舗目の中野店は「日本酒バル」として日本各地の銘柄が楽しめる。2015年5月に3店舗目の神保町店が新規オープンするため、スタッフを募集している。

友人との共同創業は途中で仲たがいすることが多いとされている。しかし、阿佐ヶ谷と中野に2店舗をかまえるダイニングバー「青二才」は、高校時代の旧友コンビで創業し、8年を経た今も良好な関係だ。さらには3店舗目のオープンも決まって絶好調。そんな人気店のスタートは、なんと井の頭公園の路上酒場だったという。酒場を盛り上げていくための秘訣とは?

先が見えた気がして悶々としていた23歳の頃、「やっちゃえばいいじゃん」の一言が後押しした

 実家が岐阜県恵那市の割烹料理屋なんです。中3のときに突然、父が交通事故で他界してしまって、それからは母が店を切り盛りして、自分もちょくちょく手伝ってました。その頃は家業を継ぐもんだと思っていて、調理師専門学校に行くつもりだったんだけど、母が「大学は行っておけ」と言う。将来、実家に帰ったときに店の経営に生かそうと思って経営学部に進んだんですが、ろくに勉強もせずに吉祥寺のダイニングバーでバイトばかりしてましたね。

 地元の飲食店は、経営者が調理もするしサービスもするという家族経営の店ばかりだったので、経営者、店長、料理長、ホール責任者というふうに、一つのお店の中に専門職が何人もいる東京の飲食店はすごいと思った。その頃から、東京でやってみたいという気持ちがかすかに芽生え始めたんです。

 アルバイト先の店長と料理長が独立しようとしていて、僕が大学を卒業するのを待ってオープンするから、着いてきてくれって誘われたんです。独立する人に着いていけるわけだから、これはいい経験になると思って、二つ返事でしたね。だから就職活動は一切しなかった。

 お店は九段下の高級和食料理店だったんですが、ランチ営業もしていたので、月曜の朝から土曜の終電までスケジュールがびっしり。最初は独立を間近で見られて刺激的だろうと思っていたんですが、働きはじめて1、2週間もすると、自分の中に停滞感を感じはじめるようになった。それだけ働いても、自分は40代半ばでカウンター8席くらいの小さな店を持てる程度だろうな……と先が見えた気がしたんです。

 悶々とした日々を過ごしていたとき、唯一の休みの日曜日に友人のアメリカ人と吉祥寺の井の頭公園で昼から飲んでたんです。今は登録制になっているけど、当時はそこかしこで勝手にシートを広げて、手作りアクセサリーを売ったり、似顔絵を売ったり、楽器を演奏してる人がいて、自由なムードが溢れていた。そのときの自分からしたら、たとえ露天であっても自分で一歩を踏み出している人たちが、すごい輝いて見えたんです。

 そんな光景を眺めながら、「これからどうしようかな」ってアメリカ人と話していたら、「道太もやっちぇえばいいじゃん」と言う。「やる? 何を?」と聞き返したら、「やっぱり道太はお酒でしょ」って(笑)。最初はさすがにお酒はマズイだろ、と思ったんだけど、一回試しにやってみようということになった。

井の頭公園の路上酒場「井の村」が出発点。自分にリピーターがつき、鳥肌が立つほど嬉しかった

aoni_sab02 さっそく次の週にアメリカ人とお酒を持ち寄って、井の頭公園で小さめのブルーシートを広げてみた。珍しい焼酎を並べていたこともあって、立ち止まって見ていく人がいたので、こっちからも勇気を出して「一緒に飲みませんか」と声をかけていると、入れ替わり立ち代わりで7、8人くらいが集まったんです。井の頭公園のそばに老舗やきとり屋のいせやがあるので、そこで一杯ひっかけたおっちゃんたちがちらほら寄ってくれるんですよね。

 初日のお酒が売れ残ったので、翌週、またお酒を買い足して同じ場所でやることになった。すると、先週来てくれたおっちゃんがまた来てくれたんです。鳥肌が立つくらい嬉しかったですね。ずっと飲食店で働いてきて、リピーターがいるのが当然みたいな感覚だったけど、生まれてはじめて自分にリピーターがついた。自分で商売をやるってこういう気持ちになるのか、とあらためて実感して、ますます自分の店を持ちたいという気持ちに火が点いた。

 自分で何かをやろうと思っても、当時の僕には経験もないし、お金もないし、コネもなかった。だけど、井の頭公園でシートを広げてやれば、それが全部解決すると思った。しかも、まず自分が飲みたいわけだけど、お酒一杯300円で売れば、その利益でお金を使わずに飲める(笑)。いろんな人とコミュニケーションもとれるし、とにかく楽しくてしょうがなかった。

 それから「井の村」というネーミングで毎週日曜日にやることになって、僕は「村長」と呼ばれてました。どうせやるならもっと大きくやろうということになったんだけど、アメリカ人がビザの関係で帰国してしまったので、一人で桜上水の家から一升瓶を24本かついで電車で運んでましたね。途中から友だちに手伝ってもらうようになって、かなり活気も生まれましたね。

 自分はお酒を通して人とつながることしかできないけど、公園には自分にない才能を持ったいろんな人がいた。一緒に何かできたら楽しいだろうなと思って、パフォーマンスをしてくれる人にはお酒をタダで振る舞うことにしたんです。マッサージができる人、三線を弾く人、似顔絵を描く人、キャンドルアートの人というふうに巻き込んでいったら、これまでのお酒目的の人とは異なる子連れの親や若い人といった違う層の人も来てくれるようになって、毎週100人くらい来るようになった。これまでなかった人の流れができて、これは最高に楽しいと(笑)。あの頃の井の頭公園は、本当に自由でしたよね。

高校時代からの相棒と、日曜のみ営業の「青二才」をスタート。いよいよ独立に向けて腹をくくった

aoni_sab03 結局、井の村は3年間やりました。やっぱり相当変わったことをしているわけだから、常連さんにいろいろ聞かれるんです。それで「そういえばオレ、東京で店を持ちたかったんだよな」とあらためて思いだした。そんなとき、知人が独立して三鷹に飲食店を出したんです。子どものために日曜を定休日にするという話だったので、高校の同級生である神谷(現在・店舗統括責任者)と一緒に日曜だけ店を居ぬきで借りて営業してみることにした。

 そこで初めて「青二才」という店名を付けたんだけど、その由来を覚えてない(笑)。いい店名を思いついたら互いにメールで送り合うことにしていたんですけど、ピンと来る店名がなくて、ギリギリまで決まらなかった。どうしよう……と思っていた矢先、神谷から「いいじゃん、これ」というメールが来た。どうやら自分が「青二才」と書いて送ったらしいんだけど、前日すっごい飲んでいて、メールを送った記憶すらないくらいで(笑)。

 三鷹の青二才は15席の小さなお店だったけど、井の村の常連がそのまま場所を移して飲みに来てくれて、毎週50~60人のお客さんが入れ替わり立ち代わりで満員電車みたいな感じでした。そこでもみんなから「次は何するの?」と聞かれるわけです。本人は何の気なしに聞いてるだけなんだけど、自分の中で勝手にプレッシャーになっていて、いよいよ腹をくくるしかないと。

 三鷹で1年営業してある程度の貯金ができたのと、当時、5年勤務すると創業支援の助成金が200万円出る制度(※ただし行政書士の報酬が20%だったので実質160万円)があったので、そのタイミングで九段下の店に独立したいと伝えました。話をわかってもらえて、最後のほうはシフトを緩くしてくれてありがたかったですね。

 自分と神谷でお金を出し合って、親戚からもお金を借りたけど、それだけではやっぱり開業資金が足りない。さらに国民金融公庫から1千万円借りて、全部で1600万円準備しました。初めての経験で先が読めなかったので、ある程度の運転資金を残しておきたいという気持ちもありましたね。

 準備は整ったわけだけど、店を始めるとまとまった休みがとれなくなると考えて、1カ月かけて二人で日本一周の旅に出たんです。仕入れ先を探す旅という名目だったけど、実際は存分に楽しもうという(笑)。北は岩手と秋田、南は鹿児島まで行ってほとんどの県は周りました。マン喫に泊まったりして節約しながら、土地土地のお酒も飲んだし、美味いものも食べたし、いろんな人に出会った。それが今の接客に活かされてますね。いろんな県を知っていると、お客さんの地元の話で盛り上がったりして、仲良くなりやすい(笑)。

お店を盛り上げる秘訣は、自分も飲んでお客さんと仲良くなること。まずは一緒に乾杯しましょう!

aoni_sab01 旅から帰ってすぐに中央線で物件を探したんだけど、これがなかなか決まらない。金額面と坪数の問題もあったけど、それ以上に面白い物件かどうかを重視していたからです。いわゆる飲み屋街で普通に店を出しても目立たない。井の頭公園でやっていたときと同じノリで、どうせやるなら誰も来ないようなエリアに店を出して、新たな人の流れを作りたかった。

 ようやく見つかったのが、阿佐ヶ谷の住宅街方面にある3階建ての古民家。井の村と三鷹の時代があったから、さすがに1週間くらいはひっきりなしにお客さんが来た。近所でも「すごい盛り上がっている」と評判になって、地元の人も来てくれるようになったんです。

 お客さんを呼ぶ秘訣は……普段どういうふうにやってるんだろ? いつも自分が真っ先に楽しんじゃうもんだから(笑)。うちのスタッフは飲みながら営業するようにしてるんです。こっちが飲んでいたほうが、お客さんも気が楽なんじゃないかと思って。だから、このお客さんともっと仲良くなりたいっていうときは、テキーラで乾杯する。乾杯ってすごいと思っていて、一瞬で打ち解けることができるんですよね

 最初の頃は、テキーラを伝票につけたり、常連さんに振る舞う場合は伝票につけなかったりで曖昧だった。それが面倒だということで、いっそのこと金輪際テキーラはタダにしようということになった(※メニューには載っていない。あくまでその場のノリで振る舞われる)。それまでホットペッパーなどに出していた広告を全部やめて、その予算をテキーラに回すことにした。蕎麦屋の「あがり」みたいなもんで、言わずともそっと出てくると嬉しいじゃない。

 カウントダウンやクリスマスは相当盛り上がったんだけど、住宅街だから、住民の方からクレームが来たんです。井の村だったら、そこで辞めちゃえばいいのかもしれないけど、店を構えるとそうもいかない。かといって、そこで大人しくなったら、うちの良さもなくなる。どうすれば、住民の方に認めてもらえるだろうと考えて、近所のゴミ拾いをすることにしたんです。

 もともと暇なときに一人でゴミ拾いをしてたんだけど、お客さんを巻き込んでやれば、けっこうな規模になる。多少うるさいけど、悪い人たちじゃないから……っていうことで(笑)。毎月1回ゴミ拾いで集まることにして、終わった後にビールを一杯乾杯するというイベントにしたんだけど、それが発展して1時間ビール飲み放題になって、さらには1時間じゃ面白くないということで、店を休みにしてお客さんと飲む会になった(笑)。

 結局、自分が飲むのを許してほしくて、みんなに飲んでもらってるのかもしれない(笑)。とにかくお客さんと仲良くなって気分よく飲んでほしいんです。この仕事の面白いところは、まさにそれ。たまたま店で出会ったお客さん同士が結婚したり、スタッフ同士が結婚したり、いろんな人の人生に触れることができて、自分の人生も豊かになる気がする。そういう楽しさをとっちゃうと、こんなに長くは続けられなかったと思う。なにしろすごい働いてるからね(笑)。

ダイニングバー開業ノウハウ集

独立前

自発的にアクションを起こすべし

大道芸や手作りアート作品の露天商で賑わう井の頭公園だが、小椋さんの場合、「自分のパフォーマンスは酒である」とばかりに、珍しい焼酎が一杯300円という路上酒場を開催した。違法かもしれないが、たとえば花見やオフ会で幹事にお金を出してみんなで飲むのは一般的なこと。たとえその場で知り合った人でも友人といえば友人とも言え、グレーゾーンである。そうした行為を薦めているわけではなく、まずは自発的にアクションを起こすことが大切。

周囲に独立の意志を伝えるべし

小椋さんは井の村時代に、独立したいと周囲に話していた。そこで教えられたのが、5年勤務で資格が得られる創業補助金の話だった。ホールスタッフとして働いているだけでは、そうした込み入った話をする機会もないが、個人的にアクションを起こすと、助言してくれたり、情報を教えてくれたり、様々な協力者が現われるものなのだ。また、自分の決意を固めるためにも、独立の意志を言葉にするといいだろう。

相棒を作り、夢を語らうべし

共同創業者の神谷さんは、もともと飲食業をやりたかったわけではなかった。家業が由緒正しい書道家で、自分も書道家になるつもりだったが、それでいいのか?と悩んでいたところ、小椋さんが飲食業に誘ったのだ。小椋さんが小さな高級店で働いていたことから、神谷さんには大きなレストランバーで接客の経験を積んでもらい、足りない部分を補うことにした。また、二人いれば2店舗目を出す際にも分担できる。

独立後

飲み屋はテンションが命

飲み屋は「盛り上がっている」という雰囲気が大事。これは人に依存する部分が多く、スタッフが一人抜けただけで客足が遠のくこともある。青二才でも2年目にスタッフが一人抜けたことで、負のスパイラルに陥った。他のスタッフが休めなくなり負担が増し、どんどん士気が下がっていったのだ。そこで小椋さんは、とにかく自分が飲んで楽しそうに振る舞うことにした。そうしたムードはスタッフに感染し、さらにはお客にも感染していくものなのだ。

新たな目標を作るべし

青二才は2013年に中野に2店舗目をオープン。同じ場所で同じ顔ぶれでやっていると停滞感が生まれるが、新たな環境ができると、スタッフも新鮮な気持ちで仕事に向かえる。2015年5月には神保町に3店舗を出店するが、これは大手不動産会社が、青二才の評判を聞きつけ、建設中のビルのテナントに入ってほしいと依頼されてのこと。経営者は常に次の目標を作り、スタッフの意欲を鼓舞していく必要がある。

法人化して助成金制度を活用すべし

青二才は2014年に法人化したが、これはビルのテナントに入るための条件だった。法人化することにより経理面が煩雑になり、会計事務所と社会労務士に依頼することになった。小椋さんはなるべく店に立ちたいタイプの経営者だが、今では休み返上で事務作業に追われる日々。しかし、社会労務士を入れることで、従業員一人につき年間90万円支給という助成金制度の情報が得られるというメリットもあり、相殺するとプラスになる場合もある。

取材・文●大寺 明


隠れ家ダイニングバー
阿佐ヶ谷 青二才

美味い酒、美味い料理が存分に楽しめる隠れ家ダイニングバー。1階のコンセプトは「一期一会」として、新たな出会いと再会を演出。広々としたカウンターと大人数でも座れるテーブル席があり、一人でもカップルでも楽しめます。2階のコンセプトは「憩い」として、ゆったり寛げるソファとスタッフ手作りの床の間があり、20人程度のパーティも可能です。カウントダウン、クリスマスなど季節のイベントのほか、不定期で「今月のアソビ計画」を開催中!

〒166-0001 東京都杉並区阿佐谷北1-34-5
TEL 03-6750-8231
【アクセス】JR阿佐ヶ谷駅北口より徒歩約5分
【営業時間】18:00~翌3:00(不定休)

※2015年末に建物の老朽化により阿佐ヶ谷店は閉店となります。それまで楽しくやってるので、一緒に乾杯しましょう!

日本酒バル
中野 青二才

中野駅すぐそばという抜群の立地にある日本酒バルです。スペインの街角にある気軽な酒場をイメージした店内で、全国各地の日本酒とこだわりの料理が楽しめます。あなたとの“乾杯”をスタッフ一同心よりお待ちしております。

〒164-0001 東京都中野区中野3-35-7 松井ビル1F
TEL 03-5340-1231
【アクセス】JR中野駅南口より徒歩約2分
【営業時間】17:00~25:00(不定休)

神保町店5月NEW OPEN
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