人気ブロガー・村上福之が語る「非コミュ」エンジニアが独立するための知恵と勇気

株式会社クレイジーワークス 代表取締役 総裁・村上福之さん(38歳)
1975年大阪府生まれ。大学卒業後、関西の大手家電メーカーに5年勤務。退職後、オーストラリアに1年間滞在し、永住権を取得。帰国後の2004年に有限会社を設立。独自開発した動画コーデックが経済産業省主催の「ドリームゲートグランプリ」で2位となり、審査員を務めたGMOインターネット熊谷会長の支援で上京。2007年に株式会社クレイジーワークスを設立。電子書籍プラットフォーム「androbook」や音楽配信プラットフォーム「andromusic」を開発。

<独立データ>
28歳で独立
【独立資金】125万円
・法人登記代25万円
・資本金100万円

【事業内容】
開業:2004年
コンピュータに関わる業務全般(独立当時)
※その後、2007年に設立した㈱クレイジーワークスの事業内容は「スマートフォンとケータイを中心としたソリューションとシステム開発」。

独立してノマド生活に憧れるエンジニアは多い。しかし、独立後は自分で営業をする必要が出てくるため、コミュニケーションが苦手なことがネックとなっている人も少なくないだろう。「非コミュ」を自認する村上福之さんは、エンジニアの本音と業界動向を鋭く捉えたブログが評判となり、営業代わりに仕事へとつなげていったそうだ。人気ブロガーの山あり谷ありの独立エピソードを伺った。

一介の新入社員が、大手家電メーカーのプリンタードライバーを勝手に自作し、社内で物議をかもす

RIMG0006_sab2プログラミングに興味を持ったきっかけは、ファミコンなんですよ。14800円のファミリーベーシックを買って自分でゲームを作れば、ゲーム3本分以下の値段で永遠にゲームができると思ったんです。近くの本屋でプログラミングの本を見て、「目コピ(見て記憶すること)」でプログラムを覚えましたね。でも、がんばって『ポートピア連続殺人事件』みたいなゲームを作っても、自分が作ったゲームで遊ぶのは案外、楽しくないものなんですよね(笑)。

中学に入ってからはMSXというパソコンを買ってプログラミングをするようになった。雑誌の『MSX-FAN』を愛読してたんですけど、プログラミングの投稿コーナーが盛り上がってたんです。投稿している人は僕と同じように中学生とか高校生ばかりで、ラジオのハガキ職人に近いものがあった。僕もプログラミングを投稿するようになって無駄に切磋琢磨してましたね(笑)。何度か掲載されて、1本3万円くらいの原稿料までもらえた。でも、お金以上に自分が作ったプログラミングが世に知られる喜びが大きかったんです。当時の僕は学校ではネクラな少年だったので、ひっそり雑誌に載っていることが、唯一の居場所みたいな感じだったんです。

でも、それを将来の仕事にようとまでは考えてなかった。大学3、4年になると周りは就職活動を始めるわけですけど、当時はバリバリの就職氷河期。そうなると、やりたい仕事というより、「とりあえず入れるところに入ろう」となったんです。なんとか大手家電メーカーに就職することができたんですが、新人がいきなり製品開発を任せてもらえることはないので、最初の1、2年はプリンターのプロダクトマネージャーをしてました。要するに、納期を決めて外注の人をまとめる進行管理みたいな仕事ですよね。職種はエンジニアでしたけど、プログラムを書くことはなかったんです。

次第に進行管理の仕事にも疲れてきて、嫌になってきた。そんなとき、開発中だったプリンターを家に持ち帰って、プリンタードライバーを自分で作ってみたんです。「これで全部印刷できました」と上司の机に置いておいたら、「今まで2億4000万円くらい下請けに払ってたのはなんやったんや!?」ということで大騒ぎになった。社内でもめにもめていたところ、商品開発研究所の主席技師の方が「動いている物が一番正しい」と会議で言ってくれて、僕の作ったプリンタードライバーで商品化されることになったんです。

世界標準規格を作ってきた日本の家電業界に陰りが見えはじめ、「この業界に未来はない」と退職

それ以来、僕が出ないと会議が始まらないという感じになってきて、新人として議事録をとる必要もなくなった。その家電メーカーの開発ペースはすごく遅くて、1年に1機種くらいしか作らないのでヒマなんですよね。それなのに派遣社員をいっぱい雇用しているから指示を求められる。やる気のない態度をとっていたら、商品研究開発室の上司が「ファイルシステムは好きか?」と聞いてきたので、「あのロジックは好きですよ」と答えたら、SDカードのプラットフォームのチームに異動することになったんです。

最初は「SDカードなんか広まるわけがない」という感じだったんですけど、朝から夜10時まで「すげえ楽しい!」と言いながらプログラムを書いてましたね。日本の家電メーカーがエレクトロニクスの世界標準規格を作っているんだという誇りもあって、やる気もあったんです。でも、もう一つ関わっていた携帯電話のチップのプラットフォームを決める事業があって、日本の家電メーカーがことごとくダメで、結局、韓国メーカーになった。かつて、そうしたモジュールは全て日本製だったわけですけど、逆に全部、日本製じゃなくなったんです。

そうなると、ただ組み合わせてるだけですよね。「これから先、日本メーカーはかなりしんどいぞ」と思うようなりはじめましたね。韓国のサムスンは夜の11時に決まったことが朝の6時には出来上がっていたりして本当に早いんですよ。日本だったら労働組合に殴られそうな開発スピードですよね。それに比べ、日本の家電メーカーは開発スピードは遅いし、利益率が一桁台前半だったりする。だから給料も安い(笑)。

本当に技術が好きで部屋にこもってコードを書いていたい人というのは、朝までプログラムを書いていたりして文句を言うヒマもないわけです。逆に何もしていない偉い人が、根回しをして部下の実績を自分の手柄のようにするから給料が高かったりする。それが会社を辞める理由ではないけど、なんだか疲れたなぁという感じでしたね。

離婚を経験してメンタル的に落ち込んでいたこともありますけど、日本の家電業界に未来を感じなくなったことが会社を辞める大きな要因でした。この業界にいてもお金持ちになれるわけでもないし、個人的にも未来を感じなかった。

コンピュータに囲まれた世界から、一転してオーストラリアの無人島へ。永住権を取得するも……

会社を辞めてやることがなかったので、とりあえずエンジニアとして憧れだったシリコンバレーに行こうと思ったんです。天王寺の海外留学センターに行って「離婚して人生に疲れたんで、ちょっとアメリカを見てきたい」とおばちゃんに話したら、「人生に疲れたんならオーストラリアに行きなさい」と言われて、ワーキング・ホリデーの制度で行くことになった。今思うと、オーストラリアの方がコミッションが高かったんでしょうね。

最初は語学学校に通ってたんですけど、しばらくしてMBA受験コースに転籍させられて、その後、自然保護ボランティアの体験コースに参加させられたんです。「とりあえず寝袋を持ってきてください」と言われて集合場所に行くと、『進め!電波少年』のごとくいきなり車に乗せられて無人島に連れて行かれた。そこで2カ月間、木やサボテンを切ったりしてましたね。欧米人と韓国人しかいない環境だったので、英語を覚えることができて結局は良かったんですけどね。

それまではコンピュータやケータイに囲まれて、職場もプログラミングを理解した人ばかりの世界に生きていたわけじゃないですか。ドイツやアメリカの研究機関と連係しながら製品を作ったりもしていて、「俺の仕事はグローバル」と思っていたのが、実は狭い世界で生きていたんだと実感しましたね。無人島で砂浜に穴を掘ってう○こをすることもまたグローバルですよ。実際にそういう生活をしている人がまだまだ世界には沢山いますから。

オーストラリアには1年いたんですけど、ヒマを持て余して「ワーホリの間に永住権をとったらすごい」という話になった。さっそく移民局に行ったところ、「独立技術永住ビザ」という素晴らしい制度があることがわかったんですが、これがけっこう大変でしたね。高卒レベルの英語が話せることと、大学で専門的な教育を受け、それに関わる仕事を18カ月以上やっていることが条件。証明する書類を全部提出する必要があって、給与明細から何から何まで揃えるのにすごい手間がかかりましたね。

意外と永住権はあっさり通ったんですけど、ワーホリのビザが切れるのと永住権交付までに間があったので、一端帰国する必要があったんです。永住権を取得しておいて言うのもなんですけど、基本的にテクノロジーの先進国というと日本とアメリカと韓国、他はちょっと中国が入ってくるくらいで、オーストラリアは先進国じゃないんです。オーストラリアはちょっと働けばそこそこの収入が得られるし、社会保障も充実していて、暮らしやすさでいうと最高です。でも、仕事が大好きという人はたぶんイライラする国だと思う。あらためて考えると「これはないわ」と思って日本に戻ることにした。

起業後、マンガ喫茶に2日こもって書き上げたプログラムが「ドリームゲートグランプリ」の2位に

RIMG0024_sab1帰国後、転職サイトに登録したら、出てくるのが前職と同じような家電メーカーばかり。また同じような仕事をやる気になれなくて、会社を作ろうと考えたわけですけど、帰国したばかりで頭の中が南の国の人だから、やる気が出ない。何もしないでダラダラしていたらオカンに怒られるので、とりあえず法務省のHPを見たところ、会社登記のテンプレートがあった。わからないところは空欄の状態で提出したら、法務局のおっちゃんにえらい怒られて(笑)。1時間くらい教えられながら、直し直し書類を書いたら、なんとか僕でも会社を設立できました。

有限会社設立の認可が降りるまでに当時3週間くらいかかったんですよ。その間、ヒマだったので派遣会社に登録したところ、派遣先が大手通信会社の電子書籍事業部だったんです。派遣でシステム作りの仕事をしながら会社設立の準備をしていたわけですが、会社が出来たので辞めようとしたら、僕が作ったシステムをどうする?という話になって、結局、僕の会社が全て受注することになったんです。

その案件だけで十分やっていける金額だったんですけど、それだけじゃつまらない。派遣のときの同僚を3人引き抜いて、WEB制作会社を作ることにしたんです。でも、WEB制作も初めてだし、営業もやったことがない。とりあえず近くのWEB制作会社に行って「営業したいんですけど、どう言うたらいいんですか?」と訊ねたら、「何かないですか?」と言えばいいと教えられるような感じで(笑)。そもそもHTMLもわかってないのに、京都大学のWEB制作の仕事を回してもらえたんです。

でも結局、WEB制作は相見積によって単価がかなり下がっていたので、すぐに辞めることになった。一人社長になって、どうしようかな……と思っていた時期に、自分で作ったプロダクトをmixiの投稿フォームにアップしたら、派遣のときと同じ大手通信会社系列のコンテンツ会社が興味を示してきた。「ケータイ電話で動画を配信したいが技術がない」ということだったので、東京で打ち合わせをした後、すぐに梅田のマンガ喫茶に2日間こもって一気にプログラムを書き上げたんです。

当時のガラケーは動画を10秒くらいしか再生できないものが多かったんですが、僕は2時間再生できるプログラムを作った。さっそく持って行ったら、「企画がなくなった」と言うんです。「マンガ喫茶代いくらかかっとると思っとるんや!」とぶちギレそうになりましたね。気持ちが治まらないので、経済産業省主催(当時)の「ドリームゲートグランプリ」に持ち込んだところ、2位に選ばれた。そのときの審査員がGMOインターネットの熊谷会長とタリーズコーヒージャパン創業者の松田さんだったんです。そこで人脈ができたことは大きかった。

上京後はブログが営業代わり。「とりあえずコンパイル」する勇気があれば、独立もなんとかなる

GMOインターネットの熊谷会長から東京に来るよう誘われたんです。僕はそれほどお金に執着がないので、「場所だけ提供してほしい」という話をしたら、タダで社長室の隣の部屋を2年ほど借りることができた。上京した直後はずっとブログを書いてましたね。次第にいっぱいアクセスが集まるようになって、「なんかヘンなやつがいる」と評判になった。ブログを読んだ方からゲーム制作や組み込み系案件の仕事を沢山依頼されるようになったんです。

独立を目指している人にアドバイスするとしたら、とりあえずブログを書くといいですよ。僕は営業が好きじゃないから、ブログが営業がわりになってます。あとは問い合わせたいことがあれば、とりあえず企業のHPの問い合わせフォームから「こんなの作ったんですけどどうですか?」と連絡してみてることですね。そうすると本当に仕事が来たりする。何ごとも「とりあえずコンパイル」する勇気ですよ。

とはいえ、独立後は山あり谷ありです。良かったときは、ガラケーのソーシャルゲームのバブル。スマホの時代になってからはアプリ開発の工数が増えるので、受注額の割が合わないときがある。ガラケーのソーシャルゲームの1アイテム300円もスマホアプリの1アイテム300円も売上は同じですよね。でも、手間はアプリの方が100倍かかる。開発費がかかるので、スマホのソーシャルゲームですごい黒字になっている会社は意外と少ないものなんですよ。

独立してやっていきたいんだったら、次に続く可能性のない仕事はやらない方がいい。安くて将来的にもつながらない案件というのが腐るほどあるものなんです。それは人生の無駄ですよ。特にネット業界はランキング操作やステルスマーケティングといったブラックな仕事も多い。世の中のためにならない仕事というのは、協力してくれる人が極端に減るから、そこには広がりもない。僕は“世の中のためになる仕事”をやりたいと本気で思ってるんです。

クレイジーワークスは、実質、個人事務所でブラックジャックみたいなものですよね。たしかにメシは食っていけるし、株主もいないのでしがらみもなく好き勝手できる。他の上場企業の社長よりはよっぽど気楽な生活を送っていますけど、自分でプログラムを組んでしまうがために人に任せることができなくて、会社を大きくできないことが問題です。本当はブラックジャックも飽きたので、上場を目指したいんです。でも具体的には何も考えてないですけど(笑)。

エンジニアが語る独立ノウハウ

独立前にするべきこと

日本のものづくりを誇りにすべし

大手家電メーカーに勤めたことで、あらゆる製品が人の手で作られたものだと村上さんは実感した。スマホ一つとっても、金型を作る人、テストをする人、タッチパネルの画像調整をする人など大勢の人が一生懸命作っている。「DVDやブルーレイの世界標準規格も京橋で飲んでるおっちゃんたちが作ったことがわかったのは人生の中で大きい」と村上さんは言う。

相場観をつかむべし

「大企業で動いているお金の額は、我々が思っている以上にすごく大きいものなんですよ」と村上さん。大手家電メーカーに勤めたことで、相場観がつかめたことが大きい。普通に会社員として勤めているときの月給の金銭感覚とは一桁も二桁も変わってくるものなのだ。その内の何%かが外注費となって独立後の収入になるので、相場観を知っておくことは大切だ。

電子定款認証で申請すべし

村上さんが法人登記した頃は、行政書士に頼むと高くつくため自分で手続きをしたが、今では行政書士に頼んだ方が安くなる場合も。2007年より電子定款認証がスタートし、ネット経由で申請すれば印紙代4万円が不要となるからだ。ただし電子署名ソフトなどを一式購入して揃える必要があるため、すでに持っている行政書士に頼んだ方が手間も省け、安上がりだ。

独立後にするべきこと

仕事は選ぶべし

独立直後はどんな仕事も受けなければいけないのが現実。ただし、ネット業界はアダルトサイトやステマといったグレーな依頼も多く、どこかで線を引く必要が出てくる。村上さんも独立して間もない頃はケータイのエロゲーのデバッグ作業を請け負ったことがあるが、「心が折れそうになった」と言う。やはり家族や恋人に胸を張って言える仕事を選びたい。

約束を守り、早めに作るべし

村上さんがプロとして心がけていることは、納期などの「約束を守る」ことと「早めに作る」こと。仕事を依頼するとき、お客は頭の中で思い描いている状態なので、出来上がってみると、商品化に向かないということもありうる。そのため村上さんは早めに試作を作り、判断してもらうことにしている。また、間違ったことをしたときは、早めに謝るようにもしているそうだ。

帝国データバンクを活用すべし

独立するとこれまで接する機会もなかったような人との出会いも増え、様々な儲け話を持ちかけられることも増える。しかし、実体のない会社や眉唾の話も多いのも事実。そんなとき村上さんは帝国データバンクで会社名を検索し、会社情報(有料490円)を調べることにしている。検索にヒットすらしない会社名もあるので、そんなときは警戒した方がいいだろう。

取材・文●大寺 明

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著書紹介
『ソーシャルもうえぇねん』
村上福之
Nanaブックス 933円(税別)
『ITmedia』『誠ブログ』『BLOGOS』『エンジニアtype』など5年分、計2200万PVのブログに大幅加筆! Twitterのフォロワー5000人分が3800円、Facebookの「いいね!」が15000円で買える状況に対し、「もうえぇねん」とソーシャルの危うさを語る表題コラムのほか、非コミュのプログラマーが独立するために必要なことなど、エンジニアの本音が詰まった独自の視点が痛快。また、1日で作ったサイトが150万円で落札されたエピソードや、タイ洪水の際に3日で280万円を集めたソーシャル募金の経緯など、村上総裁のプロジェクトが明らかに。