もうすぐ卒業!AKB48グループ総監督「たかみな」から学ぶ人生哲学

現在のアイドルブームの火つけ役となったAKB48。いまやいくつもの姉妹グループが存在し日本を代表するアイドルグループとなりました。そんなAKB48グループの総監督を務めるのが「たかみな」こと高橋みなみ。

2014年12月8日。2005年の同日から秋葉原の劇場で始まったAKB48にとって丸9年を迎えた「劇場9周年特別公演」において、1年後を目処に卒業することを発表しました。

その発表からもうすぐ1年。来たる2015年12月8日に彼女はAKB48グループを卒業します。今回は、総合プロデューサーの秋元康氏に「AKB48とは高橋みなみのことである」と言わしめる、たかみなの魅力とエピソードをご紹介します。

「できない」ことを「できる」ようにするために

もともと歌手志望であったため、持ち前の歌唱力と誕生日と体重に「48」が入っていたという縁も重なってAKB48のオーディションに合格したたかみな。しかし、ダンスは大の苦手だったそうです。

毎日居残りで練習させられるのは当たり前。『PARTYが始まるよ』という曲では、たかみながレッスンで踊れなかったため、振り付けが簡単になったという経緯もあるほど、ダンスでは落ちこぼれでした。

しかし、そこで諦めないのがたかみなの真骨頂。毎日朝5時までひたすらお手本を見ながら踊って、振り付けを体に叩き込みました。そうして1年後には、ダンスの夏まゆみ先生に「みんな、高橋をお手本にしなさい」と言われるまでにダンスの腕を上げました。

そんなダンス特訓の日々について、たかみなはこう振り返っています。

「私、運動神経ゼロでスキップもできないんですよ。だからいつも居残り。居残り組は、私と浦野さんが多かったですね。で、時々あっちゃんや佐藤由加理ちゃんが残されて。何時間も何時間も踊るんです。あれは人生最大の努力の日々でしたね」

引用出典:AKB48ヒストリー 週刊プレイボーイ編集部 (著)

それでも諦めずに困難を乗り越えていったたかみな。「できない」ことを「できる」ようにするのは、ひたすらがんばるしかない。そんな当たり前なことを愚直に取り組むたかみなの姿に、なんだか私たちも胸を熱くさせられますね。

「嫌われる勇気」を持って本音でぶつかる

2008年、知名度は徐々に上がり人気のあるメンバーがだんだんと個人の仕事が増えていく中、たかみなもドラマの収録など忙しい日々を過ごしていました。そんな矢先、新しいメンバーも増えた新体制のチームでの劇場公演が始まりました。

しかし、チームの状況は最悪。仲のよい3、4人くらいの小さなグループができてしまい、チーム全体としての一体感はまるでなかったといいます。

「正直、最悪の状態でした。あのすばらしかったチームAはどこ行ったんだ!?私がいない間に、いったい何があったんだ!?本当にショックでしたね。一番悲しかったのは、仲の良い3〜4人のグループができていたこと。なんだよー!?ここにいる全員で一つのチーム、チームAじゃないのかよって。このままではまずい。今なんとかしないと、本当にダメになってしまう。ウザいと思われても、やってみるしかない。」

引用出典:高橋みなみ AKB48Wiki エケペディア

とはいえ、一旦バラバラになってしまったチームの士気を再び向上させるのは、至難の技。たかみな一人ががんばっても、全員が注意を聞くわけではありません。注意され機嫌が悪くなる子や、リーダーシップをとっているのを快く思わない子、待ってはくれない公演や他の仕事など、いろいろな問題や状況がたかみなを苦しめました。

そんな様々な問題抱えていたたかみなが、次第にチームA、そしてAKB48グループ全体をまとめ上げる立場になっていきます。ある時、チームをまとめるときに心がけていることについて聞かれたたかみなは、次のように答えています。

「とにかく本音でぶつかることですね。でも少し前まではメンバーに対して言いたいことがあっても、『嫌われたらどうしよう?』って考えてしまって、自分の中で気持ちを抑えていた部分があったんです。だけど秋元さんから『嫌われる勇気を持ちなさい』と言われて、一気に吹っ切れたんです。」

引用出典:高橋みなみ AKB48Wiki エケペディア

本音でぶつかる。とても単純なことですが、なかなか実践できないことだと思います。嘘やごまかし、利害やキャラなど、様々な思惑が交錯する現代社会においてなかなか本音でぶつかることは難しいでしょう。

しかしたかみなは、たとえ自分が嫌われ役になったとしても、すべてはチームのため、AKB48のために尽力してきました。こうしたひたむきで真摯な姿勢がAKB48をここまでのグループに成長させたひとつの大きな要因なのでしょう。

夢がかなうまで変えない、待ち受け画面

2010年末、第52回日本レコード大賞にAKB48の楽曲『Beginner』がノミネートされていました。たかみなにとってレコード大賞とは「私たちにとっての甲子園」とまで表現するほど特別な賞でした。

しかし、結果は落選。その悔しさを忘れないために、それから1年間たかみなの携帯の待ち受け画面は、その日の発表前の集合写真だったそうです。

それから1年後の2011年、第53回日本レコード大賞において『フライングゲット』が大賞を受賞しました。女性グループの大賞受賞は史上初の快挙であり、昨年の雪辱を晴らす結果となりました。悔しさを忘れず、1年間チームの先頭に立って走ってきたたかみなの涙が印象的です。

「努力は必ず報われることを私の人生をもって証明します」たかみなが残したモノとは?

そして、今年2015年。1年という猶予期間を設けた卒業までのタイムリミットがもうすぐそこまで近づいています。この猶予期間を通して、たかみなはAKB48に何を残したのでしょうか。総監督の後任に選ばれた横山由依はAKB48グループをどう引っ張って、変えていくのでしょうか。

「努力は必ず報われることを私の人生をもって証明します」

この言葉は、第7回AKB48総選挙で過去最高順位である4位を獲得した際の、スピーチで出てきた言葉です。努力の人であるたかみなが今後どんな活躍を見せてくれるのでしょうか。これからもたかみなとAKB48から、目が離せません。