高専ロボコンに青春を捧げた若き技術者たちが、世界初の「搭乗型外骨格スーツ」を事業化。スケルトニクス代表・阿嘉倫大インタビュー

スケルトニクス代表取締役 CEO・阿嘉倫大
スケルトニクス株式会社 代表取締役 CEO・阿嘉倫大(あか・ともひろ) 1989年沖縄県生まれ。2005年に沖縄高専機械システム工学科に入学し、高専ロボコンに出場。2008年の第21回大会で見事優勝を果たした。2010年夏に高専時代の友人とスケルトニクスの開発をはじめ、翌年2月に完成。2011年に首都大学東京システムデザイン学部ヒューマンメカトロニクスシステムコースに進学。2013年にスケルトニクス株式会社が設立され、取締役CTOに就任。2016年4月より代表取締役CEOに就任。

高専ロボコンというとアイデアと技術力勝負のイメージだが、実はプロジェクトマネジメントの勝負

「アイデア対決・全国高等専門学校ロボットコンテスト」が起業のきっかけとなった会社が東京八王子にある。通称「高専ロボコン」とは、全国の高専学生たちが自作ロボットでアイデアと技術力を競う団体競技だ。この大会に出場するために製作したロボットの機構を発展させ、後に「スケルトニク」という2.6メートルもの大きさの搭乗型ロボットを作り、2013年にこれを事業化したのがスケルトニクス株式会社である。

 2011年に初号機が完成し、現在、第五世代まで作られている。撮影のため第五世代の「スケルトニクス・アライブ」を動かしてもらったところ、取材スタッフが一斉に歓声をあげた。見上げるような巨体が自在に動きまわる姿は、まるでSF映画やロボットアニメの世界から抜け出してきたかのよう。私たちが見たかったのは、まさにこれだ。人が搭乗して自在に操るロボットこそ、私たちが子どものころに夢見ていた未来である。

 同社ではスケルトニクスを「動作拡大型スーツ」もしくは「搭乗型外骨格」と定義している。モーターやエンジンなどの動力はなく、動かすのは人力。かなり負荷がかかるが、そのぶん搭乗者の思い通りに手足を動かすことができる。この「動作拡大型スーツ」というアイデアを考案したのが、2016年4月に代表取締役CEOに就任した阿嘉倫大さんだ。どういったきっかけで考えついたのだろう?

sab_01_w268「高専ロボコンで全国優勝した年に製作していたのが二足歩行ロボットだったんです。歩幅を大きくするために足の動きを研究していて、リンク機構という動作を拡大するテクノロジーに挑戦したんですが、これを全身に装着したら巨大ロボットになれるんじゃないか、というシンプルなアイデアでしたね。リンク機構自体は広く知られているものですが、それを外骨格というパッケージにしたものとしては世界初になると思います」

 沖縄県生まれの阿嘉さんは、2005年に沖縄高専に入学。当時は創立2年目のできたばかりの学校で、前年に沖縄高専が初出場した高専ロボコンの地区大会をテレビで見ていたこともあり、当然のように「ロボット製作委員会」に入部した。とはいえ、熱烈にロボットが作りたいと考えていたわけでもないという。大会に出場するうちに徐々にのめり込んでいった。

「創立2年目なのでロボット製作委員会には一つ上の先輩しかいなくて、まだ体制も整っていないような状況でしたね。逆に言うとやりたい放題できて楽しかったんですが、組織の統制がとれていないので、みんなプロジェクトの進め方がわからなくて、思い思いに回路や機構を作っているような状況でした。初めての高専ロボコンでは大会前日まで頑張ったんですが、結果は惨敗でした(苦笑)。大運動会がテーマの障害物競争だったんですが、僕らのチームはスタートゾーンから一歩も出られなかったんですよね。大会に向けて調整していく際、いろんなトラブルが発生してギリギリまで作っていたような状況で、結局、完成していなかったんです」

 悔しいというより、薄々わかっていた結果だったという。しかし、大会に出場したことはけっして無駄ではなかった。

「他校のマシーンがすごいんですよ。高い技術力でいい動きをするものもあれば、あの機構であれば僕らも真似できるかもしれないと思えるものもあって、多くの発見がありましたね。僕らが実験的にやってみて失敗した機構や、技術的に難しいという理由で断念したアイデアを他校が実現していて、技術的に無理だったわけではなく、単純に技術力がなかっただけだとわかったんです」

 これも仕方がないことだろう。10年20と出場し続けている他校と、出場2回目の沖縄高専ではノウハウの蓄積に圧倒的な開きがあった。この差を埋めるべく、沖縄高専はまずチームの目標を明確にすることからはじめた。課題をすべてクリアするのではなく、最初の障害物をクリアするために全力を注ぐという方針だ。目標を定めることでチームを一つにまとめようという考えもあっただろう。その結果、見事に地区大会を突破し、沖縄高専は全国大会出場の切符を手にする。

「トーナメントのくじ引きの際に対戦相手が沖縄高専だとわかると、相手チームがガッツポーズをしたのが印象的でしたね。沖縄高専のレベルをわかっていて、1回戦は勝ったも同然だと思われていたんです。だけど、その年の僕らは違うぞと。その年の課題は例年以上に難しいもので、地区大会でゴールまで辿り着くことができたのは124チーム中5チームのみでした。僕らのチームはその中の一つだったんです。全国大会の結果は3回戦敗退でしたが、実力を見せることができてうれしかったですね」

 阿嘉さんが「僕らのチーム」という言い方をするのは、高専ロボコンは1校から2チームが出場できることになっているからだ。翌年の2007年度の大会では後にスケルトニクスを共同開発することになる白久レイエス樹さんと初めて同じチームになったが、結果は地区大会敗退。しかし、そのときの対戦相手が全国大会で優勝した。着実に実力をつけていたことはたしかだ。そして2008年には全国優勝の快挙を達成。急激な技術進歩でもあったのだろうか?

「高専ロボコンというとアイデアや技術力勝負というイメージがありますけど、実際はプロジェクトマネジメントの勝負なんです。たとえばロボットの脚の機構が不十分で、何試合かすると壊れてしまう関節だったとします。高専の学生はものづくりが好きなので、ギリギリまで改良して大会に挑もうとするものだと思う。でも実は、改良する以外にも成績を上げる方法が沢山あって、僕らがとった方法は予備パーツを十分に用意して練習でカバーするというものでした。改良するとなると、また設計し直して時間がかかるし、うまく動くかもわからない。だけど、予備パーツだったらすぐに作ることができるので時間が短縮できる。時間的に十分な余裕があるなら改良すべきかもしれませんが、大会直前では改良を選んじゃダメですよね。ものづくりで解決しようとすることはもちろん素晴らしいことですが、当時の僕らは“全国優勝至上主義者”だったんです(笑)。だから躊躇なく改良しないという決断ができた。どちらが正しいという話ではなくて、いわばトレードオフの問題ですよね」

高専ロボコンが終わり、燃え尽き症候群のような日々。また仲間と一緒にものづくりに没頭したい

 後の事業化にとって高専ロボコンの経験は技術面だけでなく、プロジェクトマネジメントの考え方を培ったことが大きかった。当時のロボット製作委員会の様子を技術職員が「軍隊のようだった」と語ったそうだが、それくらいチームが一丸となって打ち込んでいたのだ。高専ロボコンというと理系学生の物静かなイメージがあるかもしれないが、実際は「高専学生の甲子園」とも呼ばれているように、ストイックで熱い団体競技である。一つのことにとことん打ち込むことは、視野が狭くなるのではなく逆に視野が広がることを阿嘉さんは知ったという。

sab_03_w268「みんな役割に徹してましたね。全国の高校球児が目指す甲子園で優勝するチームは、練習量もハンパないと思うんです。そのレベルになると、選手全員が自発的に練習していて、誰かに指示されたからやっているという感じではないはずです。甲子園と比べるのもおこがましいですけど、高専ロボコンにも同じような一面があったと思います。一つのことにストイックに打ち込むことで、どんどんものづくりの深い世界に入っていくという感覚がありましたね。自分の好きなものは、どんどん世界を広げてくれます。たとえばパーツ一つ見ただけでも、他の人にはわからない些細な構造の工夫やバックグラウンドにある工学体系が理解できたりして、見えてくる世界が変わってくるんです。ものづくりに関する世界が広大に広がっていって、やればやるほど面白くなっていきましたね」

 全国大会優勝を果たし、阿嘉さんにとっての高専ロボコンは一番きれいな形で終幕した。物語であればハッピーエンドだが人生はまだまだ続く。一途に情熱を注いできた対象がなくなり、阿嘉さんは燃え尽き症候群のようになってしまう。

「目標がなくなってしまって、何をやっていても退屈でしたね。ロボコンに夢中で先のことなんて何も考えていなかったので、進路も決まっていないような状況で、とりあえず就職したくないから大学に進学しようと。だったら東京に行きたいと思って受験勉強をすることにしたんですが、合格通知が来た後は入学まで何もやることがない。漠然と日々を過ごすことに飽き飽きしていて、このときまた仲間と一緒に何かやりたいと思ったんですよね」

 一方、優勝時のチームリーダーだった白久さんとロボット製作委員会の部長は専攻科に進学し、沖縄高専に残っていた。阿嘉さんは特に役職はなかったが、彼らの参謀的な役回りをしていて、いわばチームの中核を担う3人だった。この二人に宛てて阿嘉さんは手紙を送るのだ。メール全盛の時代に手紙とはいかにも古風だが。

「そこはもう気持ちの問題というか(笑)。そのときはとにかく何か面白いことがしたくて、漠然とした内容でしたけど、一緒に何かやろうという誘いの手紙でしたね。二人ともノッてくれて、何をするか話し合うことからはじめました。いろんな案があったんですけど、ビジネスっぽいことに挑戦しようとなって宝探しのイベントを企画したんです。まず商店街でビラを配ろうということになったんですが、3人とも腰が引けていてぜんぜんダメで、しかもイベント当日に台風が直撃してそれどころじゃなかった。結果は惨敗でしたけど、失敗を経験したことも視野を広げるための挑戦だったと思います。いろいろ試した結果、『やっぱりものづくりがしたいよね』という話に戻ったわけですが、もともとそれがしたかったのにとりあえず我慢しようという節があったかもしれない」

 このとき初めて阿嘉さんは搭乗型外骨格スーツのアイデアを話した。しかし、3人とも学生の身で開発資金がない。そこで沖縄高専の廃材置き場から集めた端材を加工して、まずは片腕だけを作った。その腕を持って沖縄高専の校長に直談判をしたのだ。「沖縄高専のアピールをする」という名目で製作予算を計上してもらうことに成功し、半年かけてスケルトニクス初号機を完成させた。

「かなりイメージに近いものができたんですけど、その後のことは何も考えてない(笑)。沖縄高専が関わる産業祭などのイベントにいくつか出て、はい楽しかったね、という感じですよね。とはいえプロジェクトを進めるにあたって最終目標が必要なので、完成品の動画をニコニコ動画の『ニコニコ技術部』のカテゴリーに投稿することをゴールにしていたんです。理系の学生や明らかにプロっぽい人が投稿しているかなりとんがった人たちが集まるカテゴリーだったんですが、5万くらいの再生数でなかなかいい結果だったと思います。動画を投稿した直後は5分置きに再生数をチェックしてました(笑)。自分たちが作ったものに対する反応を見るのがとにかく楽しかったですよね」

 スケルトニクス初号機の動画は予想以上の反響を巻き起こした。それを見た人から取材依頼や技術を教えてほしいという連絡が相次いだのだ。その頃、阿嘉さんは東京で平凡な大学生活を送っていた。授業はそれなりに面白いものだったが、単位を取ることが目的という感じで、やはり高専ロボコン時代のように仲間と濃密な時間を過ごすといった感じでもない。また仲間と一緒に胸躍るような面白いことがしたいと思いはじめるのだ。

ヒト型ロボットの未来はエンターテインメントにあり。ロボット製作会社としての決断とは?

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 こうして次に構想されたのが「エグゾネクス」という機体だ。スケルトニクスの機構にモーターを組み入れてパワードスーツ化し、なおかつ移動型に変形して自動車並のスピードで走るという究極のプロジェクトである。このタイミングで沖縄高専の後輩だった中野さんがジョインし、東京・大阪・沖縄でそれぞれ学生生活を送りながら、オンラインミーティングでプロジェクトを進めることにした。

「そのときは会社にしようという考えもなくて、それぞれが研究して頑張ればできるだろうという感じでしたね。そうこうするうちにアート系の分野やテレビなどのエンターテインメント分野から造形製作の依頼が入るようになったんです。当初は個人事業主として受託していたんですが、スケルトニクスをパッケージとして製作する仕事があって、一人ではできないし、お金が絡むこともあって法人化したほうがいいという話になったんです。だから、もともと起業を目的としていたというわけでもないんですね」

 こうして2013年にスケルトニクス株式会社が設立された。翌年に創業社長を務めた白久さんが大学院を修了することになり、就職するか事業を続けていくかの選択を迫られることになる。同様に阿嘉さんも将来について考えなければいけない状況にあった。会社の仕事を優先して、大学を休学していたのだ。

「設立当初はやっぱり大変でした。会社として仕事を請ける感覚がわからない部分もあって、仕事を取りすぎたり、取材対応に追われていわゆるデスマーチ状態になっていたんですね。基本的にはCEOの白久が外部とのやりとりをしていて、僕は製作サイドでしたが、3人しかいない会社なのでみんな何でもやってましたね。白久の卒業で選択を迫られたとき、僕は迷いなく会社を続けていくことを選びました。普通に就職して仕事をすることがあまり楽しそうに見えなかったというのもあるし、スケルトニクスで何ができるか挑戦したいという思いがあったんです。だけど、今後も会社としてやっていくということは、自分たちの給料を自分たちで稼いでいかないということですよね。どういったマーケットで何を提供して対価を得ていくか。ビジネスモデルについては徹底して議論しましたね」

 そこで彼らはスケルトニクスのレンタルをメイン事業にした。技術者としては「エグゾネクス」の開発に専念したくなるところだが、まず先にビジネスを軌道に乗せ、その収益から「エグゾネクス」の開発資金をねん出しようと考えたのだ。目標への最適ルートを辿ろうとする考え方は、まさに高専ロボコン時代に培われたプロジェクトマネジメントの考え方だった。

「高専ロボコンで僕らが何を得たかというと、やはりチームとして活動していくうえで何がもっとも大切かということです。もちろんエグゾネクスを作るという目標はありますけど、ビジネスとしてやっていく以上、営利化していくことが会社としてのゴールになる。ロボットというと、重作業用や介護用をイメージしがちですが、それは違うと僕らは考えていました。現在のテクノロジーでできることとできないことの見極めも必要だし、短期間で利益を得られるもので僕らが提供できるものは何かを考えると、やはりエンターテインメントをターゲットにするのが最良の選択だと判断したんです。高専ロボコン時代に培ってきた決断力もあって、堅実な選択ができたと思います」

 スケルトニクスのレンタル事業としては、2014年度に14ものイベントに参加。アメリカやシンガポールなど海外のイベントにも参加し、年末にはNHK紅白歌合戦で氷川きよしの舞台演出にも使用された。特注製作と販売の面では、ハウステンボスの依頼でガンダムを彷彿とさせる外観のスケルトニクス第四世代(初の量産型)の製作に協力。2015年にはドバイ首長国連邦からサミットの展示用として製作依頼があったというから驚く。スケルトニクスの事業が順調に進む一方で、2016年1月に「エグゾネクス」のプロジェクト終了が伝えられた。会社のビジョンとして打ち出していたプロジェクトなだけに、何があったのか気になるところだ。

「プロジェクトとしては、正直なところ失敗でした。プロジェクトを立ち上げた際、期限を決めてやろうということになって、最終期限を2015年末に設定していたんですね。限られた時間の中でいろいろ頑張って一応モノとしてはあるんですが、当初想定していたスペックには到底およばなかったというのが現状です。法人の役割として、エグゾネクスの開発資金を集めるという側面があったので、いわば法人としての目的を失ってしまったわけですよね。今後どうしていくか徹底して話し合いました。投資を受け入れてスタートアップの道を進むのか、もしくは解散するのか。選択肢がいくつかあったわけですが、結論をいうと白久は会社を離れて新たな挑戦をすることになり、僕が代表に替わって会社を存続させることになった。やっぱり僕はスケルトニクスの可能性に賭けてみたかったんです」

 現実的な話をすると、重作業用や介護用のロボットが何もヒト型である必然性はない。むしろヒト型や搭乗型に固執すると、最小限の機構で最大の効果は発揮されず、実用的でなくなってしまう。

sab_02_w268「パワードスーツというのは非常に難しくて、たとえば一つの関節を動かすのに100ワットほどのモーターが必要だとすれば、全身の関節に20個のモーターをつけたとしたら2000ワットの出力になります。1馬力が700ワットくらいなのでせいぜい3馬力程度ですよね。土砂を運ぶ重作業が使用目的なら、ブルドーザーはもっと単純な構造で数百馬力を出すことができる。みんなアイアンマンが欲しいわけですけど、現状のテクノロジーとのギャップがすごくあって、人々が求めるソリューションが必ずしもパワードスーツだとは限らない。エグゾネクスの失敗によってむしろ気づかされたことなんですが、パワードスーツを作ってから使い道を探すのではなくて、先に重作業用や介護用といった課題があって、最適なソリューションを開発すべきだと考えるようになりましたね。逆に言うと、パワードスーツとは別の形のソリューションであれば、開発する自信が一方であります」

 そう考えたとき、ヒト型ロボットの鍵はやはりエンターテインメント分野にある。会社を存続させるにおいて、阿嘉さんはとことんこの分野に特化しようという考えだ。

「新たな事業計画として『スター計画』を構想しています。荒れ地をバイクで走ったり急斜面をスノボーで滑ったりするエクストリームスポーツという分野がありますが、外骨格スーツとしてこれに挑戦したい。スケルトニクスは第五世代が完成形で終わりだと考えていた時期もあるんですが、そろそろ第六世代を構想してもいいかもしれない。もっと部品点数を減らしたり、強度の面でも改善したい部分があるんですね。ものづくりと経営を同時にやっていくのはたしかに大変ですけど、それで夢を追いかけられるなら、やるしかないですよ」

阿嘉氏を知る3つのポイント

ものづくりの原点

「ロボットを作っていることもあって、よくロボットアニメやSF映画の影響を聞かれるんですが、人並みに見ているものの実はそれほど思い入れがないんです。僕の根幹にあるのは、あくまでものづくりです。父親が建築関係の仕事をしていたので家に大工道具や製図用の机があって、子どもの頃から何でも自分で作ってみることが好きでした。中でも折り紙が好きだったんですが、ユニット折り紙という特殊なジャンルのもので、複数の折り紙を組み合わせて幾何学形状のパーツを作り、それをさらに組み合わせて一つの形にする。いわば小さなプロジェクトですよね。まず図書館で折り紙の本を調べることから始めるんですけど、作りたいものがあったとき、最初に文献をあたることや段取りを組むといったことが、僕の基礎になっている。ものづくりは、ある程度集中してやっていくと根幹でつながっているものなんです。こうした子どもの頃から培ってきたスキルが、高専ロボコンやスケルトニクスの開発に活かされたと思います」

ライフワーク

「ものづくりは僕のライフワークなので、けっこう今の状況はすごく幸せなことだと思ってます。というのも学校の人付き合いが苦手だった時期があって、去年卒業してエグゾネクスの開発に専念するようになったとき、本当に求めていたものがここにあった!と実感したんですよね。八王子のショッピングセンターに行っても欲しいものが何もないことに衝撃を受けたことがある。僕が欲していたのはものづくりに専念できる環境であって、それ以外の欲求がなかったんですよね。たぶん嫌なことをしていたら、衝動買いをしたり食に走ったり、何かしら気を紛らわせるものが必要になる。そうした欲求がないということは、ある種、満たされているということだと思うんです」

ロボット開発の醍醐味

「楽しいとしか言えない(笑)。僕がやっているロボット製作は非常に多くの要素が含まれた統合的な技術なんです。たとえばモーターの研究者だったら、コイルや磁石の研究などさらに先端部分を深掘りしていくわけですが、そうした最新技術を統合して一つの機構として組み合わせることが僕らの分野で、搭乗型ロボットになるとさらに人間工学も必要になってくる。最高峰のモーターとなると大企業が徹底的に研究しているので、僕らのような小さな会社がアドバンテージを持つのは難しいですが、統合的な技術になると組み合わせの可能性が限りなくあるのでチャンスがある。逆に言うと、スモールビジネスだからこそそうした戦略を取らざるをえない。僕らが頑張らなければいけないのは、まさにそこなんです」

取材・文●大寺 明  写真●高村征也

スケルトニクス株式会社
「スケルトニクス」とは、「動作拡大型スーツ」という世界初の分野を追求した搭乗型のロボットです。人の歩行動作や腕の動きといった複雑なタスクをリンク機構によってダイレクトに拡大し、SF映画やアニメに登場する巨大ロボットのような迫力ある動きを実現しました。
「スケルトニクス」をベースとしたロボットの特注製作や、これまでに培ってきた技術力を活かした様々な受注製作のほか、産業祭りや科学イベントといった各種イベントをはじめ、企業・団体のプロモーションにご利用いただけるように「スケルトニクス」をレンタルしています。ぜひお気軽にご相談ください。

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