近頃ウワサの「淡路島カレー」とは? 居酒屋やバーにメニューONする新型ビジネスモデルを考案。ビープラウド代表・大山淳インタビュー

株式会社ビープラウド 代表取締役社長・大山 淳(おおやま・じゅん) 1978年大阪府豊中市出身。父はインド、母は奄美大島出身。関西大学工学部を卒業後、2002年に株式会社ベンチャー・リンクに就職。300社1000店舗以上のコンサルティングに携わる。30歳を期に独立し、2009年2月に株式会社ビープラウドコンサルティングを設立。2012年より「淡路島カレー」のライセンスビジネスをスタートし、現在は「地都協業」をテーマに食品事業を展開。NPO法人淡路島活性化推進委員理事も務める。

淡路島産玉ねぎを丸ごと1個使った「淡路島カレー」は、地方のものづくりのプロと、都市の売り方のプロによる「地都協業」がテーマ

 札幌発祥のスープカレーや金沢発祥の金沢カレーなど、日本全国にご当地カレーがある。そこへ新たに名乗りを上げたのが兵庫県の「淡路島カレー」だ。ただし、昔から淡路島名物だったカレーというわけではなく、「淡路島産の玉ねぎ」を丸ごと1個使い、淡路島で作られていることが、この名称の由来。「カレーの決め手は玉ねぎ」と言われるが、「淡路島産の玉ねぎ」は、普通の玉ねぎよりも甘み成分が格段に多く、辛味成分が少ないため、果物なみに甘い玉ねぎとして知られている。

 この「淡路島カレー」を開発したのが、もともとフランチャイズ(以下、FC)店舗のコンサルティング会社だった株式会社ビープラウドだ。2012年から「淡路島カレー」をスタートし、今では47都道府県ほぼすべてで展開。「ゴーゴーカレー」のようなチェーン展開だと思われるかもしれないが、「淡路島カレー」はこれまでにないビジネスモデルである。

 チェーン店ではなく、それぞれ違う屋号の居酒屋やバーのメニューのひとつとして「淡路島カレー」が提供され、同社ではこれを「IN SHOP型のライセンスビジネスモデル」としている。FC業界では一般的なビジネスモデルかと思いきや、創業者の大山淳氏が考案した手法だという。

sub_01「もともと僕はFCに特化したコンサルティング会社に勤めていたのですが、IN SHOP型のFC展開は私自身、聞いたこともないので他にはないビジネスモデルだと思います。一般的なFC展開だと急激に加盟店を増やすことは難しいものですが、弊社のビジネスモデルの場合、既存店舗にそのまま導入するかたちになるので、この5年間で210店舗まで増やすことができたんですね。現在(2017年4月時点)、既存店舗の加盟店が190店舗、出店準備中の加盟店が20店舗になります」

 ビープラウドのミッションは「地都協業」というもの。これもまた聞いたことのない言葉だが?

「地方のものづくりのプロと都市の売り方のプロが協業していくことが大切だという考えから作った造語です。淡路島カレーには淡路島産の玉ねぎが1個入っているので、一皿売れると玉ねぎが1個売れたことになります。淡路島の生産者さんに喜んでもらうためには、淡路島カレーの食数が圧倒的に増えないと意味がない。そうするとFC展開で店舗を増やしていくやり方では成長スピードに限界があるので、生産者さんが経済的な恩恵を感じられるほどの影響はありません。『地都協業』を掲げて売り方のプロが手がける以上、圧倒的な成長力がないといけない。そこでライセンス型のビジネスモデルを考案したんですね」

 加盟店からすると、一般的なFCの加盟金に比べて安くメニューを導入でき、ライセンス契約後はFCのようにロイヤリティは発生せず、「淡路島カレー」を購入するのみ。つまり既存の居酒屋やバーが今の看板のままで、「淡路島カレー」という看板メニューを持つことができる。210店舗が加盟するまでになった背景には、どんな需要があるのだろう?

「夜はバー営業、昼間は淡路島カレーでランチ営業をするという二毛作的な利用からスタートしましたが、最近は脱サラされた方が導入されるケースが増えてきました。FCに加盟しようとすると、店舗の初期費用と加盟金がかなり高額ですし、せっかく自由を求めて脱サラしたのに、結局はFC本部の方針やマニュアルに縛られることになって、サラリーマンとあまり変わらない。自分のお店という自由度を保ちながらやるにしても、なかなか客商売は難しいということで、淡路島カレーに加盟する方が増えてきています」

 さらに2017年の初夏には「淡路島カレー」の専門店1号がオープンする予定。ライセンスビジネスに留まらず、FC展開も視野に入れている。

「とはいえ飲食経験のない脱サラ組の方はどうしても苦戦されることが多いんですよね。弊社でノウハウを提供してパッケージを作る必要があると考えました。いろいろ試行錯誤していったところ、福島の『淡路島カレーととんかつの店』と沖縄の『淡路島カレーとスパゲティの店』がけっこう流行っていたので、『淡路島カレーと○○の店』というふうに看板に出すのがいんじゃないかと。まずそれを準専門店というパッケージにして、今後は淡路島カレーだけで勝負できる専門店のパッケージも展開していきます」

 東京でも30店舗ほどの居酒屋やバーで「淡路島カレー」を食べることができる。ためしに行ってみると、洋風居酒屋の看板メニューのひとつとして「淡路島カレー」が提供されていた。さっそく食べてみると、一口目はまろやかな「甘さ」を感じ、その後じんわりと口中に「コク」が広がり、時間差でスパイシーな「辛さ」がやってくる。これが「淡路島カレー」の特徴である「3段階に変化する味わい」。たしかにクセになりそうな独特の風味だ。レシピ作りでは苦労に苦労を重ねたらしい。

sub_02「汗がカレー臭くなるほど食べてはダメ出しをする繰り返しで、レシピが完成するまでに9カ月ほどかかりましたね。弊社の社員に淡路島の食品工場に入ってもらって現場の方と一緒にカレーを作ってもらっていたのですが、ようやくレシピが完成したと思ったら、東京で僕が食べると味が違うんです。僕の舌がおかしいんじゃないか……という不穏な空気が漂うなか、何回もやり直しをしてもらって心苦しかったですね(笑)。そんなとき工場長の奥さんが『カレーは一晩寝かすとまろやかになる』という話をしていたことがきっかけで、冷凍後出荷して解凍する過程で、一晩寝かせるのと同じ工程になっていることに気づいたんです。そこで工場では完成の2段階前で調理を止めるようにしたことで、ようやくレシピどおりの味を再現することができたんです」

 ビープラウドはただのカレー屋ではない。「食」を通じて人々の健康寿命を最長化させることを企業理念とし、ほかにもオフィスに新鮮なサラダを届ける「Healthy in Cups!」という福利厚生向けのサービスを展開するなど、食品関連の新たな仕組みを作ろうとするベンチャー企業である。

「今後は淡路島カレーを300店舗、年間120万食ほど流通させる仕組みを作ろうと考えています。おそらく国内ではそれが限界だと思っているので、あと5カ所くらい『地都協業』の取組みをしていきたい。淡路島カレーのほかには宮城県の米農家さんと一緒に無添加でグルテンフリーの玄米パスタを作ってみたんですが、超美味しいものができたので、今後はこちらも流通させていきたいと考えています」

学生時代の50種のアルバイト経験と、社会人時代のコンサルティング経験が、すべて起業後の「今」に活かされている

 大山氏は学生時代から漠然とだが経営者を目指していたという。しかし、入学したのはひたすら実験に明け暮れるという工学部の応用化学学科。バイトもサークルも禁止されていたことに嫌気がさし、入学式の翌日から大学に行かなくなった。「あまりよろしくない学生でした」と大山氏は当時を笑って振り返る。その一方で打ち込んだのが、飲食店から日雇い労働まで50種ほども経験したというアルバイト。大学を社会に出るまでの準備期間と捉え、いろんな経験を積んでおきたいと考えたのだ。なかでも貴重な体験だったのが、ブランド品の並行輸入のアルバイトだという。

sub_03「2週間でヨーロッパの10カ国20都市くらいを周って、ひたすらブランド品を買って帰国するというアルバイトでした。有名ブランド店では購入の際にパスポートをチェックされます。たとえばルイ・ヴィトンのパリ本店で買い物をして、数時間後に隣りの都市でまたヴィトンを買うと並行輸入業者だとバレてしまう。自分一人で行ってはダメなので、まずは日本でナンパすることからスタートしましたね(笑)。ブランドが好きそうな女の子を見つけて、旅費と宿代と食事代はこちらが持つから、指定したブランド品を買ってきてくれと。僕一人と女の子3人でヨーロッパを周ったりしましたが、コストを抑えながらいかに効率よく買って来るかを考えて旅程を組まなければいけないので、一番安い移動手段を考えたり、安いホテルを探したり。予約も全部自分でやるので、正直しんどかったですね(笑)。社会経験として役に立ったかは別として、商売の原点を見たと思います」

 もうひとつ社会経験として貴重だったのが、サッカー選手や芸人といった有名人が集まることで知られる大阪のレストランバーのアルバイトだった。

「商売の仕組みが面白かったですね。吹き抜けの2階建てなんですが、1階は外国人モデルであれば食べ放題・飲み放題。2階はVIP席になっていて、外国人モデルでごった返した1階を優越感にひたりながら眺めることができる。金持ちの遊び人を集める仕組みが上手くできていて、オレ遊んでるぜってブイブイ言わせている大人たちが多かった。当時の僕は20代そこそこだったんですけど、彼らみたいになりたいか?と考えたとき、なりたくないと思った。そんな優越感にひたっている人生が楽しいとは思えなかったんです」

 VIP席で遊んでいる羽振りのいい大人たちは、数店舗を経営する40~50代のオーナーが多かったそうだ。「その程度で自己満足にひたっているような生き方はしたくない」と若き日の大山氏は感じ、「社会に貢献できるような仕事で起業したい」と考えるようになったという。では、社会的影響力が大きい100店舗200店舗の規模で経営するにはどういった経験を積めばいいか? そこで就職先に選んだのが、FCのコンサルティング事業で急成長していたベンチャー・リンクだった。

sub_04「『企業家輩出機関』という理念を打ち出していて、3年で10年分の成長が得られると謳っていたんですよね。実際、仕事をしてみると、たしかにそうだなと(笑)。社会人1年目は朝8時から深夜3時まで月500時間くらい働いていて、毎朝、線路に飛び込もうかと思ってました。そうすれば楽になれるんちゃうかなっていうくらいギリギリで(苦笑)。そこで逃げださなかった理由は、とにかく負けたくなかった。それだけだったと思います。実際、辞めていく人もいっぱいいましたけど、同僚は独立志望者が集まっていて、みんなで切磋琢磨しながら頑張っていましたね」

 コンサルタントというと、スーツ姿の知的な職業というイメージだが、大山氏が配属された部署は、それとはほど遠い泥臭い仕事だったという。

「当時のベンチャー・リンクは『サンマルク』や『ガリバー』や『牛角』のFCを立て続けに成功させ、上場したことでさらに事業を拡大していたんですね。ところが、急拡大の弊害で全国に赤字店舗がたくさんできていた。あまりにひどい状況だったので、ベンチャー・リンクが赤字店舗を買い取って、うちの社員が店長になってマニュアルどおりにやれば業績が改善する、ということをやり始めたんです。社内でも珍しいこの部署に配属されて、当初は騙されたな……と思ってました(笑)」

 しかし、何事も自分の将来につながる経験になると捉えるのが大山氏の考え方。埼玉を中心にさまざまな飲食店の店長を務めることになり、「半年で売上を倍にする」というミッションが達成できると、今度は加盟店オーナーをその店舗に呼んで研修を行うという特殊な業務をこなしていった。

sub_05「赤字の店舗は組織がめちゃくちゃになっているので、基本的に僕たちがやることはチーム作りとプロモーションの2つです。最初に担当した串揚げ店が3カ月で売上が一気に伸びて、2店舗目は半年で売上が倍になった。当時はマニュアルどおりにちゃんとやっていれば、数字が動いたんですよね。店長業務だけならアルバイトとお客さんにだけ対応していればいいですが、研修の仕事もあるので、猛烈にコンサルティングの勉強もしなければいけないし、加盟店オーナーとFC本部の方にも対応しなければいけない。大変でしたけど、対応の範囲が広がったと思います。これは将来につながるはずだと思えたので、苦にせず続けることができたんでしょうね」

 大山氏は30歳をメドに独立するつもりでいたが、同時期にベンチャー・リンクの経営が傾き出したこともあり、意図せずして起業に踏み切ったという。ちなみにベンチャー・リンクは2012年に事実上の倒産を迎えた。

「当時は独立ではなく、もっとコンサルティングらしい仕事に就きたいと思って転職するつもりだったんです。転職エージェントに外資系コンサルティング会社を紹介してもらって入社がほぼ決まりかけていたので、担当していた居酒屋のFC本部に謝りに行ったんです。そしたら加盟店オーナーさんが、大山に続けてほしいということでFC本部と直談判してくれたんですよね。FC本部は僕が法人化したらコンサルティング業務をすべて任せると言ってくれた。だけど、ベンチャー・リンクからすると、顧客を引き連れて独立するわけですから守秘義務に抵触する。本来は許されないことなんですが、社長に事情を説明したところ、好きにやれ、と言ってくれて、守秘義務を解除してくれたんです。本当にありがたい話でした」

 担当していたFC店舗のコンサルティングを一手に引き受けることが許され、大山氏は同僚1名を引き連れてコンサルティング会社を設立し、独立することになる。

コンサルティング会社が移動販売車に事業転換!? 美味しいカレーを研究するうちに、淡路島産の玉ねぎにたどり着いた

 こうしてたった2人で居酒屋チェーン全国70店舗をコンサルティングすることになったわけだが、毎月1回は各店舗を訪れて運営をチェックしたり、オーナーと戦略を話し合う必要があり、2人で分担しても1日2店舗は回らなければいけなかった。仕事は大忙しだが、その一方でずっと不安を抱えていたそうだ。

sub_06「結局、その仕事を5年続けたわけですが、取引先は上場もしている大企業で、こんな若造の零細企業との契約がどこまで続くかわからない。ずっと不安があったので、お店でもやろうと思ったんですが手許にキャッシュがない。そんなとき街中で移動販売車を見て、これなら初期費用をそれほどかけずにできそうだと思ったんです。移動販売車は車体にクレープや唐揚げといったメニュー名が書かれているものですが、そうするとそれしか売れなくて非効率だと思いました。何屋かわからないオシャレな移動販売車を作って、メニューによって看板を変えれば、効率的に24時間営業ができると考えたんです」

 30種ほどのメニューを作り、朝はスープ、ランチタイムはアイリッシュカレー、夕方は別の場所でクレープを販売し、週末はイベントに出展して焼きそばを販売した。しかし、これがまったく売れなかったという。

「カレーを毎日捨てまくってましたね(苦笑)。撤退しようとも思ったんですが、僕は負けず嫌いなところがあるので、きちんと移動販売を研究してみようと考えたんです。そこで、売れている移動販売車を見つけてストーカーすることにした(笑)。朝9時からタイムウォッチ片手に観察を始めて、客数がどれくらいで一人あたり何分かけているかを計測して、営業が終わった後も、どこに帰って、何時に片付けが終わるかをチェックして、3日間、徹底して研究してみたんですね」

 その結果、人気の移動販売車は2人でオペレーションを回し、お客一人あたり1分40秒かけていることがわかった。行列ができている移動販売車でも売れているのはランチタイムの1時間のみ。ということは、どんなにがんばっても50~60人が限界だ。仕込みと片づけの作業時間を含め、2人分の人件費で割ると、たいして儲からないことがわかった。

「これでは商売の旨味がない。発想を変えないとダメだと思って、一人あたり40秒でオペレーションするようにして、常に7、8人の行列を維持するようにしたところ、すぐに数字は上がりました。これはイケると思って移動販売車を8台に増やしたんですが、しばらくして東日本大震災が起きたんです。売上が相当下がるだろうと予想していたら、逆に売上が上がったんですよね。ただしアイリッシュカレーやクレープが売れたわけではなくて、ペットボトルの水やカセットボンベが売れた……。もともと学生時代に社会の役に立つような仕事がしたいと考えていたわけですが、震災で世の中が大変なことになっているのを目の当たりにして、こんな簡単な商売をしている場合じゃないと思いました。それですっぱりと移動販売車を辞めることにしたんですね」

 移動販売車用のアイリッシュカレーは大阪の食品会社に委託製造してもらっていたが、自社でもっと美味しいカレーを作ろうと考え、大山氏は震災前からカレーの研究をしていた。その結果、カレーは玉ねぎが重要だという結論に達し、淡路島の玉ねぎ農家や食品工場との関係作りを進めていた矢先のことだった。

「もともと淡路島の玉ねぎでアイリッシュカレーを作るつもりだったんですけど、移動販売車を辞めることにしたので、淡路島の人に謝罪に行ったんですよね。8台も移動販売車をやって順調なはずなのになぜだ?とみんなに聞かれて、もうちょっと社会の役に立つような仕事をしたいんです……とエラそうなことを言っていたら。面白いヤツだとなって逆にいろんな人から協力が得られることになった。そこで、何か他の方法はないかとゼロベースで考え直してみることにしたんです。当時はコンサルティングの仕事で全国の加盟店を周っていたので、北は北海道のスープカレーから南は長崎の焼きカレーまで、全国200店舗くらいのカレーを食べ歩いてみましたね」

 味に関しては、人気のカレーは味が2段階に変化することがわかった。それ以上に大きな気づきとなったのが、人気カレー店の経営実態だった。

「美味しいカレーは仕込みに4、5時間かかるものなんですけど、どの店もオーナーが自分で仕込んでいるんですよね。そうすると3~5店舗が限界で、それ以上、店舗数を増やすと仕込みが追いつかなくなる。みんな身体を酷使して営業していて、もっと成長しようという夢や目標もない。評判もいいし、羽振りもいいんだけど、心の奥底に疲弊感がある印象でした。また、カレーはランチタイムしか売れないという悩みを抱えている店も多かった」

 独自のレシピがあり、仕込みに時間がかかるからこそ、他の飲食店が真似できないカレーの専門店としてやっていけるわけだが、大山氏はここにビジネスチャンスを見出す。

sub_07「当時は震災後の自粛ムードもあって、夜営業の居酒屋やバーが壊滅的な状態になっていました。昼は営業していないのに家賃がかかりますよね。そこで非営業時間の有効活用として、昼によく売れるカレーでランチ営業をしたら面白いんじゃないかと考えたんです。淡路島産の玉ねぎで美味しいカレーのレシピを作って、淡路島の食品工場で一括生産してそれを卸すかたちにすれば、飲食店の人はカレーの仕込みの苦痛から解放されるし、ランチ営業で収益が得られる。飲食店側の課題を解決すると同時に、地方の質の高い食材を全国に流通させることもできるので、経済的に疲弊している地方を元気にできるかもしれない。双方がWINWINになる仕組みとして考えたのが、『淡路島カレー』の発端でした」

 次の課題は「淡路島カレー」をどう広めるか。そこで試しに三越前のピアノバーと六本木のバーを昼間だけ借りて営業してみたところ、三越前のランチ営業だけで月平均100~120万円の売上をあげることができたという。カレー業界で有名なライターが紹介してくれたこともあり、次第にライセンス契約の問い合わせが増えていった。

 それにしても、もともとはコンサルティング会社でありながら、いきなり移動販売車を始めたり、全国のカレーを研究して「淡路島カレー」を開発したり、さらにはバーでランチ営業をしてみたりと、思いついた仮説を検証して必ずかたちにしてみせる大山氏の行動力には目を見張る。どういった行動指針に基づいているのだろう?

「もともと僕が理系だからだと思います。化学の実験というのは、1回の実験で12時間観察して、それが失敗したらまた12時間かけてやり直すという学問で、僕にとって新規事業や新しい仕組みを作ることも同じように実験なんですよね」

大山淳氏を知る3つのポイント

座右の書『論語と算盤』

(渋沢栄一/著)
「東日本大震災の前後に、渋沢栄一(1840~1931年)さんの子孫の渋澤健さん主宰の経営塾に1年間通っていました。震災直後は移動販売車で水やカセットボンベが売れて、売上は上がっているんだけど、どこか不甲斐なさを感じていた。塾で渋沢栄一さんの考えを勉強するうちに、売上だけで成功だと判断するのは間違った考え方だと気づかされたんです。渋沢栄一さんは『日本の資本主義の父』と呼ばれる実業家ですが、著書の『論語と算盤』のなかに、経験を積んだ者には成功や失敗という概念はなくなり、いずれも身から出た錆びみたいなものだと書かれていて、そんなものに惑わされるのではなく、自分の信念を貫いた人生を歩むことが大事だと実感しました。渋沢栄一さんの考えに触れたことがきっかけで、移動販売車から撤退し、ゼロベースで『淡路島カレー』を作ることができたと思います」

アイデアはサウナで生まれる

「事業のアイデアは、朝お風呂に入って歯を磨いたりしているときか、夜サウナに入っているときに浮かんでくるのが、いつものパターンですね。この2つのときしか発想が浮かんでこなくて、それ以外の時間は、僕の脳みそは死んでます(笑)。僕は単純な性格なので、同時にそんなにたくさんのことは考えられない。そのとき重要だと思ったことがあったら、それだけに集中して他のことはやらないようにしていますね」

企業文化は「加盟店ファースト」

「今年に入ってからメンバーにはずっと『加盟店ファースト』と言い続けています。ベンチャー・リンク時代のFCには加盟金とロイヤリティが高すぎるといった問題がありました。人をいっぱい雇用するとなると、それに伴ってFC本部がいいオフィスに入る必要があり、それをペイするためにさらに加盟金とロイヤリティが高くなっていく。それに対し、我々はロイヤリティをいただいていないぶん、人員も本部のコストも極力圧縮しています。そうするとスタッフは、やることがたくさんあって忙しいとなって、どんどんお客さんから離れてしまいがちなんですよね。だからこそ『加盟店ファースト』でカレーの出数を増やす業務のみに専念するように指示を出しています。小さな本部でも加盟店さんと絶対にWINWINの関係を築けるはずだと信じています」

取材・文●大寺 明  写真●高村征也

3段階に変化する深い味わい
淡路島カレー

「淡路島カレー」は瀬戸内海沿岸で育てられた「淡路島の玉ねぎ」を
丸ごと1個使用しています。その中でも梨とほぼ同じ糖度の玉ねぎだけを
飴色になるまで4時間ゆっくり炒め、さらにリンゴ・バナナ・マンゴー・パパイヤなど
9種のフルーツが溶け込んでいることが、「淡路島カレー」の甘さのヒミツ。

ふたつ目のヒミツは、甘みの次に感じる深い「コク」。
淡路島の工場で丁寧に炊いた鶏ガラスープと香味野菜のスープ、
さらに特別にブレンドしたデミグラスソースが合わさることにより、
上質な深いコクと旨味を生み出しています。

3つ目のヒミツは、最後に感じる「辛さ」。
源泉唐辛子とターメリック、コリンアンダーなど
16種類以上のスパイスを、配合や投入する順番にこだわった結果、
「「甘さ・コク・辛さ」と3段階に変化する大人のためのカレーが完成しました。

「淡路島カレー」はロイヤリティ0のライセンス契約のみで導入が可能です。
フランチャイズをご希望の方には、専門店パッケージもご用意。
ご検討をお考えの方は、こちらをご覧ください。