「その人らしいお葬式」をプロデュースし、葬儀業界に革新をもたらしたアーバンフューネス代表・中川貴之インタビュー

株式会社アーバンフューネスコーポレーション 代表取締役社長 兼 CEO 中川貴之
1973年東京都生まれ。明治大学政治経済学部卒業後、電子部品メーカーに入社。98年より結婚式プロデュース会社の㈱テイクアンド・ギブ・ニーズの立ち上げに携わる。2001年に役員として同社の上場を経験。02年に葬儀業界に転身し、㈱フィール(同年12月に現在の社名に変更)を設立。07年に経済産業省主催の「ハイ・サービス日本300選」の第1回選定企業受賞。08年に「ドリームゲートアワード2008」を受賞。12年に明海大学非常勤講師に着任。著書に『Time of eternity―告別』がある。

100人いれば100通りのお葬式があっていい。葬儀業界に新風を巻き起こした「感動葬儀」の挑戦

 首都圏で葬儀事業を展開する株式会社アーバンフューネスコーポレーションは、故人それぞれの人柄が偲ばれる「100人いれば100通り」の葬儀をプロデュースすることで、ともすれば閉鎖的な印象もある葬儀業界に新風を巻き起こした。同社が提案する“その人らしいお葬式”とは、どういったものだろう? 最近では女優の淡路恵子さんの葬儀が印象的だ。生前に人気ゲーム『ドラゴンクエスト』を愛好していたことから、葬儀会場にドラクエグッズが並べられた様子がテレビに映し出され、記憶に残っている人も少なくないだろう。「往年の名女優」である淡路さんの素顔を垣間見るような演出であった。

RIMG0072_sab03 お祭り好きだった主人を出棺の際に「送り太鼓」で送り出したり、豆腐屋の主人の商売道具を会場に飾るなど、“その人らしさ”を演出した同社の葬儀は、メディアによって「感動葬儀」と名づけられている。代表の中川貴之氏は、どのような想いから葬儀をプロデュースしようと考えたのだろうか?

「友人のご家族が亡くなってお葬式に出席したとき、その友人を慰めに行くという大事な意味合いがあるわけですが、手を合わせているのに、亡くなった方のことをほとんど何も知らないというのは、すごく残念なことだと感じていました。亡くなられた方と残された人の想いを取り入れる場面というのが、お葬式にはありませんよね。ただ悲しみにくれるだけでなく、故人がどういう人だったか、どういう人生を歩んできたかを、もう一度みんなで共有し、最後の別れの時間を過ごせるようなお葬式を作っていきたいと考えたんです」

 自分が喪主を務めることは人生においてそう何度もあるわけではない。慣れている人はむしろ稀だろう。突然訪れた身内の死に対し、動揺しながらも急いで葬儀の手配をしなければいけない状況のため、葬儀会社に任せきりになりがちだ。

「昔はみんな信心深かったんです。お葬式になればお坊さんがお経をあげてくれて、四十九日には成仏するというふうに宗教儀礼が生活の中に根づいていた。それがこの数十年の間に、核家族化が進み、生活環境が変わってきたとことで、お葬式だけは宗教儀礼で行われていますが、実のところ儀礼の意味がよくわからず、形式化されていますよね。そこへ葬儀屋さんがやってきて、段取りだけ決めて進行していく感じになってしまった。私たちはそうではなく、宗教儀礼としての部分と、お客様の想いを形にしていく両方の部分を大事にしているんです。死の恐れを解消し、生きることの救済や生き方を説くのが宗教だとすれば、宗教が葬儀をつかさどることは、世界的に見てもごく当たり前のことです。今の時代に宗教儀礼がいらないかというと、そんなことはない。インターネットで申し込まれる方の8割が、今も仏教式のお葬式を望まれているんです」

 中川氏はむしろ日本人に受け継がれてきた宗教儀礼の本当の意味や価値を伝えていきたいと考えている。その一方で、“その人らしさ”を伝え、人間味のある「100人いれば100通り」の葬儀にしていきたいという考えだ。

RIMG0043_sab02「昔は近所のみんながお葬式を手伝ってくれたので、家族は喪に服して、大切な方が亡くなったことを悲しみ、悼むことができた。お通夜は、故人様がまだ旅立っていなくて、楽しそうに過ごしていると戻ってくるかもしれないと信じられていたから、食べて飲んでにぎやかに過ごしたものでした。そうした葬儀のあり方が脈々と受け継がれていたのが、いつ頃からか段取りややり方が確立され、葬儀サービスになってしまった。私たちは、すべてにおいて大事なのは、人の心だと考えています。宗教儀礼の意義を見出せなくなっている人もいる今、それだけでは人は“悼んだ”という想いを遂げられなくなってきている。それを補うためには何が必要かというところに私たちは斬りこんでいったわけです」

 とはいえ、葬儀とは粛々と進めるものだという固定観念がある中で、これまでにない新たな形の葬儀を提案することは、なかなか勇気のいることに思える。中川氏に迷いはなかったのだろうか。

「まったくなかったですよね。私たちはただ派手なことをやろうと葬儀会社を起ち上げたわけではなく、お客様の想いを引き出して形にしようという気持ちからスタートしています。お葬式で何をやってはいけないといったルールは、実はまったくないんですね。一方で、じゃあ何をしよう、となっても誰も答えられない。最初の頃は、私たちのやろうとしていることが理解されず、説明するのに大変なときもありましたが、提案し続けてきた結果、最近では多くの人に賛同いただいているんです」

 同社が葬儀業界に革新をもたらしたのは、「感動葬儀」だけではなく、いち早くインターネットによる受注を開始したことだ。さらに、予算や人数に合わせたパックプランを設けるなど、葬儀にかかる費用を明瞭にしたことも革新的だった。それまで葬儀の際にお金の話をすることが憚られるような風潮があったからだ。

「結婚式の場合は、金額が提示されていることが一般的ですよね。葬儀業界で起業する際、まずその当たり前のことをやろうというのがあった。今はパックプランにしてわかりやすくしていますが、最初の頃は一人ひとり料金の見積もりを出していたんです。つまり、“その人らしいお葬式”を打ち出しているわけですから、パックではおかしいというわけです。でも、それはこちらの都合であって、お客様からしてみれば、ざっくりでいいからいくらかかるのかを知りたい。その不安を解消しないことには、こちらのコンセプトも届かない。かなり悩んだんですが、パックプランを設けて料金を明瞭にする方向に途中で切り替えたんです」

ウェディング業界から葬儀業界への大胆な転身。旬のタイミングの今、「やるしかない」と決意した

 起業前の中川氏は、株式会社テイクアンドギヴ・ニーズの創業メンバーとしてウェディング業界に携わってきた。結婚式とお葬式の世界では真逆にも見えるし、人生のもっとも大切な儀礼という意味では、相通ずるものにも見える。なぜ中川氏はまったく未知の世界であった葬儀業界へと転身したのだろうか。その経緯は大学時代にさかのぼる。

RIMG0063_sab01「実家が自営業だったので“働く=経営する”といった感覚が子どもの頃からしみついていたんです。それが当たり前で、独立志向や起業といったことをあらためて意識したこともなかった。しかし、大学を卒業する際、自分で会社をやろうにも特にやりたいこともないし、起業のこともわからない。お金も人脈もないわけです。高校ではラグビー部、大学ではアメフトをやっていたので、ほとんどバイトをしたこともなく、あまり社会に出たことがないまま学生時代を過ごしてしまった。だから一度ちゃんと就職活動をして社会に出て、働いてお金を稼ぐことや、どうやって会社が回っているかということを学びたいと考えたんです」

 そこで中川氏は、日本の発展を担ってきた製造業の世界に目を向け、電子部品メーカーに就職した。とはいえ、生まれついての起業家精神を持ち続けての会社員生活だったようだ。

「会社には申し訳ないですが、5年で辞めようと思っていました。自分はどんな環境でもわりと楽しく過ごせるタイプなので、どこかで区切りをつける必要があったんです。その間に自分がやるべきことを見つけて独立しようと考えていたわけですが、入社から2年半ほど経った頃、客先に向かうために普段は乗らない電車に乗ったんですね。朝の混んでいる時間帯だったんですが、ふと見ると、窓ガラスに大学時代のアメフトの先輩の顔が写っていたんです」

 その先輩がテイクアンドギヴ・ニーズ社の創業者である野尻佳孝氏だったというわけだ。当時の野尻氏は会社を辞めてウェディング業界の会社に再就職をして独立準備をしており、立ち話をしているうちに「一緒にやろうぜ」と誘われたそうだ。

「それがはじまりでしたね。アメフトの先輩後輩なので、基本的に『はい』としか言えない(笑)。明治大学付属の中学・高校の頃からずっと知っている先輩で、人間的にもよくわかっていたので、この人とやったら面白いだろうな、と思ったんです。『はい』と答えた後に結婚式の会社を起業しようとしていることがわかって、最初は『なんだろう?』という感じでしたよね」

 それまで体育会系の世界にいた中川氏は、そもそもサービス業が得意ではなかった。結婚式の準備や取引先との契約といった業務はスムーズにできたが、電話や対面での営業トークが上手くできず、当初はかなり迷惑をかけたという。ウェディングプランナーのマネジメントにも携わり、人材育成でも力を発揮していく中で、会社は驚異的なスピードで成長し、3年目にして上場することに。創業メンバーとして経営を経験したことが、中川氏を起業へと導いてゆく。

「葬儀業界への興味はけっこう前からあったんです。会社を起ち上げて間もない頃、まだ売上も立っていないわけですが、時間だけはあるので、創業メンバーで夢を語ったりしていた。そのとき野尻さんは、売上1千億円くらいの企業規模にしていきたいと言いながらも、結婚式市場では500億円くらいが妥当だろうと話されていたんです。あとの500億円は別の事業で作っていくから、何か新規事業を考えてほしいと言われて、冠婚葬祭というくらいだから、お葬式をやるといいのではないか、と話したんです。それがずっと頭に残っていたんですね」

 ウェディング業界で初めてサービス業に触れ、若き日の中川氏の中である気づきがあったという。それが葬儀業界で活かされていくことになるのだ。

「お客様とコミュニケーションをとることで、いろんな想いを引き出し、提案をしながら一つの形に作り上げていくことがサービス業の醍醐味です。結婚式は新郎と新婦がいて、二人が望んでいることなので想いを引き出しやすい。しかし、お葬式は望まないことだけど、やらなくてはいけないことですよね。だからこそ、お客様の想いを引き出して形にしていく人間がより大事だと思ったんです」

 そのときの中川氏は、自分の裁量でやってみたいというだけで、独立とまでは考えていなかった。社内の新規事業として考えていたが、上場して間もない企業にとっては、やや早急な話であった。

「チャレンジさせてほしいと相談したところ、検討してもらえることになったんです。ただし、2年待ってほしい、ということでした。上場して資金調達をしているので、事業計画にないことができない状況にあったんですね。しかし、上場を達成して、ひと仕事終えたような感覚もあって、葬儀業界にチャレンジしたいというテンションが高まっていて、『今やるしかない』という気持ちになっていた。自分が考えていることは、どこかの誰かも考えていることだと思うんです。テイクアンドギヴ・ニーズ社の創業から上場までを経験し、ビジネスは先手必勝だと実感しました。旬のタイミングでスピード感を持って事業を広めていくことが重要なんです」

 さらにタイミングよく葬儀業界への転身を後押しするような出来事があった。西葛西にあった結婚式場が不振のため、中川氏に助言を求めたのだ。立地的に葬儀会場にした方がいいとアドバイスしたところ、その経営者は格安で中川氏に物件を譲ることを申し出たのだ。これを葬儀会場にすることで、中川氏はアメフト時代の後輩である加藤勉氏と共にいよいよ起業。29歳の頃であった。

起業11カ月目にして“その人らしいお葬式”を形に。様々な“気づき”が会社を成長させてゆく

 ところが、起業当初はまったく思い通りにならなかったという。「その人らしいお葬式にしましょう」と提案しても、それがどういった葬儀であるのか誰もイメージできず、みな一様に黙りこくってしまうばかりだったのだ。早くも壁にぶつかったわけだが、起業したのだから葬儀の仕事はやっていかなければいけない。業界でいち早く花祭壇を取り入れたり、ウェディング業界から持ち込んだキャンドルの演出といった工夫をしていたが、それだけでは中川氏が目指していたお葬式と言えるものではなかった。

RIMG0072_sab02「そのときの私は半ば諦めかけていて、どう送り出したいかを聞くこともなく淡々と進めようとしていたんです。『ご主人を偲ぶ物があれば、それを飾りたい』という話をしたところ、75歳で亡くなったそのご主人は、仕事を引退してから水墨画に没頭していたということでした。趣味程度に描いていたんだろうと思っていたんですが、驚きましたね。祭壇の横にちょっと飾るくらいのつもりだったのが、段ボール箱いっぱいに立派な水墨画が30点以上入っていたんです。いろいろ考えているうちに作品を創作している人は個展を開きたいはずだと思って、西葛西の会館の空きスペースを使って水墨画の個展を開くことにしたんです」

 作品一つ一つに照明を当て、看板まで用意した故人の水墨画展は大きな反響を呼んだ。故人のそうした活動を知らなかった人も多く、水墨画を見ながら人柄にまつわる話や昔話に花咲き、中には個展スペースに入った瞬間に泣き崩れる人もいたという。

「こういうお葬式がやりたかったんだと実感しましたね。それまでは、どう送り出したいかをお客様に聞いても答えが返ってこなかったため、何もできずにいましたが、『サプライズでいいんだ』と気づいたんです。そこから弊社のお葬式は変わっていきましたね。しかし、演出に自信があったのでお客様から感想を聞きたいと考えるわけですが、意外とあんまり覚えていないことが多かったんです。ただし、とても喜んでくれている。結局、何に対して喜んでくれているかというと、若い二人が他人のためにそこまで一生懸命に考えて頑張ってくれているということに感激してくれていたんです。大事なことは、出来合いのものではなく、人とのつながりや思い入れなんですね。それもまた新しい気づきでしたね」

 この水墨画展によって、初めて“その人らしいお葬式”をすることができた。起業から11カ月、最初の葬儀の受注から4カ月が経った頃のことだったという。

「元々は結婚式のビジネスモデルを葬儀業界に持ち込もうと考えていたわけですが、それは、結婚式場をいっぱい建てて急展開しようとするものでした。しかし、葬儀業界の場合、まず住民問題がネックになるので、そうはいかない。35年ローンで家を買った人が、5年ほど経ったところでいきなり家の前に葬儀会館が建つ計画が出てくると、それはたしかに嫌なものですよね。また、昔ながらの葬儀会社であれば、病院とのつながりもあって営業に力を入れずとも受注することができますが、新規参入ではそうもいかない。営業のことをあまり考えずにスタートしてしまったので、集客では苦戦することになりましたね」

 起業から1年半ほどは中川氏と加藤氏の二人だけの規模であり、葬儀のない日には自らポスティングをして宣伝活動をしていたそうだ。そんなとき“その人らしいお葬式”がメディアで話題となり、救われたのだという。テレビや新聞で紹介されることで、西葛西以外のエリアからも多くの受注が舞い込んだのだ。

「実際にやってみると、借りることができる葬儀会館が各地に沢山あることがわかったんです。そこで、建てるのではなく借りることでエリアを広げていく事業展開に変えていくことにしました。メディアがメディアを呼んで集客も順調だったんですが、さすがに3、4年もすると賞味期限が来る。そのため、自力で集客する手段としてインターネットに目を向けたんです。大事なお葬式をインターネットで決めていいのか、という葛藤もありましたが、不幸事なので人に聞きづらいこともありますし、いずれは多くの人がインターネットで葬儀会社を探す時代になるはずだと考えたんです」

 当初は「こんな想いを込めてお葬式をやっています」といったメッセージ性をホームページでPRしていたが、まったく反響がなかったという。

「全然ダメでしたね。よくよく考えてみると、ネットで葬儀会社を検索している人は、もっと切実に条件を決めて探しているはずです。そう考えたとき、条件は三つに絞られました。まず金額と場所です。そして三つ目が、万が一のとき(突然、人が亡くなったとき)どうすればいいかという情報です。この三つをダイレクトに伝えた上で、コンセプトを提示する作りに変えていったんです」

 その結果、同社は2011~2013年まで3年連続で首都圏の葬儀社で3年連続成長率No.1を記録し、従業員も86名にまで拡大した。会社が成長していく過程で、経営者として意識が変わってきたことはあるだろうか。

「『企業活動を通じて 心を大切にする 社会の進展に寄与する』という企業理念は、実は6年目にやっとできたものなんです。それまでは、よそから引っ張ってきたような綺麗ごとを掲げてもしっくりこないので特には決めず、とにかく良いお葬式をしたいという気持ちがあるだけでした。しかし、社員が少しずつ増えてくるにしたがって、彼らに対してどういう会社であるべきなのか、また、世の中のために会社はどうあるべきなのか、といったことをすごく考えた時期があったんです。仕事とは、人生のほとんどを形成しているものですから、何のためにお葬式の仕事をしているのか、といったことをはっきりさせる必要があったんです」

 それまでの中川氏は、「どうすれば“その人らしいお葬式”を世の中に広められるか」「どうやったら売上が上がるか」といった自分の目的しか見えていなかった。そんなとき、社外役員から薦められた司馬遼太郎の『龍馬がゆく』を読み、意識が変わっていくのを感じたという。

「なるほど、と気づかされましたね。それは視点の違いだったんです。自分たちは良いサービスだから広めたいと考えている。しかし、そうではなく、世の中を広く見渡し、人々が何を必要としているかを考えることが先なんです。自分がこうしたいというより、葬儀とはそもそもどうあるべきか、という原点に立ち返るきっかけにもなりましたね。その視点を持ったとき、行動や発信力、価値を創造するための戦略といった様々なことが開けていったんです」

中川貴之氏が大切にしている3つのこと

起業家のモチベーション

「究極を言うと、我が強いんだと思います。それは、3人兄弟の真ん中という育った環境が影響しているんでしょうね。兄貴は初めての子なので親から目をかけられ、怒られたりもする。私はそれを見ていて同じ轍は踏まないので、親からすれば手がかからない良い子なわけです。弟は一番下だから心配されますよね。そうすると、真ん中の私に対しては、時間的に親の愛情が減るわけです。そのぶん自由なわけですが、一方で、人に見てほしくて何かを訴えたくなる性格が培われていったように思うんです」

信条・モットー

「何事も精一杯やることが全てです。29歳で起業したわけですが、私の3倍以上も生きてきた90歳の人の人生を、自分なりに感じとって形にしようとしているわけで、喪主さんにしても60歳だったりして、自分の倍も生きている方々ですよね。そうなると、100点満点の答えなんてないわけです。もう精一杯やるしかない。これは、何事においても同じだと思います。これまでいろんな失敗やうまくいかなかったことを経験してますけど、会社を潰さなくてすんだのは、精一杯やったからですよ。だからこそ、ダメだったことやタイミングを損なったことがわかって引き際もわかる。逆にダラダラやってしまうと、答えや感触がいつまでたってもわからず、失敗してしまうことが多いと思いますね」

ビジョン

「いずれは全国の大都市圏に広げていきたいと思ってます。都市部では人とのつながりが失われつつある。だから私たちが提案するお葬式が求められているわけであり、人とのつながりが密接で信仰が色濃く残っている地域に進出する必要はないと考えています。一方で現在、台湾進出に挑戦しているんですが、弊社のお葬式が台湾のお客様に満足していただいています。日本は高度経済成長期を経て欧米のような暮らしになっていきましたが、それにともなって地域性が失われ、お葬式が形骸化していった。これと同じことが必ずアジア諸国でも起こってくると思うんです。アジアに支えられ、発展してきた我々日本人が、その恩返しとして、心を込めたお葬式のやり方を伝えていくことができれば、今この時代に私たちが生かされている意味があると思うんです」

Ab120

葬儀社アーバンフューネス
日本古来の儀礼文化を大切にしながら、旅立つ方と見送る方の想いをかたちにする「100人いれば100通りのお葬式」をご提供しています。東京・神奈川・埼玉・千葉の1都3県1220斎場からご葬儀をお手伝いし、首都圏の葬儀社では、2011年より3年連続で年間成長率No.1を記録。心のこもった「あたたかいお別れ」を海外に広めるべく、台湾でも事業展開しています。

取材・文●大寺 明