経営は子育てと同じ。日本の伝統産業を次世代につないでいくことを使命とする㈱和える代表・矢島里佳インタビュー

株式会社 和える 代表取締役 矢島里佳
1988年東京都生まれ。慶應義塾大学院 政策・メディア研究科卒。職人の技術と伝統の魅力に惹かれ、19歳の頃から日本の伝統文化・産業の情報発信の仕事を始める。「21世紀の子どもたちに、日本の伝統をつなげたい」という想いから、2011年、大学卒業と同時に株式会社和えるを設立。幼少期から職人の手仕事に触れられる環境を創出すべく、子どもたちのための日用品を、日本全国の職人と共につくる“0から6歳の伝統ブランドaeru”を立ち上げる。また、全国の職人とのネットワークを活かしたオリジナル商品・イベントの企画、講演会やセミナー講師、雑誌・書籍の執筆など幅広く活躍している。

日本の伝統産業を次世代につないでいきたい。でも、物が売れないと職人の仕事は続かない

 物というのは不思議なもので、見ているだけではわからないが、手にとるとしっくりきたり、気持ちが安らいだり、物の良さが直に伝わってくる。職人の手仕事で一つ一つ丹念に作られた物の魅力は、見た目の美しさだけでなく、実際に触れて使ってみたときの用の美にあるだろう。

「0から6歳の伝統ブランドaeru」を展開する株式会社 和える代表の矢島里佳さんは、自社ブランドの中でも人気の「青森県から 津軽塗りの こぼしにくいコップ」を持参してくれた。手にとってみると、子どもがこぼしにくいように施された工夫が手に馴染み、なめらかな質感が実に心地いい。栃の木に漆を約50工程かけて塗り、一つ作るのに2カ月ほどかかるという。大人になっても一生大事にしたくなる逸品だ。

 和えるでは日本の伝統技術を用いて、こうした子ども向け商品をプロデュース・販売している。赤ちゃんに物の良さがわかるだろうか? と訝る人もいるかもしれないが、むしろ「赤ちゃんの方が物の価値がわかる」と矢島さんは言う。

a-eru_sab4「流れ作業で作られるものと、職人さんが2カ月かけて作るものでは、やはり込められた想いが違いますよね。そうした作り手の魂が、大人にはなかなかわからなかったりするのですが、赤ちゃんや子どもは触るとそれがわかるんですね。aeruの商品で『愛媛県から 湧き水で漉いた 和紙のボール』という玩具があるのですが、赤ちゃんがそれで遊びはじめて離さなくなったことがありました。お母さんが取り上げると大泣きして、手に戻してあげるとぴたっと泣き止む。『この子がこんなに泣いたとこはない』とびっくりされて、親御さんが赤ちゃんの反応を見て物の価値に気づかされるほどです」

 矢島さんが起業したのは、驚くことに大学在学中の22歳の頃。そのきっかけとなったのが、ライターとして日本各地の職人を取材した経験だ。19歳のときに旅行会社に企画を持ち込み、3年にわたって会報誌に取材記事を連載。それ以前にもAO入試の本を執筆して書籍化を果たすなど、企画を実現させる行動力には目を見張るものがある。その原動力はどこからくるのだろうか?

「“無知の勇気”だと思います。大人になると行動する前から無理だと決めつけてしまいますけど、当時の自分には、いい意味でそれがわからなかった。とにかく職人さんに“会いたい”という思いがまず最初にあって、そのためには地方に行かないといけない。でも、大学生でお金がないから旅費が出せない。そこでライターとして仕事にすることを思いついたんです。忙しい職人さんに私だけが話を聞くのでは申し訳ないですから、それを発信すれば、私一人に話すだけで終わらず、多くの人に知ってもらえる。二石三鳥くらいのことを考えるのが好きなのかもしれませんね」

 伝統産業に興味を持つきっかけとなった経験は、中学・高校の頃だという。茶華道部に入部した矢島さんは、お茶室にいると自然と落ち着くことを常々感じ、それが伝統産業品に囲まれているからなのではないかと考えるようになった。それから矢島さんの興味は、それを作り出す職人へと向かっていったのだ。

「自分の手で物を作り出せる人に尊敬の念があるんです。19歳のときに職人さんと出会ってから、これまでに200人以上の職人さんとお会いしてきました。昔の人が考案した技術を受け継ぎながら、なおかつ革新も行っていて、まさに伝統というのは生き物だと感じます。それをつないでいるのもまた人間という生き物。私も日本の伝統を次の世代につないでいきたいと考えるようになったのです」

 それまでライターとして活動してきた矢島さんにとって、それは文章にしたり、講演で話をしたりすることで人々に伝えていくことだった。その一方で、職人の取材を重ねるうちに業界全体が抱える悩ましい状況に直面することになる。

「あるとき、物が売れないと職人さんの仕事は続かない……とあらためて考えさせられたんです。取材で職人さんに話を聞いても、やはりそれがネックになっている。でも、20歳の私がその技術を素敵だと感じているわけですから、同年代の人も同じように感じるはずだと思いました。ただ、自分たちが普段使える物や、将来、自分の子どもに使わせたいと思える物が、市場になかったんです」

 そこで矢島さんは、赤ちゃん・子ども×伝統産業という市場を開拓している会社を探したが、就職活動中に見つけることができなかった。ないのであれば自分で作るしかない。実のところ、矢島さんは起業家を目指していたわけではないそうだ。母が経営者だったため、365日仕事のことを考えている社長業の忙しなさを見て育ち、「経営者って大変だなぁ」と思っていたという。しかし、日本の伝統をつないでいくという目的を追求すると、やはり起業が必要だった。

「物を販売するには個人事業主では難しいですから法人格が必要になってくる。誰かがリスクをしっかりとって事業としてやりきらないと何も変わらない、と思ったんです。だけど、私は法学部政治学科だったので、ビジネスや経済学のことはわからない。そこで、事業計画を立てて起業家コンテストに出場してみることにしたんです。実際にチャレンジしてみることによって、ビジネスとして成立しそうだと確信が持てるようになっていきましたね。ただ、これまでやろうとした人がいなかっただけだとわかったんです」

 そして、東京都の中小企業振興公社が主催する「学生起業家選手権2010」で矢島さんは見事優勝。優勝賞金150万円を資本金として会社を設立することになる。

「私にとってはライター業も講演業も物販業もすべて同じことなんです。表現の方法が違うだけで、一貫していることは“伝えたい”ということなんです」

伝統産業の“目利き”であることが使命。「本当に子どもたちに贈りたい物」を選んでゆく

 30代の若手の職人の中には、矢島さんと同じように、新しいことをやりたいと考える人も少なくない。しかし、日々の忙しい仕事の中で、なかなか行動に移せないのが実情だ。ましてや彼らは宣伝や販売が不得手だったりする。逆に矢島さんは作ることはできないが、女性ならではの感性で商品をプロデュースし、宣伝や販売を手がけることができる。

a-eru_sab1「やっぱり職人さんが一番得意なことは物を作ることですよね。職人として技術を向上させることが目標であり、名もなき職人になりたい、という若い方もけっこう多いんです。だから、できれば営業やPR活動はしたくない。でも、それが許されないのが今の時代なんです。自分でPRしない限り、誰も買ってくれない。新たな物を作ったとしても、どこに置いていいかがわからない、という職人さんがけっこういらっしゃいました。自分の代わりに、そうしたことをやってもらえると嬉しい、と言ってもらったことで起業に意識が向かいましたね」

 和えるの最初の商品となったのが「徳島県から 本藍染の 出産祝いセット」だ。桐箱の中には、本藍染で染め上げた産着、フェイスタオル、靴下が入っている。この「本藍染」が和えるのこだわりなのだが、ほとんどの人はその違いがわからないだろう。

「江戸時代から続く“天然灰汁発酵建て”という技法で職人さんが作ってくれているんですが、以前に『本藍染と藍染風のものをきちんとわけて欲しい』と話されていたんです。実は市場に出回っている藍染の9割が化学薬品を使った染め方なんです。それに対して本藍染は、天然のものしか使わない染め方。どう違うかと言うと、化学薬品を使ったものは洗濯をすると他の衣服に色移りをし続けますが、本藍染の方はもちろん藍なので褪色はしていくものの、他の衣服に色移りをし続けないのです」

 どちらがいい悪いと言っているのではないという。「違うものだということを消費者に正確に伝えたい」ということなのだ。化学染料の台頭で、今では本藍染の原材料を作る職人が少なくなり、原材料を手に入れにくいことも業界の悩みになっている。化学薬品を使った藍染が市場の大半を占めることになり、本藍染の原材料を使用する人が減ってしまったことも一因となっている。値段は2~3倍ほど違うが、それに見合うだけの価値が本藍染にはある。

「本藍染は抗菌作用があったり、紫外線をカットしてくれたり、防臭・防虫効果もあって人の肌を守る優れた効果があるんです。そうしたことが消費者にはあまり伝えられず、ただ意匠性だけで見られていることが多いように感じます。販売する人は藍染だから色移りすると説明しますけど、それは違いますよね。化学薬品を使っているから色移りするのだと正確に説明すべきです。私たちはその違いをきちんと伝え、消費者を混乱させないようにしていきたいんです」

 和えるは、子どもたちに自信を持って届けることができる物にこだわっているため、多少値は張っても、本物を提供していきたいとする。

「私たちは伝統産業を伝えていくと共に、目利きをすることが使命だと考えています。単に物の目利きというだけでなく、職人さんの生き様の目利きでありたい。私たちの言う“本物”は、カタカナで“ホンモノ”としているんですが、『“本”当に子どもたちに贈りたい日本の“物”』という意味を込めています。だからこそ、肌にやさしい物であったり、洗濯が楽で気兼ねなく何度も使ってもらえる物を提供していきたい。和えるに来れば“ホンモノ”が見つかるよ、という場所にしていきたいんです」

 そうした違いが世の中の人に知られていなければ、“ホンモノ”を作り続けている職人は、高いという理由で物が売れず、商売としては苦しくなる。言葉は悪いが、「正直者が馬鹿を見る」ことになりかねないだろう。

「大量生産・大量消費も、場合によっては必要なことなのかもしれません。けれども、和えるとしては、純粋に子どもに贈りたいとは思えないので、そちらは選びません。そうすると自ずと昔ながらの作り方に真面目にこだわり、ある意味、商売が不得手な職人さんが作り出した物の方が、私たちにはしっくりくる。元々、職人さんの仕事や生き様に惚れた、というところからスタートしていますから、やはり私が一番やりたいことは、彼ら彼女らと一緒に仕事をすることなんです」

 和物の美しさに日本人があらためて気づいたのは、ゼロ年代に入ってからのことではないだろうか。それ以前の日本では、洋風の物や工業製品が好まれ、手作りの伝統産業品を好む人は少数派だった。多くの人は「古くさい」くらいにしか考えていなかっただろう。しかし、矢島さんの世代になってくると、古くから続く伝統が素晴らしい価値へと一転する。

「私自身の原体験を思い出しても、幼少期に日本の伝統的なものに触れた機会が少なかった。習い事にしてもバレエやピアノといった洋のものばかりで、学校の授業でも自国の伝統文化や伝統産業をあまり教えない。戦後の歴史といった様々な事情があるのかもしれませんが、それは日本にあまり触れない教育ですよね。もう一度、日本の伝統、先人の知恵を見つめ直すことが、21世紀の私たちには必要なのではないでしょうか。20世紀はモノの時代でした。たとえば電話は話せるという機能だけが求められる。でも、21世紀はそれだけでは受け入れられず、電話を一つのコミュニケーションツールとして捉え、より豊かな生活や豊かな感性を育んでくれることが期待されるようになっていきました。モノの時代から感性の時代へ移行し始めているのです」

経営は“子育て”と同じ。自分一人では育てられないし、母(経営者)は子ども(会社)に育てられていく

 経営においても、矢島さんは“感性経営”という自分の感性を信じる経営方針をとっている。

a-eru_sab2「前例や常識にとらわれず、素直に自分の直感を信じて経営をしていきたいと思っています。過去にこれで成功した失敗した、という前例も、時代が変われば変わってくるものだと思うんです。時代の流れに逆らわず、自分が目的としていることを、どのタイミングでどういった方法で実現するかは、経験値の問題ではないはずです。むしろ経験がないからこそ、感性にしたがって考えることができる。そのためには、自分の心が整っていないと聞こえるはずのことも聞こえなくなり、判断を誤ってしまう。大人になるにつれ、経験を元に予測ができるようになり、そこから判断しようとしますが、その経験が感性を曇らせるんですよね」

 矢島さんがやろうとしていることは、古き良き伝統と現代的な感性を“あえる”こと。混ぜ合わせるのではなく、両方の本質を引き出そうという考えだ。

「今、利益を出す必要のある事業と、20年後のお客さんを作るための事業と両方必要だと考えています。私たちが最終的に目指しているのは、自国の伝統を今を生きる自分たちらしく次世代につないでいくことができる文化です。その第一章が、幼少期から伝統産業品に触れられる環境を作っていくこと。そして、子どもたちが大きくなってくると、今度は職人さんに逢えるツアーを企画したり、順を追って子どもたちの感性を育てていきたい。選択肢に海外製品もあれば、近代製品もあれば、伝統産業品もある。そうした状態を作るためには、教育が絶対に欠かせないと考えています。和えるでは教育を事業の根幹に置いているのです」

 幼少時に津軽塗のコップを使ってきた子どもが大きくなり、津軽塗を購入してみようと調べたときに、もう作れる職人がいなくなっていた……そんな悲しいことが起きないように矢島さんは職人とともに二人三脚で技術の継承に取り組んでいるのだ。

「種を蒔きながら刈取りをしていかないと、市場が大きくならないと考えています。ずっと刈り取るだけだったのが20世紀のやり方。だから今、疲弊しているのではないでしょうか。市場を生態系として捉え、動植物の食物連鎖のように絶えることのない循環型の企業に和えるを育てていきたいと考えています」

 和えるは2014年3月16日で設立3年となる。矢島さんの精力的な活動ぶりと、明確なビジョンには感嘆するばかりだが、実際は、幾度となく迷いと向き合ってきたという。

「起ち上げ準備をしているとき、何をやるべきなのか、実は私自身が一番わかっていなかったんです。伝統産業で子ども向けの商品を作るとプレゼンしましたが、ただの学生なので実際は商品のプロデュースをしたことも、販売をしたこともない。目指すべきところは子どもたちに日本の伝統をつないでいくことだとわかっている。でも、今の自分にそれが現実的にできるか?……と夢と現実を激しく行き来していました。お金も経験も人脈もないわけですが、その代わり、失うものもない。それを弱みと捉えるか強みと捉えるか、ですよね。1年間悩んだからこそ、素直に一番やりたいことをやろうという原点に戻ることができた。今の自分にできることを一歩ずつ進めていくしかないですね」

 では、実際に矢島さんはどう動いただろう? 会社や経営がまったくの未経験だった頃を振り返り、矢島さんはそれを子育てに例えた。

「法人格というのは、一つの人格であるということが会社法に記されています。和える君という一人の男の子が生まれ、私が生みの親なわけですが、最初は私一人しかいなくて、どうしよう!?という感じでしたよね。でも、目の前に和える君がいて、私が世話をしないとこの子は生きていけない。とにかく一緒に和える君を育ててくれる人を探すしかないと思いました」

 そこでまず矢島さんは、本藍染の職人に産着と靴下とタオルを染めてもらい、それを桐箱に入れて持ち歩き、会う人ごとに「こういうことをやりたい」と言い続けた。そうすることで徐々にデザイナーやブランドコーディネーター、プログラマーといった各分野のプロフェッショナルが集まりだしたのだ。

「最初は不完全でもいいから、まず形にしないと誰も信じてくれない。形にして見せることができれば、相手に伝わりますよね。形にしてみてダメだったら、本当にダメだということもわかるんです。私はこの不完全なものを100%にできる人が必要だと言い続けました。子育てというのは、母親一人に任せておくものではないですよね。それと同じで社会のみんなで育てていくのが株式会社のはずです。誰しも最初は子育ての経験がない。でも、子育てをしていくうちに母として育っていくと言いますよね。経営も同じで、私は和える君に育てられているんです。和える君が何を目的として生まれたかということだけは、母として絶対に忘れずにみなさんにお伝えしていくつもりです」

矢島里佳氏が大切にしている3つのこと

日本各地を飛び回る日々

「先週は仙台出張に行っていて、再来週には徳島出張に行きます。出張は常に一つだけの目的ではなく、界隈の産地も同時に巡って和えるの商品を作ってくれている職人さんにお会いしたり、新たな職人さんを発掘しています。講演の仕事で、その地域の職人さんを紹介していただくこともありますね。常に動き回っていて、『家に帰れてるの?』と大変そうに思われるんですけど、職人さんに会いに行くことは、親戚の家に伺うような感覚。今日はどんな出会いがあるのだろうと、わくわくする気持ちが原動力になっています」

座右の書

谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』
「非常に視点が面白いですし、日本の美の抽出の仕方がとても魅力的なのでお薦めします」

座右の銘

「『ありがとう』。結局、一人では何もできないので、自分ができないことをやっていただいたら、『ありがとう』と言いたくなります。いろんな国に感謝の言葉がありますが、日本語の『ありがとう』がもっとも言霊があると聞いたことがあるんです。たとえ口にしなくても『ありがとう』の気持ちをみんなが忘れずにいることが大事だと思うんです」

取材・文●大寺 明