日本を開かれた国にしたい。株式会社オークハウス 代表取締役社長 山中武志インタビュー

株式会社オークハウス 山中武志
1951年大阪府生まれ。京都大学経済学部を経て日本IBMに入社。営業担当としてトップクラスの実績をあげる。81年、同社を退社し、システム開発を手がけるACT社を設立。一時は従業員数150名、年商11億円を超す企業に成長したものの92年に倒産。同年、外国人と帰国日本人向けゲストハウスのビジネスを開始。98年にオークハウスを設立。現在、首都圏を中心に3000部屋を管理・運営し、このたび大阪事業所を開設した。

賃貸住宅市場は「鎖国状態」。日本を開かれた国にしたい

数年前、フリーランスで映像関係の仕事をしている友人が吉祥寺のシェアハウスに住みはじめた。敷金・礼金・仲介手数料などの初期費用がかからない「安さ」が一番の理由だったが、会社に所属しているわけではないフリーランスの人間にとって、「連帯保証人」が求められないことも理由としてあっただろう。フリーランスというだけで社会的に信用されないというのは、あまり気分のいいものではない。

当初は一時的な住まいとして考えていた友人だったが、結局、3年以上そこで暮らすことになる。リビングで住人とくつろいだり、一緒にお酒を飲んだり、パーティーに参加したり、シェアハウスの生活自体を楽しんでいるようだった。

これが、オークハウスが運営・管理するシェアハウスであり、5年前に1300部屋(ベッド数)だったのが、2013年には3000部屋にまで拡大する人気となっている。実際に入居する20代男性が、「会社から帰ってきても誰もいない一人暮らしより、みんながいるシェアハウスの方が全然いい」と話すように、今や首都圏では多くの若者が好んでシェアハウスに住みはじめているのだ。

オークハウス全体の入居者の性別は男性51%女性49%のほぼ半々で、年代は20代が53%、30代が35%、40代が9%となり、入居者の63.5%を日本人が占める。その他の36.5%は韓国人、アメリカ人、フランス人など多様な国籍で、外国人と身近にコミュニケーションできることも魅力になっているだろう。元々は連帯保証人制度がネックとなり賃貸物件を借りることが難しかった外国人と帰国日本人向けの「外人ハウス(ゲストハウス)」として始まったオークハウスだが、創業者の山中武志氏はこの事業によって、日本の賃貸住宅市場を開かれたものにしたいという。

「日本の賃貸住宅市場は江戸時代の名ごりがいまだに続いているんです。江戸時代は連帯保証人の制度でした。たとえば、当時の民衆は一生に一度の楽しみとして、お伊勢参りの旅費を貯金しました(みなでお金を出し合い、クジで選ばれた者だけが行くことができる『伊勢講』という仕組み)。その人たちがお金を持って逃散しないように連帯保証の判子を押させたわけです。そうすることで土地に縛りつけようとしていた。この連帯保証の制度がいまだに残っているため、外国人は家も事務所も借りられない。いわば、賃貸住宅市場はいまだに鎖国をしているようなものです。こんな制度があるのは世界中で日本ただ一国だけです。外国人に対して恥ずべき制度かもしれません」

賃貸物件の連帯保証人とは、家賃が支払えなくなったり、滞ってしまったときの「保証人」だが、オークハウスでは家賃の未収が、驚くことに0.1%だという。

「入居審査がないわけではありません。連帯保証人をつけない代わりに、複数の窓口を通して1時間の面接をするんです。ときには乱暴そうな人や約束を守らない人をお断りすることもあります。国籍や男女を問わないことはもちろん、どこの会社に所属しているとか、給料をいくら貰っているといったところで信用するのではなく、あくまで実際に会った上で、あなた個人を信頼するというスタンスです」

今の賃貸住宅市場は少子化でお客が減っているにも関わらず、あいかわらず供給側が有利になっていると山中氏は指摘する。

「私の考えはそうではありません。お金を払う人が一番えらい。一般的な不動産業者は物件を持つ地主の代理業者として入居者を審査しているわけですが、私たちは入居者の代理として、物件のオーナーと交渉するという立場です。したがって、入居者がもっとも利便性が高くなるように業務設計されています」

敷金1・礼金1、あるいは敷礼ゼロの賃貸物件が増えるなど、時代に合わせて賃貸住宅市場も変わってきたように見えるが、山中氏はむしろ「20年前よりも悪くなっている」という。

「家賃保証会社に強制加入させられるケースが増えています。これは、20年前にはなかった業態です。入居者は家賃の半月分を家賃保証会社に支払いますが、家賃が支払われなかったときに保障金額を受け取るのは家主です。これは法的に問題があるのではないかという議論がある。保険というのは、掛け金を支払った人に支払われることが原則です。掛け金をお客さんである入居者に負担させて家主に保障するもので、現在の賃貸住宅市場はより閉鎖的になってきていると考えます」

そう考えると、敷金・礼金の負担が軽くなった一方で、別の名目で負担を強いられているように思えてくる。お金を払う側が弱い立場にあるとは、たしかにおかしなことだ。海外では考えられないことだろう。

「1960年代に日本は産業の自由化と貿易の自由化をしました。当時は外資系企業に日本の産業は支配されるのではないかという危機感がありましたが、結果、日本は世界第2位の経済大国に発展しました。90年代には金融の自由化をして、一時は大混乱をもたらして失敗のように思われましたが、今、世界で一番有力なのは日本の銀行です。最後に唯一残っている課題が、人材の自由化です。これまでの自由化を見てもわかるとおり、日本人には世界に負けない競争力がある。まずは賃貸住宅市場の面から人材開国をすべきではないでしょうか」

実際、シェアハウスができたことで、外国人が日本に滞在しやすくなった。2020年のオリンピック日本開催までに、連帯保証人制度や保証会社の制度を廃止させることが山中氏の目標でもある。数年後には1万部屋、最終的には10万部屋を目指している。

「もし私が政治家や官僚であれば、そうした制度を廃止する法律を作るように動けばいい。しかし、私はそうした立場ではないので、社会的・経済的に成功した会社を創ることで証明していくことが起業家の役割だと考えています。2020年のオリンピックで多くの外国人が日本を訪れます。1週間だけホテルに滞在して帰国するのではなく、この際、日本に一年暮らしてみようと考える若者もたくさんいるはずです。今の賃貸住宅市場では、そうした外国の若者を排除することになってしまう。そうではなく、コミュニティで日本を知ってもらい、日本人の素晴らしさを世界に広めることが私の人生のテーマなんです」

少年時代からテーマは「自由」。そのためには「実力」がいる

驚くことに山中氏は、「10歳の頃から起業していた」と話す。街角に落ちているアルミや銅線などのクズ鉄をみなで拾い集め、山中氏がその棟梁となってクズ鉄屋に話をつけて売りさばき、そこで稼いだお金を分配していたのだ。それが自分でお金を稼ぐ最初のきっかけとなり、切手ブームの頃には記念シートを購入し、それを倍の値段で売るなど、子供の頃からお金は自分で稼ぐものとして行動していたのだ。

IMG_1503_sam「私の子供の頃のテーマが“自由”だったんです。自由に生きるためには独立して経済的に豊かでないといけない。そのためには実力がいる。子供の頃からその考えはまったく変わっていません」

山中氏が少年時代を過ごした1950~60年代は、まだ日本が貧しい時代だった。中流より少し上というくらいの家庭に育った山中氏だが、周囲ではお金の問題で夫婦喧嘩がたえなかったり、病気を患ってもお金がなくて十分な治療が受けられない人(国民健康保険制度が整ったのは1961年)が大勢いた。「お金がない悲惨さというものをありありと実感した」と山中氏は言う。

「大学に入るときに親から5万円を貰ったんです。それが最後で18歳から今に至るまで親から1円も貰ったことはありません。そのお金でどう生きるか? まず京都大学の帽子を6千円で買い、半期分の学費6千円を納めたり下宿代6千円を払ったりしているうちに残り1万円になってしまった。そこで、家庭教師をやろうと考えたんです。さっそく中学校時代の恩師に紹介を頼んだり、学校の前でチラシを配ったりしましたが効果がない。次の手を考え、毎日新聞に一行広告を出すことにしました」

2千円で二行の広告を出したところ、6件の依頼があった。そのうち2件を山中氏が引き受け、他の4件の権利を2千円で友人に売ることにした。2千円の投資で8千円の儲けだ。こうして大卒初任給が3万円(現在の20万円ほど)という時代に、山中氏は大学生にしてそれを上回るお金を自力で稼いでいたのだ。
その噂が広まり、塾を引き継いでほしいという依頼が舞い込んだ。一人2500円の授業料で20人以上の生徒を教える。家庭教師の収入と合わせると、毎月8万円以上(現在の50万円以上)になった。さらには教え子の母親から「家の敷地に建物を建てるから塾をやってほしい」と投資の話まで出てきた。当時は全国展開の受験塾や家庭教師派遣センターという業態がなく、そのまま進めば山中氏が第一人者になっていたかもしれない。

「自分が経営者になって先生を雇えばいいと考えました。このままやったら儲かると思って就職するつもりはまったくなかったんです。ところが、リクルートの就職案内の本を興味本位で眺めているうちに、外資系は給料も高いし面白そうだと思いはじめた。たまたま日本IBMが日本語の履歴書でもいいということだったので出してみたところ、返事が来た。周囲の学生がどんどん内定を決めていくものだから、私も面白半分の興味本位で行くことにしました。内定だけもらって全部、辞退しようと思っていたんです」

当時は6月1日が全企業一斉の就職試験日と決められていて、1社しか選ぶことができなかった。そこで落ちてしまうと就職できないため、「内定」という慣例が設けられていたのだ。外資系の日本IBMはその慣例に縛られていないため、そもそも「内定」というものがなく、たとえ面接試験に通ってもIQテストがあるため、最後まで結果がわからない。最終的に山中氏は他社の就職試験は受けず、日本IBMを選ぶことになる。

「自分で事業をやりたいという気持ちでしたから商社のような所で営業を経験しておきたかったんです。しかし、入社すぐに15カ月間の研修期間があり、また勉強をしなくちゃいけない。嫌で仕方がなかったんですが、途中で逃げたと思われるのもしゃくだから、研修が終わったら辞めるつもりでした。ところが、営業研修の成績がトップだったため、逆に辞めづらくなってしまった。創意工夫しながら営業したことが、営業センスがあると思われたんでしょうね。それから7年半、日本IBMの営業です。人が創った会社のルールで働くのは本当に大変でした。それもあって30歳のときに独立したんです」

日本IBM退社後、山中氏はエンジニアの先輩とともにソフトウェア開発の会社を設立。80年代はコンピュータの導入が加速していた時代で、エンジニアの需要が高まっていた。最盛期には従業員数150人、年商11億円という規模にまで成長したが、バブル期に不動産投資をしたことがあだとなり92年に倒産。42歳になって味わう人生初の挫折だった。
残ったのは6件の不動産。破産処理のため競売にかけられていたが、その処理が終わるまでに3年かかる。たまたまアメリカから帰国した友人と話していたところ、外国人に短期貸しすることを提案され、山中氏は飯田橋の本社ビルを「外人ハウス(ゲストハウス)」としてオープンさせることにした。これがオークハウスのきっかけとなる。

「営業本部長などの高給で雇用される口もあったんですが、私はその道を選ばなかった。自分でやっていくという選択肢しか考えませんでした。ゲストハウスは最初から順調に儲かりましたので、これならのんびりやれるな、と思っていたんです。会社にして大きくしていく必要もないという考えもあり、3、4年は個人営業にしていました。これほど規模が大きくなるとは想定もしていませんでしたからね。しかし、やっていくうちに社会的な意義に目覚めてきたんです。賃貸住宅市場の社会矛盾を私たちの事業で解決できるのではないかと考えはじめたのが、この10年くらいです」

規制に縛られず「自由」に始める事業を「新規事業」と呼ぶ

シェアハウスの価値を再定義し、さらに付加価値のある“進化系”としてオークハウスが打ち出しているのが、「ソーシャルレジデンス」だ。その第一号となったコンフォート蒲田は日本最大級の260部屋で、大浴場もあれば防音室やスタジオもあり、デジタル複合機や打ち合わせスペースを完備したソーシャルオフィスまである。また、ラウンジスペースでは毎日のように食事会や講演会が行われ、さまざまなコミュニティに参加することができる。

「単に住むだけでなく、フリーランスの人が仕事をしたり、みんなで集まって社会貢献活動をしたり、その中にいろんなアクティビティがあるのがソーシャルレジデンスのコンセプトです。最初の頃は安いという理由で入居者が集まりましたが、今はシェアハウスに住んだ方が面白いと言う意識に変わってきています。ジャグジーや映画館のようなスクリーン付の物件もあるんですが、一人暮らしでジャグジー付の家に住んでいる人はいませんよね。しかし、入居者で分割すれば、ジャグジー付の住まいを実現することができる。一人でワンルームに暮らしているより多少、割高になったとしても、それに見合う暮らしが得られるわけです」

こうした環境を整えることで、職業も国籍も違うさまざまな人が集まり、そこにコミュニティが生まれる。実際にそこで暮らす若者たちを見ていると、一昔前の外国人コンプレックスはなく、日本人に接するのと同じように和やかに笑い語り合っている。これまでの日本には、こうして気楽に外国人と接する場がなかっただけなのかもしれない。逆に外国人からすれば、日本語や日本文化を学ぶ絶好の場となる。

「実はコミュニティにもっとも適応能力があるのが日本人なんです。なぜなら宗教的な偏見がない。あらゆる人を自分と同じ人間だと素直に認める仏教の教えが息づいていますから、イスラム教の人もキリスト教の人も受け入れ、人種的な偏見もない。
今、日本人が世界でもっとも愛されているんですよ。その理由は、安倍首相や大企業の幹部にあるわけではありませんよね。それは、アニメーターだったりマンガ家だったりするわけです。みんなフリーランスの人じゃないですか。ところが、日本の賃貸住宅市場というのは、そうした芸術活動をしている個人を排除してきたわけです。そうした人たちを排除して魅力的なコミュニティを作れますか? 私はとても難しい(難攻不落だ)と思います」

山中氏は賃貸物件というハードウェアを提供しているのではなく、「コミュニティを創出提供する会社」とオークハウスを位置づけている。自らが創業者として自由に生きるだけでなく、土地に縛られない自由な暮らし、宗教や人種の偏見のない自由なコミュニティなど、事業を通して自らが望む世界へ一歩ずつ近づこうとしているようだ。

「ピカソは92歳で亡くなるまで作品を創り続けました。それは、金儲けのためではありませんよね? もちろん生きていくためにお金が必要だから絵を売るわけですが、私も同じなんです。お金儲けのために経営者をやっているわけではない。一人で自分の世界を創ろうとするのがアーティストです。私は経営者として自分の世界を創ろうとする。人間には、自分の世界を創りたいと望む人と、誰かに創られた世界で暮らしていく人の2種類あります。誤解しないでいただきたいのですが、それは、どちらが偉いといった話ではありません。変えようがないネイチャーな性格なんです。後者は会社を引き継いだりすることは得意かもしれませんが、創業者になることは難しいでしょう。私は明らかに前者のキャラです。やはり新規創業が好きですからね」

これまでの賃貸住宅市場にはなかった新規事業を起こした山中氏だが、誰も手をつけてこなかった新しい業態だったからこそ、多くの可能性を秘められ、同時に日本の社会矛盾を明らかにさせた。

「グーグルがストリートビューで世界中を撮影してますよね。これまでは、そんな規模で行おうとする事業がなかったから、それを規制する法律もまだなかった。アメリカ的な言い方をすると、それが“ワイルドエリア”です。そこで、誰の許可を得ているのかとケンカになり、西部劇の時代だとピストルで撃ち合いになったわけですが、現代の西部劇は訴訟です。本来ワイルドエリアには規制準備がなく、比較的、自由なものなんです」

最近になって突然はじまったシェアハウスに対する行政の規制は、まさにこの問題なのだ。大半の入居者が不平を述べているわけではなく、行政側の都合で問題視している。

「行政側がシェアハウスを問題業者だと突然言いはじめて規制しようとしています。しかし、元々シェアハウスというカテゴリーは日本にはありません。それを無理やり『寄宿舎』という旧来の法律カテゴリーに当てはめようとするから、今の混乱が起きているわけです。行政が国民を旧来のルールで規制することばかり考えているから新規事業が起きにくくなっています。本来、新規事業というのはワイルドエリアから起きるものです。規制に縛られず自由に始める事業のことを“新規事業”と言うんですよ」

山中武志氏が大切にしている3つのこと

経営者のアイデア

「毎日一個ずつくらい新しいビジネスを思いつきます。年中、頭の中でシミュレーションゲームをやっています。だから私はゲームの類を一切やらない。やる必要がないんです。架空のゲームより本当のゲームの方が面白いですからね」

マネジメントの工夫

「できるだけ自分がやりたい仕事に就けるように工夫しています。また、数値目標をあまり掲げませんので、ノルマというものがない。ただし、若干のインセンティブは付けます。そして何より、自分の役割を組織の中でどう活かすかを自分で考えるように教えています。そうすれば会社から指示されなくてもすみますよね。私から細かい業務指示を出すこともほとんどありません」

仕事観

「浄土宗の開祖である法然さんは、農民が田畑で働いていること自体が仏になるための修行であり、『南無阿弥陀仏』と唱えるだけで成仏できるとしました。原則として労働というのは共同作業ですから、互いのために働いている『私もあなたも仏なのだ』と認めあう考え方です。労働が仏への道。こうした考えが息づいているから、日本人はインセンティブがなくても自ら進んで働きます。こうした日本人のマインドを世界に広めていくことが私の人生のテーマです」

取材・文●大寺 明