【イベントレポート】株式会社和える 矢島里佳 × 書家 だんきょうこ「見ることと、愛でることの違いとは?」(前編)

4月3日、株式会社和えるの矢島里佳さんと、書家のだんきょうこさんによるトークイベント「書のお花見」が開催されました。今回のテーマは「愛でる」。「見る」ことと「愛でる」ことの違いは一体どこにあるのでしょうか?

【スピーカープロフィール】

・矢島里佳(株式会社和える 代表取締役)
「21世紀の子どもたちに、日本の伝統をつなげたい」という想いから、大学4年時である2011年3月株式会社和えるを設立、慶應義塾大学卒業。幼少期から職人の手仕事に触れられる環境を創出すべく、子どもたちのための日用品を、日本全国の職人と共につくる“0から6歳の伝統ブランドaeru”を2012年3月に立ち上げる。

・だんきょうこ(書家)
武蔵野美術短期大学デザイン学科卒業後、広告制作会社 日本ベリエール・アート・センターに勤務。その後、書家・山本萠氏の門を叩く。1997年、ジャパネスク・カリグラファーとして活動を開始。商業空間の中での「書」の作品を手掛ける。1998年、焼酎メーカーのニューボトルの統一ロゴを制作。06年には1年間放送されたNHKの大河ドラマ「功名が辻」のメーンタイトルの題字を制作する。01年から都内のギャラリーで個展を定期的に開いている。

矢島:「愛でる」、皆さんはどういう感覚だと思いますか?「愛でる」を漢字で書くと、「愛」という字を書きますよね、すごく素敵な言葉だなあといつも思っておりまして。「和える」という言葉も、「混ぜる」という言葉と近いようで、実は違っていて。「愛でる」という言葉も、「見る」とちょっと違う。なんだかそういう感覚を私は持っておりまして。

和えるの会社名は、古き良き先人の知恵や日本の伝統と、今を生きる私たちの感性や感覚を混ぜて別のものにしてしまうのではなくて、両方の本質、原点に戻って、それらの魅力的なところを、きゅっと引き出して和えることにより、より魅力的な日本を、次の世代につないでいくことができたらいいなあと。そんな思いから和えるという会社は誕生しました。

普段いろんな言葉を皆さん使っていらっしゃると思うのですが、ついつい忙しいと、一つひとつの言葉の意味を深く考える時間もなく、使ってしまっているような気がしませんか。例えば、歩きながら咲いている桜を見るという状態と、立ち止まって桜を愛でるという状態の違い。この違いってなんでしょうか?きょうこさんにとって「愛でる」ってなんですか?

だん:私なんか最近やっと愛でるようになったというか。なかなか現在の生活で愛でるっていうことはないですよね。花見に行こうとはなるんですけど、愛でるってプラスαあると思うんですよね。

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矢島:今日、「愛でる」という言葉をこのイベントで使わせていただいた理由、それは、だんきょうこさんと初めてお会いしたときに、「書」って小難しい顔して、「あの字はこうだ」とか、そういう世界にあるような気がしますよね、という話を一番最初にしたことがきっかけでしたよね。

だん:書道展ってあちらこちらで催されていると思うんですが、私はいわゆる書道界の人間ではございませんで、出身も美術大学のデザイン科の方から書の方に入って参りました。

書は好きでずっとやってきましたけど、今、和えるさんとの出会いもあるように、どちらかというと、書道よりもデザインの方から、「文字をつくる」っていうイメージが強いんですけど、じゃあ作ればいいのかっていうと、やはり「無」になって作ったときが、皆様からも、いいねって言ってもらえますね。

元々、書道って長い歴史があるので、それを元に、それぞれの感性がのっていくと、まさに自分の字を見つけることができるんだなあということ、私もしばらくの間、人に書を教えている間に気づきました。

矢島:自然と湧き出てくるものなのかもしれないですね。私は自分の字は、好きではなかたったんです。最近ちょっと好きになってきましたけれどね。なんで好きじゃなかったかというと、小さい時から、与えられたマス目最大限に書くんですよ。なんとなく先生たちって、「バランスよく書きなさい」とおっしゃるんですよね。マス一杯に書くのは、書として美しくないみたいな。だから、一般的な美しい字ではないんだろうなあと思って。

日本の文化ってやっぱり”余白の文化”だと思うんですよね。私、華道を中学校から、今も、細く長く習っているんですけれども、華道ってやっぱり、空間をいかにして生み出すかなんですよね。でも、小学校のときに習っていた、フラワーアレンジメントは、空間を作るというよりは、いかに密度を美しい花で埋めていくか、というイメージですね。中学校に入って、初めて池坊の華道に触れたときに真逆だなあと思いました。花で空間を埋めるというよりは、花で空間を生み出すことが大切なんですよね。いつも、「ほらね、ここに空間ができたでしょう」と、先生はおっしゃるんですね。

日本だとそういう”空間美”というものがあるので、確かに、”日本の美しい書”というのは、”余白”も非常に重要だと考えられているのではないかと思いつつも、自分の書く字が余白を美しく、活かす字かというと、そうではなく、私は元気いっぱいに最大限に、大きく書くほうが性に合っているんですよね。でも、書は人なり。私らしい字なのかもしれない、と思って受け入れることで好きになってきました。

いわゆる、お手本的な芸術美と、個人の自分らしさっていうところは、必ずしも一緒にならないようなところもあるような気がして。なんとなく”書”って、正解がないんだけど、あるような。そんな感覚を私は持っていたんですね。きょうこさんにお会いしてから、自分の字をまず好きになるところから、”書”というのは生まれてくるのかもしれないと、改めて感じたんです。

だん:そうですよね。書道っていうと皆さん嫌厭されていらっしゃって、やったことないとおっしゃられる方も多いんですけれども、だからってやってみたくないかっていうと、やってみたいんですよね。

そういう方たちに教えてみたところ、皆さん自分の字と向き合われることで心が落ち着いてくるんですよね。また、”書”って長い歴史がありますので、精神や気持ちがそちらまで飛んでいって、昔の形もありつつ、自分も乗った字として現れてきて。そういうのが私はやりたかったんですね。

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矢島:きょうこさんは、目をつぶっていても書けるのかなと思ったのですが、いかがでしょうか。

だん:目をつぶっていても書けます(笑)。

矢島:やっぱりそうなんですね(笑)。しかもその書を、見る側も作品の前で目を閉じていても、何か感じられるのかもしれない気がします。書を愛でる感覚で向き合ったときに、何かが変わるのかもしれないですね。

きょうこさんの文字を初めて拝見したときに、書を飾るときは、掛け軸や額の中に入れるのが当たり前だけれど、はたして本当に書を大切にしているのだろうかと、感じました。生きている文字が封じ込めてしまっているような、そんな感覚だったんですよね。ですから、もっと近くで見て、感じて、触れても怒られない。そんな展示会やりませんか、と提案したら、二つ返事で承諾してくださって(笑)。

だん:もう、ひらひらした和紙のこのままでやりたいとか。これは逆さまにしたいとか。若々しい感性で私の書を見てくださいまして。非常に嬉しかったですね。

矢島:「花」という文字が、きょうこさんにとって特別なものだということも伺って。

だん:そうですね。花という字は、よく書道でも書かれる文字ではあるんですね。特に女性なんかは書くかもしれませんね。私が習っていた先生も「花」という字にこだわっているということもありましたので、それではまず自分の「花」っていうものを書いてみようというのがきっかけで、花という字に色んな表情をのせて書いていくようになりまして。

「花」っていうと「花伝書」という本もあるように、大きな意味を持つようです。私はまだその足元にも及びませんが、やはり自分が「花」という字に惹かれたっていうことがとても嬉しいし、大切に思っています。

※後編に続く